いろいろと定番?
チチッチチチッ
窓の外から漏れ聞こえる小鳥の声、まぶたの表を照らすのは太陽の光。
安穏とした気持ちのいい朝、俺は覚醒と睡眠の狭間で意識がたゆたう何とも気持ちのいい時間を過ごしていた。
しかし不意に俺の頬をペチペチと叩く存在が現れる。
「シグレ、シグレいい加減起きろ」
「う…うぅん」
そいつは俺の近くで声をかけながら継続的に頬を叩いて強制的に覚醒を促そうとする。最高の時間を邪魔されたことに若干の苛立ちを感じ、二度寝を決め込もうとするが、執拗に起こそうとしてくるそれに、俺の意識はあえなく覚醒まで引き上げられる。
「ようやく目覚めたか。さぁ、早く起きて…俺と一緒に怒られろ」
「てい」
目を開けた途端、至近距離で嫌な笑みを浮かべ起き抜けに陰鬱な事を言ってきたライクスへ、手加減も容赦も一切持ち合わせない一撃を見舞う。広くない部屋でスパーンという音が鳴り響き、俺の一撃が存外いい感じに決まったことが伝わってくる。
「おはようライクス、そして死ね」
「お前なぁ!軽い感じで思い切り打ちこんで来るんじゃねえよ!?」
ギャアギャアとうるさいライクスへ、俺はあくび混じりににベットから立ち上がってライクスを睨む。
「うるさい、起き抜けに気落ちするようなことを言うんじゃねえ。しかも至近距離で、せめてミルカとチェンジしやがれ」
あのふわふわとした女の子なら俺だってこんな嫌な気分にも、ぶっ叩くことにもなっていなかっただろう。むしろ癒しが追加されるくらいだ。眉間に皺を寄せてそんなことを言い放つ俺に、先程の一撃で尻餅をついたライクスは頭を掻きながらため息をついて立ち上がる。
「はぁ、まあそれぐらい元気なら大丈夫か。全く、昨日はかなり心配したんだぜ?振り返ったらいきなりスライムなんかに殺されかけてたんだからな」
「ん、そうか…それはすまん」
「いや、いいってことよ。…殴られたことは許さないがな」
ナハハと陽気に笑っているが、その実目だけは笑って無いライクス。苛立ち紛れにやってしまった事だが、思いの外効いたらしい。心配をかけた上に殴ってしまったのだ、ここは素直に謝っておこう。
「はぁ…、悪かったって」
不満をため息で流し、改めて謝罪する。
「ハハハ、冗談だ、気にしてねえよ。怒られるのは冗談じゃないがな」
「んあ?」
言葉尻に付け加えられた不穏な発言に、何の事だ?と間抜けな声が口から洩れる。と、その時。
「シグレーー?起きたのなら早く下に来なさい、お母さんからお話があります」
明らかに不機嫌で不満を内包した通りのいい声が一階からここまで聞こえてくる。
ふぅむ、ミルカやライクスもそうだが、母親のCVまで完璧か。相変わらずこの世界はどうなってんだ?
