青い春ってやつでしょう
試験期間は4日間で、午前の3時限目で試験は終わり下校することができる。
まだ初日だがこれまで和泉が勉強を見てくれたおかげで、今回は中間試験の時よりもだいぶ出来が良かったとさくらは実感している。特に数学は、今までで一番だったのではないか。
試験が終わったらたくさんご馳走を作って感謝しよう。
そんなことを考えながら、さくらは学校帰りに夕食の材料を買うために『つるや』へ寄った。
「久しぶりだな」
ナスの品定めをしていたさくらが顔を上げると、すぐ横に優作が立っていた。
「あ、有村君! ほんと、なんだか久しぶりだね。元気だった?」
ここで会うのも、こうして話をするのも。自分でもおかしくなるぐらい声が弾んでいるのがわかる。
「……俺はずっと、お前と話したかったんだ。それなのに、お前はいつも女の友達とつるんでて声掛けるチャンスもなかったんだろうが」
拗ねたように言う優作の姿が何だか可愛らしくて、さくらは思わず笑ってしまった。
「何がおかしいんだ?」
「ごめんなさい。だってなんか有村君、かわいくって」
かわいいと言われて喜ぶ男はいないだろうが、それ以外に言葉がみつからなかった。
「ところで梨恵はどうしてる? ……暴れてないか?」
「人の妹をゴジラみたいに……大丈夫よ、元気にしてるから。梨恵ね、最近駅前のドーナツ屋さんでアルバイトしてるの」言ってからさくらは、そうだ! と手のひらを叩く。「金曜日に試験終わるでしょう? 終わったら、帰りに一緒にそのドーナツ屋さん行ってみない?実は私まだ、梨恵が働いてるとこ見たことないんだ」
「……」
「あ、何か都合悪い?」
「いや……」
「じゃあ、決まりでいい? 私、そろそろ行かないと。明日は化学と物理の試験があるじゃない? 早く帰って勉強しないとね」
本当はもっと話していたかった。けど、化学と物理がなぜ同じ日に試験なのかと恨めしく思うほど、さくらはこの二つが大の苦手である。
じゃ、また明日ね。と、さくらは急いで残りの買い物を済ませ店を出て行った。
駅前のドーナツショップは、尾道のような田舎町にはめずらしく2階席まであるファストフードショップで、いつも学生や近所の主婦で賑わっている。
しかしどちらかと言えば女性客が多く、特に若い男性の客はめったに見かけない。
さくらは優作に気を遣いつつ、ショーケースに並べられた色とりどりのドーナツを眺めていた。
梨恵はその日勤務していたが、店の入り口でさくらの姿を見た途端厨房の奥へ引っ込んでしまったのだった。
「ねぇ、有村君はどれにする?」
「なんでもいい、まかせる」
「まかせるって……じゃあ、私と一緒のでいい?」
それでいい、と答えて千円札を一枚さくらに渡すと、優作は一人でさっさと2階の客席へ上がって行ってしまった。
今日は父親が和泉を連れて帰ると予めわかっていたので、さくらはここで食べて帰る分と、二人の分も合わせてドーナツを注文した。
「砂糖まみれだな」
さくらが買ってきたドーナツを見た途端の、優作の一言。
だいたいどの商品も似たようなものだ。
「文句言わないでよ、まかせるって言ったじゃない」
「別に文句は言っていない、事実を言っただけだ」
相変わらずだ。でも、こんな遣り取りをするのは久しぶりだ。
甘いドーナツが口の中に広がるのと同じように、甘い気分が胸の内に広がる。
だから彼女は、少し離れた場所から妹がものすごい視線で自分達を見つめていることに、まったく気付かなかった。
今、この時間を誰にも妨げられたくない。
二人の話題は尽きることがなく、学校でのことや最近読んだ本の話から、いつしか進路のことになっていた。
「進路、どうするんだ?」
「私? 私は就職するんだ。有村君はやっぱり進学するの?」
「就職するのか……?」
「うん、だって早く自立したいの」
中学生の頃からさくらは高校を卒業したら就職すると決めていた。
学費の問題などではなく、働いて自立したいという思いが強かったのだ。
「それで、有村君は?」
「俺は、進学だ。就きたい職業は決まってるからな」
「そうなの? なに?」
「税理士と会計士、どっちもだ」
「へぇ~、有村君頭いいもんね。ちゃんと目標が決まってるんだ、えらいなぁ」
他の同級生の中には、まだ就職せずに学生で遊んでいたいから大学に行きたいという子もいる。
高校一年生の時点で、優作のようにはっきりと目的を持っている方が却ってめずらしいのかもしれない。
「でも、どうしてその職業なの?」
「うちの親父のためだ。あの人は資産管理だとか、金に絡んだことがまったく苦手な人間でな。今は専属でやってくれる会計士の人がいるけど、その人ももうかなり高齢だし……他人はあまり信用できないからな」
そういえば優作の家は資産家だったのだ。
その事実を思い出すと、さくらは眼の前の彼が少し遠い存在に思えてしまった。
「高岡こそ、就職って具体的なこと決めてるのか? こんな田舎じゃ大した求人はないだろうが」
「実はまだ、これと言って決めてはいないの」
「……家を出て、たとえば広島とか大阪とか行くつもりか?」
そんなことは少しも考えていない。
「それはないよ。だって、お父さんのそばには私がついてないとね。ただ……」
「ただ?」
「わからないけど、もしかしたらお父さんが県警本部に異動なんて話になったら、私も広島に移ることになると思うわ」
「そうか……」心なしか、優作の声は沈んでいる。
「ま、その前にどこか他の市の所轄に異動する可能性の方が大きいけど」
地方公務員の父には県内での転勤がつきものだ。
「でもね、私はこの町が好き。できれば離れたくない」
坂と神社と寺ばかりで、若い子には楽しいことなど少しもない田舎だけど。すぐ近くに海があって、気候も暖かくて、何よりも好きな人が住んでいる。
(私、この人のことが好き……)
「俺もだ」優作が微笑む。「好きなんだ、ここが」
この瞬間だけは、他のことは何も考えないでいられた。
梨恵のことも、他に彼のことを好きな女の子達のことも。
今だけは自分がこの人を独占している。
そんな優越感に浸ってもいいじゃないの。
気が付けばもう、時計の針が3時半を指していた。店に入ったのが1時少し前だから相当長い間居座っていたことになる。
そろそろ出よう、と優作は立ち上がった。
食器を返却口に戻して階下に降りる。
レジカウンターには梨恵がいた。
ありがとうございました~、と抑揚のない声に送り出されて外に出る。
「今日はありがとう、じゃあまたね」
あと何日かで夏休みが始まると、一カ月以上優作とは会えない。
それがひどく苦しくて切なくて、またね、とは言ったもののさくらは歩き出せずにいた。
でも、あと数日は学校で会えるのだ。
優作に背を向けて、思い切って一歩踏み出す。
「さくら」
急に名前で呼ばれて、さくらは振り返った。
「……そう、呼んでもいいか?」
「うん。じゃあ、私も名前で呼んでいい?」
「ああ」
「優作君、またね」
足取り軽くさくらは家路についた。