また逢えたわね
うちの一番大事なキャラ登場!!(笑)
なんとなく、最近少し梨恵の様子が変わったようにさくらは思う。
この頃は少しづつだが会話もできるようになった。それというのも大きな変化があったからだ。
最近駅前に新しくドーナツショップが開店し、梨恵はそこでアルバイトを始めることになった。
職場には主婦やフリーター、大学生など様々な年齢層の男女がいる。それら新しい仲間達との出会いが彼女にとって良い影響力となったらしい。
家でも少し笑顔を見せるようになったし、バイト先での出来事を話してくれるようになった。
さらに聡介にも良い変化が訪れた。
しばらく交番勤務だった彼が、刑事課勤務復帰を許されたのだ。
嬉しそうな父親を見ていて、さくらも幸せな気分になれた。
この良い状態が続けばいい……心からそう願わずにはいられない。
そんなある日の夕方のこと。さくらが台所に立って夕食の支度をしていると、聡介から電話がかかってきた。
「さくら、今日同僚を一人家に連れて帰りたいんだが……かまわないか?」
「うん、大丈夫よ」めずらしいこともあるものだ。「どんなお料理作って待ってたらいいかしら?」
「そうだなぁ……若い男だから、ボリュームのある料理がいいんじゃないか」
「わかったわ。じゃ、何か用意しておくね」
父親が仕事仲間を家に連れてくるなんて、もしかしたら初めてかもしれない。
かつて母親が健在だった頃はまずそういうことはなかった。
しかし、聡介の同僚で刑事課の男性というと、何となく連想されるのは柔道何段の猛者か、強面の体育会系マッチョか、いずれにしてもごつい人に違いない。
そう思っていたのに、聡介が連れてきたのはまったく想像と異なる人物だった。
「初めまして、和泉彰彦です。お父さんにいつもお世話になっています」
和泉と名乗ったその青年は、ごついどころか優男で、強面どころか柔和で優しそうな顔立ちをしていた。
「男前だろう? その上、頭もいいんだぞ。さくらも勉強をみてもらうといい」
試験は先日終わったばかりだ。
もう少し早く連れて来てくれればよかったのに。
梨恵はアルバイトの日なのでまだ帰宅していない。
そこで、さくらは聡介と和泉と三人で食卓を囲んだ。
和泉は話が上手で、普段聡介がほとんど話さない警察の仕事のことを差し障りのない程度に話してくれた。
父はにこにこと頷いたり、時々相槌を打ったりと終始ご機嫌である。
細い身体に似合わず、少し多かったかなと思う量だったさくらの料理もすべて平らげてくれた。
食事を終えコーヒーを淹れた頃に梨恵が帰宅した。
ただいま、と居間を通りかかった妹を見て和泉は眼を丸くした。
「……? おじゃましてます」
誰? という顔で梨恵も、どうも、と会釈して自分の部屋に引っ込む。
和泉の反応を見てさくらは、聡介が梨恵のことは彼に話していないのだと気付いた。
「私の、双子の妹なんです。梨恵って言います」
説明してからさくらは梨恵の部屋に入った。
「お帰り、晩ご飯は?」
「ここで食べる……ねぇ、あの人誰?」
「お父さんの同僚の人よ。和泉さんて言うの。あなたも一緒に食べればいいじゃない」
「……あたしが一緒じゃ、ご飯がまずくなるでしょ」
姉妹のわだかまりはかなりの程度氷解したが、父娘の間の確執は未だ少しも解消していない。仕方がないのでさくらは、梨恵の分の食事を盆に乗せて部屋に届けてやった。
居間に戻ると和泉はさくらに、学校の事をいろいろと聞いてくれた。
彼も同じ西高の卒業生だったので話は一層盛り上がった。
そうしてあっと言う間に時間が経過し午後9時を回った。
「それじゃ、僕はそろそろ。さくらちゃん、ご馳走さま。どれも全部おいしかったよ」
コーヒーを飲み終えると和泉は立ち上がった。
その後ろ姿を見送った後、聡介はさくらに急に熱っぽく語り始めた。
和泉君は高岡家から少し離れた、市内でも一番西側の三原市寄りにあるアパートで一人暮らし。
まだ新人だが、良い刑事になる素質がある。顔も頭もいい、それなのに浮いた噂の一つもない真面目な男だ……。
「一人暮らしで職業が刑事さんじゃ、毎日の食事が心配ね」
何気なく語ったさくらに、聡介は我が意を得たり、とばかりに
「そうなんだ! そんな訳でこれからもちょくちょく連れてくるから、栄養のあるものを食わせてやってくれよ」
その言葉の通り、聡介はことあるごとに和泉を家に連れて帰るのだった。
初めは少なからず恐縮していた彼も、歓迎されている空気を読んで過度に遠慮はしなくなった。
実際、さくらは和泉が来てくれることを歓迎していた。
勉強を見てくれるのもありがたいが、何よりも父が笑顔になる。本当の父子のように二人は仲が良い。
気が付けば聡介は和泉にファーストネームで呼びかけ、和泉の方は『聡さん』と他の同僚達と同じ呼び方をするようになっていた。
(お父さんはきっと、息子が欲しかったんだわ……)
そんなある土曜日の午後。
梨恵はこれからアルバイトなので出かける準備をしている。学校から帰って来て昼食を済ませたさくらは、妹を玄関まで見送る。
「梨恵、今日晩ご飯は?」
「今日はバイト先の人達とご飯食べて帰るから、いらない」
靴を履きながら、梨恵はふと思い出して言った。「今日もあの人、来るの?」
「あの人って、和泉さん? どうかしらね、その日にならないとわからないの」
ふーん、と立ちあがってドアノブに手を掛ける。
それからおもむろに振り返ると、
「あのおじさん、和泉さんって人をあんたのお婿さんにするつもりよ」
梨恵の言う『おじさん』とは、一応父親のことである。
「えー、まさか……」と、笑ってみたものの、さくらも、もしかしたらそんなこともあるかもしれないと思っていた。
和泉は優しくてとても親切な人だ。だけど、まだ16になったばかりなのに結婚だのなんだの、そんなことはとても考えられない。
第一、向こうの気持ちもわからない。
「ま、別にどうでもいいけどね」ドアを開け、一歩踏み出す。「あのおじさんが何を考えてて、あんたが誰と付き合おうが結婚しようが、あたしの知ったことじゃないし。相手が優ちゃんでさえなければどうでもいいわ」
最後の一言が、ズキンと胸に刺さった。
どうしてだろう? 何故こんなに胸が痛むのだろう?