「ほら、お前の母さんが呼んでる。だから早く行こうぜ?遅れた分だけ説教が伸びちまう」
「………はぁ、こんなイベントは向こうじゃ無かったのに……」
深い深いため息をつき、後ろ手に後頭部を掻きながら顔を上げれば、苦笑いを浮かべたライクスが早く来いと階段の向こうからこちらを手招きしている。半ば現実逃避気味の思考を引き戻し、ライクスの後を追って階段を下りた。
剣を片手に勝手に魔物と戦って、死にかけて帰ってきたらそりゃ怒られるのは当然だろう。そんな当たり前の思考にたどり着いたのは今更ながらで遅すぎることであった。
こちらでの母さんに俺とライクスがこってりとしぼられた後、俺たちは昨日果たせなかったミルカの手伝いをすることになった。
それをライクスから聞いたときは、薬草摘みかと思ってさっそくレベル上げができると喜んだのだが、ライクスは優しい顔をしながら
「お前やっぱり全然反省してねえな」
と、同志見る目で返されたものだ。…なんか納得いかねぇ。
そんなわけで今日は村の中でおとなしく、ミルカの家で薬草をひたすらすり潰すお仕事である。
誰にでもできる簡単なお仕事で良かった。
「…でさー、確かに俺も危険な目に合わせたことを悪いとも思うぜ?だけど、シグレも男だしひとんちの俺をシグレと同じように正座させてまで怒らなくていいと思うんだよ」
「お家には知らせてないんだろうし、むしろ一緒に怒っただけに留めたシグレのお母さんは優しいんじゃないかなぁ?」
「まぁ、うちの母さんが伝えなくても俺たちがチクらない保証は無いけどな」
「なるほどぉ、これでライを手伝わせる口実が増えたわけだね♪」
「と言う訳だ、せいぜい頑張ってくれよ、立派な次期村長さん?」
「お前ら、俺にどれだけやらせるつもりだ…」
ゴリゴリとすり潰す音がする中、そんなたわいもない会話だけが続く。因みに、ライクスは村長の家の長男で、手のかからない出来のいい兄として扱われている…設定だった。アホなこともやるが、家族には悟らせず、大体の事をサクッとやってしまうそんな感じの男だ。村の人たち、とりわけ一部はその内容を知ってるけどな。気のいい親父たちが多いのか、みんな揃ってアホなのやら。元主人公?一緒になってやる紛れもないアホだよ、今もあまり違わないがな。
会話もそこそこに、皆だんだん口数を少なくし、やがて無心になって薬草をゴリゴリし続ける。
それにしても、自由時間はいつになってから来るのだろうか。
この世界に来てからというもの、ゲームらしさと、それを超える現実感を感じる。なんというか、ゲームの世界のはずなのに現実成分の方が多めなのだ。それは住民が自由に話していたり、怒られるなんて無かったはずのちょっとしたことが起きたり、そして何より主人公の行動がこうして長めに拘束されたりといったところだ。その割にはモンスターは倒したら消えるし、イベントはちゃんと起きる。なんともちぐはぐな世界である。
ついでに言えば、昨日ステータスポイントを振り分け、スキルポイントも振ろうとしたのだが、剣術以外の欄が軒並み文字が薄くなり、書き込んでもインクが表面を滑って書けなかったのだ。これについてはまだ何とも言えないところであるが、ゲーム要素まで一筋縄ではいかなさそうだ。
思考の傍らにひたすらすりつぶす作業を続ける。半ば自動で動く手は意識せずとも淀みなく動き、それによって思考も捗る。その結果、俺のとなりにすりつぶされた緑色の山が出来上がった時、追加の薬草を取ろうと脇に伸ばした手が空を掴んだ。
「んあ…、追加の薬草まだあるか?」
「え?」
同じく無心でやっていたらしいミルカが呆けた声を出し、一拍置いてストックが無くなっているのに気付いた。
「おおー!気付いたらこんなに作業してたんだね。ちょっと待ってて後一箱だけあったはずだから」
「ええ~、今日はもういいだろ。十分やったって」
「お昼まであと少しだからそれまで頑張ろ~」
もう嫌だとばかりに顔をしかめて抗議の意を示すライクスだが、ミルカはそれをあっさりと流して立ち、奥の方へ行ってしまう。
「あ、持つの手伝うぞ」
そこで俺はあわてて立ち上がり、手伝いを申し出る。ここに来たのはただ流れに流されただけでは無いのだ。
ゲーム時、この家には魔法に関しての本が配置されていた。俺の目的は、ここでも存在しているのであろう魔法関係の本をさりげなく探して借りることだ。…ちゃんと断りはいれるぞ?あくまで今の俺は『友人』だからな。その方が今後都合がいいし、変な主張で本当に疑われだしたら身動きが取れない。
持つのを手伝いに行く、という体でミルカの後へついていきながら辺りを見回していく。薬屋としての職場もかねているため、一般的な民家よりは広めに設定されているこの家は、ゲーム時に通い慣れている。それは現実となった今でも迷うことは無い。
物置らしい所へ入っていくミルカの背を横目に見ながら、俺は横の扉、ミルカの部屋へ入る。中は俺の部屋と似たような作りになっているが、部屋の持ち主の違いだろう、所々小物が可愛らしい物が使われてるし、窓辺には自分で育てているのか薬草を植えた鉢植えがある。そして一番に俺の目を引いたのは自分の部屋の倍くらいある蔵書量を持つ本棚だ。
「半分以上は創作物っぽいけど……ん、あったあった」
本棚へミッチリと詰められた本の中、続き物の小説と薬草の図鑑の間に俺の求めていた本はあった。古めかしい装丁の背に着いたタイトルは『魔術学総本―初級編―』なかなかにストレートなタイトルのこいつこそ、俺の明日からの命運を左右していくであろう本である。
「こんな世界に引き込まれたなら、やっぱり魔法くらいは使えるようにならないとな!」
通常では持ち得なかった力への期待に胸を膨らませて、自然に声は大きくなる。そしてパラパラとページをめくってみるのだが、
『黒髪の少年はさや走りに剣を振り抜き…』『…結晶に成り果てたパートナーの涙ながらに…』『…剣は砕け、拳すら砕けようと…』
ん?何かというか全く違うんじゃね?
