初戦闘
「ライ、ちょっといいかな?」
「ん、どうした?」
剣を軽く手の中で回し、感触を確かめた後、シグレは剣先でライクスの後ろを示した。そこに現れたのは四体のブニブニとした液体の怪物。
「後ろ後ろ、来てるよ」
「おお、試し切りにはちょうどいいじゃねえか。んじゃあシグレは左の二体を…」
そこまで言い掛けて、ライクスは急に言い淀み、シグレの方にちらちらと視線を送る。恐らくさっきの事を考えているんだろう。
「今の『僕』は大丈夫だよライ、任せてくれ」
ライクスの心配を消すように、シグレはライクスの言葉に先回りして応える。
「あれ?」「あん?」
シグレが『俺』から『元主人公』に戻ったことに気づいた二人が目を丸くする。そうして固まっている間に「じゃ、よろしくね」とだけ言ってシグレは走り出す。
体から主導権を完璧に奪われた後、俺はまるで被り物を被ったかのような感覚に包まれた。何もかもが鈍く感じられ、自分の手を動かそうにも手はピクリとも思うようには動かない。そんな感覚。
1回目の時は、何だかんだで感覚なんて確かめられるような冷静さは無かったし、色々と新鮮な感覚だ。
視界の中でうごめくのはブニブニとした体の中で体液がドロドロと気味悪くうごめく生き物、ゲーム序盤の敵として定番のスライムだ。一抱えありそうなくらいにずんぐりむっくりな体で滑らかな曲線を描き、序盤の敵なのに剣などによる斬撃属性に耐性があるなかなかクールこいつだが、無論強くない。それにはゲームの時はそうだった、という言葉を付けざるを得ないのだが。
俺がそう観察している中、外側であるシグレは軽い足取りでスライムへ走り寄り、なんの気負いもなく剣を振るう。シグレの振るうその剣はお世辞にも早いとは言えない剣線だが、まるでスライムに吸い込まれるように当たる。シグレはスライムのその身を削るよう三線した後、半分以上体液を散らされて動きの鈍くなったスライムへ止めとばかりに中心部の核を砕く。と、スライムは溶けるように崩れ始め、体から霧のような白い靄を放出しながら地面に消える。残った霧は吸い寄せられるようにしながらシグレの体に染み込んでいく。
「ふぅ、まずは一匹」
「っと、早いなおい。まともにこいつらと戦うのは今日が初めてだろ?」
一匹を軽々と倒し、シグレが一呼吸置いたところを隣で同じように戦うライクスが声をかける。
「たまたま上手くいっただけさ、もう一匹の方はこんなに上手くいかないかも知れないよ?」
「はっ、言ってろ。ならぜってー俺の方が早く倒してやるよ」
ニヤッと余裕の笑みを返すシグレに、ライクスも獰猛に笑い返す。
「二人とも怪我をしない様にね~」
「もちろん」「おうっ!」
少し離れたところからゆるい声援を送るミルカに不安そうな感じは無い、それくらいには幼馴染二人の腕を信用しているのだろう。声援に応じたライクスは再び駆け出し、弱らせていたスライムの一匹を数合ののちに倒す。
俺はそんな光景をシグレの内側からボーッと眺めていた。モンスターと戦う非現実な光景に、やっぱりここはゲームの世界なんだなと改めて自覚したり、『ライクスもなんだかんだ強いんだなー』とか、『仲のいい友人たちのこんな光景いいなー』とか、元の世界で最近連絡を取っていなかった友人たちを思い出して『あいつら元気かなー』と思ったり、要するに完全に傍観者気分でいたのだ。
しかしそんな時間もすぐに終わった。
「おろっ?」
瞬きと共に変わる景色、それは先ほどまでのような『内側』のものではなく『外側』のものだった。
手には確かな重みを感じさせる鉄の剣。数メートル先にはさっきまで元主人公が戦っていたはずのスライムが一匹。これはゲームで言う戦闘練習、ならばキャラクターとなった俺が全く戦わないなんていう道理は無かったのだ。しかし俺はそんな事をさっきまでの楽勝ムードの中で失念していた。具体的に言えば、スライムがむにょーんと体を伸ばして襲い掛かってくるまでただ傍観していたのだ。
パシュッ
と、軽めの音とともにスライムが飛んで来る。音と見た目だけ見れば割と可愛らしいが、そこにある敵意は本物だ。距離が半分ほど縮められた辺りで俺はようやく事態を理解し、とっさに剣を盾にしようと構える。が、その判断がいけなかった。少なくとも横に飛ぶなり倒れるなりすれば良かったのだが、よりによって俺は剣で受け止めることを選択してしまったのだ。その結果、スライムの体当たりは剣で受け止められる…ことは無く、そもまま剣にぺっとリとくっ付いた。
「んなっ!?」
スライムはそのまま弾かれることなく、体当たりの慣性を余すことなく利用して俺を押し倒してくる。上半身へ体当たりされた俺はしっかりと身構えていなかったのも合わせられて簡単に尻餅をつき、完全に押し倒される形になる。
「クソッ、コノヤロッ」
倒れた体勢からも何とか振りほどこうと剣を振り回すが、腕だけで振られた剣に力は無く、以外にもスライムの張り付きは力強くて剥がすことができない。
「システムにこんな攻撃無かったぞチクショウ!」
じりじりと上の方へにじり寄るスライムはそのまま顔に覆いかぶさり、呼吸器をその体で塞いでくる。
(子供のころスライムがやったら強いだろうなとか考えてた攻撃方法だけど、実際にやられるとかたまったもんじゃねぇ…)
剣を手放し、手で押し返そうとしてもその中へ引き込まれるだけで何の攻撃にもならない。焦りと無駄に体を動かしたせいで息が一気に苦しくなり、頭の中がチカチカしてくる。首には既に力が入らなくなり、逆さになった視界のなかでミルカと二匹目のスライムを倒し終えたライクスがこちらに走ってくるのが見えた。
息苦しさに悶えながらも手でひたすらにスライムの中をかき回し続ける。すると、指の先に固い感触のものが触れた。俺は千切れそうな意識を無理やりに繋ぎ止め、必死にそれを掴み取り、一息に引き抜く。プチプチッと妙に生々しい音を立てて核を引き抜いたのを確認して、今にも飛んでしまいそうだった意識への手を緩める。
(ああ…さっそく無様な所見られちゃったな……。言い訳…いや、二人には謝らなきゃな…)
体の上から重みが消えていくことに助かったという大きな安堵を覚えながら、心配そうに覗く幼馴染二人の顔を確認し、俺はその意識を完全に沈めた。
シグレはレベルが2に上がった