もうすぐ夏休みという季節になった。その前に期末試験が待っているのだが。
今日もし和泉さんが来るなら、暑くなってきたからそろそろ冷たい物を用意するか、とさくらが考えながら下校していた時。救急車がサイレンを鳴らしながら走って行く音が聞こえてきた。
特別珍しいことでもないので気にも留めなかったが、家に帰ってからテレビを着けるとニュース番組で、今日さくらが『つるや』で買い物をしている時間帯に、長江地区で殺人事件があったと報じていた。第一発見者が救急車を呼んだが間に合わず、警察が尾道東署へ捜査本部を設置したとのことだ。
(お父さんたち、今夜は泊まり込みね)
伊達に長い間刑事の娘をやっていないさくらは、電話がかかってくる前に父の着替えと差し入れを用意して、自分から尾道東警察署へ出向いた。
「さくらちゃん」
ちょうどロビーのところで和泉にばったり出会った。
「和泉さん、ちょうど良かった。これ、父に渡していただけますか? それと差し入れ持って来たから、皆さんで一緒に食べてください」
「ありがとう、さくらちゃんは本当に気が利くね」
「16年、刑事の娘やってますから」ふふっ、と笑った時に聡介も姿を見せた。
「さくら、来てたのか」
「お父さん。着替えと、差し入れ持ってきたよ。あんまり無理しないでね」
「ああ、ありがとう」それから聡介は和泉に「彰彦、悪いが、この子を家まで送って行ってくれないか」
「わかりました」
「……お父さん、私なら平気よ。自転車だし」
「ダメだよ、危ないから。さ、行こう」
そう言われては無理に断る理由もない。
さくらは自転車を押して、和泉と一緒に歩いて帰ることにした。
その翌朝。さくらが登校すると、中山園子が眼をキラキラさせてかけ寄ってきた。
「ねぇねぇ、さくらちゃん! 昨日、見たわよ? 新浜あたりをスーツ姿の、背の高いカッコいい男の人と一緒に歩いていたでしょ?!」
和泉のことだ、とすぐにピンときた。
「うん、そう。あの人は……」お父さんの同僚で、と説明しようとしたのだが
「彼氏なんでしょ?! いいなぁ、年上の彼氏なんて素敵!!」
悪気はないのだろうが、園子は教室中に響くような大声で言った。その後他の女の子達も集まってきて、どうやって知り合ったのかとか、名前は何て言うのか、いくつなのかとまくし立てる。
違うんだけどな……とさくらは本当のことを説明しようとしたのだが、彼女達は勝手に盛り上がって全然聞いていない。
面倒くさいので放っておこう。
それにしても女の子って、どうしてこの手の話題が大好きなのかしら?
さくらが不思議に思っていると担任教師が教室へ入って来て、その場は収まった。
その日の昼休憩、園子が前触れもなく口火を切った。
「試験が終わって少ししたら夏休みだねぇ、皆どっか行くの?」
女の子達は家族と旅行に行くとか、大好きなアイドルグループのコンサートを見に広島市まで行くとか、祖父母の家に行くとかそれぞれ予定があるようだ。
「さくらちゃんは?」
特に予定はない。子供の頃から夏休みに家族揃ってどこかへ出かけた思い出はない。
予定を立てても父親が急に仕事になってキャンセル、という時も少なくなかったからだ。
母親と梨恵と三人で出かけることもあったが、さくらは自分だけ何か仲間外れにされているような気分になって、あまり楽しくなかった。
「やぁね~、なに野暮なこと聞いてるのよ。さくらちゃんは例の、年上の彼とデートに決まってるじゃない」
そっか~、と女の子達の話題は再び他人の色恋沙汰へと移って行く。
その日は朝から雨が降っていた。雨の日は優作も屋上へ上がることをせず、教室で一人黙々と昼食を摂っている。
さくらは、この話が彼の耳に届きませんようにと祈るのであった。