魔術に一切関係もしなければ、最後の方まで書き切られてすらいない。更に言えば、印刷術があるはずのこの世界で珍しい手書きなのである。これは他の本も確認したから間違いない。極めて高い確率でこれは誰かが作った創作物なのであろう。
…ここまで揃うと答えは1つだよなー。
友人の家でちょっとアレでエッチな本を見つけたかのように、妙に生暖かい気持ちを感じ、そっと本を棚に戻そうとした時、廊下から急に声が聞こえてきた。
「シグレー?どこにいったの~?」
急にいなくなった俺を探すミルカの声、別段緊迫したわけでも大きいわけでもない声だが、その声に俺はあわてふためく。
(まずい…、本を借りるだけのつもりが、とんでもないもん堀り当てて終わっちまう……!)
どんどんと近づく足音を耳で拾いながら必死で本をもとの場所に戻そうとするが、きつめに詰められていた本の間にはなかなか入りそうにない。ますます近づく足音に、本もガスガスとばかりに本棚に押し付けられる。が、入らない。
ガチャリ、とついにドアノブが捻られる音がした。
(クソッ、いっそこうなったら)
「なんだかゴソゴソ音がするけれど…シグレ?」
「あ、ああミルカか。久しぶりに本が読みたくてちょっとな、でなんだがこれ貸してくれないか?」
あたかも「今とりましたよー」と言わんばかりに棚から取り出す仕草を見せるようにして本を取り出す。指の位置も上に引っ掻けるような我ながら細かい演出だ。
「へぇ~、魔法についての本?剣が好きなシグレにしては珍しいチョイスだねぇ……うん?」
珍しそうに俺を見て微笑んでいるミルカだったが、本のタイトルをまじまじと見て急に動きを止めた。
「シ、シグレ?こ、この本はまかみを見て決めたのかにゃ?」
ギギギギと急にぎこちない動きになったミルカが上目遣いにこちらを見てくる。その視線はキョロキョロとあちこちに飛び、手は胸元の前でせわしなく動き、問いかけてくる顔は時間と共にどんどんと赤みを増し、その文句も噛み噛みだ。誰が見ても気付くような分かりやすい焦りっぷりに、仏のような穏やかさを持った笑みが浮かぶ。
「ん?いや、タイトルがそれっぽかったから選んだだけだぞ?」
「そ、そうなんだ……」
自作の小説がまだ読まれていないことにミルカは安堵の息をつき、小さく「ふひ~、危なかったよ~」と呟く。その言葉に、俺もそっと胸を撫で下ろす。どうやら上手く誤魔化せたようだ。こういうことに、俺も覚えが無いわけではないからな。
そう気を抜いたからだろう。俺は次の言葉を何も考えずに言っていた。
「んじゃ、これ借りていいか?」
「うん、…え?」
ピシッと再び固まる空気。
「ん、え…ええと…ええ!?」
「お…おう」
一瞬にして先程のやり取りの意味を無くしてしまった俺の言葉に、ミルカは再び顔を瞬間沸騰させ、俺も自分の発言の結果にたじろぐしかない。
アレッ?中身が取り替えられないこの状況詰んでない?
今更ミルカは「中身が違うから取り替えるね」とも言えないし、俺も「何か他に良さそうなのないか?」とかいってさりげに渡すことも出来ない。
(ヤバい、完全に詰んだ。それがミルカか俺かは判断に困るが…)
このまま持ち帰ってガッツリお読み申し上げるのも俺の意図する所じゃないし、見ればこの状況だけでミルカはもう目を回して『きゅ~』といいそうなほど真っ赤になってる。
「きゅ~」
実際に言った。あざと可愛い。
と、とりあえず何とか誤魔化さないと!と辺りを見回してみるが特にこれといったものはない。が、しかし。
ピシッ
(ん?)
壁にかかった袋、そんな何ともないものを見たときに俺の体は乗っ取られた。
(今度はマリオネット状態か、こんなタイミングで一体何なんだ?)
だんだんと慣れてきた操られる感覚に身を任せ、早々とことの成り行きを見守る事にする。
(今回は感覚も鈍くならないし、本格的にマリオネットみたいになったな。頑張れば口は動きそうだ)
「あ、あ~」と小さく呟き、体はフラッと動き出す。
「ええ~うう~……。あ、あのねシグレ、シグレ?」
羞恥で周りが見えていなかったミルカがようやく再起動し、フラッと動き出した俺に不思議そうな表情を浮かべる。俺が向かう先は先程見た壁掛けの布袋。それについて俺はゲームの知識を掘り起こしていた。
(ふぅむ…、確かあの中身は薬草とかの回復系アイテムが入っていたはずだな)
だから何なのだろうかと思うが、体はその前まで行き、おもむろに手を突っ込んだ。
「シ、シグレ!?一体何をやっているのかな!?」
後ろから何故かミルカの焦った声が聞こえるが、俺の手の動きは止まらない。袋の中身は案の定薬草が詰まっていた、先程まで作業していたのとは手触りが違うからこれから何か処理を施せばアレになるのだろう。
(練習のためとかそんなところだろうか、真面目だなぁ)
ミルカが後ろからグイグイと引っ張ってくるのが気になるが、この状態で俺に為す術はない、ただひたすらに突っ込んだ手を眺めているだけだ。その時、手の先で薬草とは違う感触の物に触れた。手はそれをまっすぐに掴み、迷い無く引っ張りあげてくる。
(柔らかい布の感触?で、悪くない手触り。一体なんだ?)
俺の戸惑いとは正反対に一気に引き抜かれたソイツを確認した瞬間、体の拘束は解かれ…自由が戻ってこない。
視線の先にあるそれ、2つの楕円形が一本の紐で繋がれた黒いそれは…間違いなく女性ものの下着、胸を支えるブラジャーその人である。
(設定では今のところ年齢は14、5歳だったな…)
思わずミルカの胸元に視線を落とし、言ってしまった。
「ちょ、ちょっと黒は早いんじゃないんですかね…」
「もぉ~~~‼‼」
先程よりも顔を真っ赤にしたミルカが言葉にならない声を上げて握った手でポコポコと叩いてくる。一応悪いのは俺なので甘んじて受けるが、あくまで女の子の細腕なのでそんなに痛くな…い、痛い!?痛いですよ!?てか、何か拳光ってるし!
最終的に転がって逃げるように室外へ飛び出して、近くに置いてあった薬草の箱を抱えて逃げるように作業場に帰ることになった。
後から来たミルカは未だに顔が赤かったが、怒っている様子はなく、本も貸してくれた。…渡してもらうときちょっと強めだったけどな。それを見たライクスが興味津々で聞いてきたのをかわすのにもうひと苦労することになったんだが、それは別の話だ。
因みに本はちゃんとした中身に変わっていて、ミルカの秘密は結果的に守られた。いっそばれた方がまだいいんじゃないかと思うような秘密を掘り当てる結果になったけどな。
アイテム:魔法学術書 を手にいれた