はじまり
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名前を入力してください。
シグレ
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シグレで宜しいですか?
→はい いいえ
データファイル1を作成しました。
緩やかな風が木を揺らし、木漏れ日がまぶたの表を刺激する。風はそのまま頬をくすぐり、遠くから聞こえてくる喧騒は深く意識を落としていた俺の鼓膜を優しくノックする。
「ん、うぅん……」
浮上しようとする意識を拒み、頭を僅かに動かしてちょうどいい木の窪みに再び頭を預け、もう一度眠りに落ちようとする。
「シグレ~………。起きてよシグレ~。危ないって」
遠くから誰かを呼んでいる声がする。
(誰だか知らないけどうるさいなぁ。近くで俺が気持ちよく寝てるでしょうが)
「いい加減起きて!今日は薬草摘み手伝ってくれる約束でしょ!!」
いい加減起きてやれよシグレとか言うやつ。
「いいもん、分かったよ。そっちがそのつもりなら…これでも食らえ!!」
「ぐあっ!?」
不穏な響きをはらんだ少女の声が聞こえた直後、小さな木の実が急に俺の目にビシッと当たった。これには流石に言ってやらねばと思い、重い頭を上げる。
(痛っいなぁ。誰が何の用か知らないけど目は駄目だろう、目は。それに人違いだ)
声のする方へそう返す…したつもりだが、口からは何も言葉は出てこず、そもそも頭も上がってない。その代わりに、俺の体はゆらっと傾きはじめた。
(うぉお!?なんかおかしい…っていうかここ木の上!?おおお落ちる落ちる落ちる!!)
制御の効かない体は重力に引かれて体は既に木の枝から大きくのりだしている、それでもやはり俺は悲鳴1つ上げられない。そしてそのまま無防備に、俺は木の上から落ちる。
「え、ちょっとシグレ!?」
焦ったような少女の声が上がり、俺の視界は一面の草原とそれなりに高さのある木々の幹が見える。『あ、終わったわ』と色々諦めたその時、ゆっくりと近づいていた地面がガクッとその動きを止める。
「えっ?ああ…」
下から少女の戸惑いと呆れの声が聞こえる。俺も自分自身が一体どうなっているのかが知りたいが、残念ながら目線すら動かすことができない。感覚からすると、今はコウモリのように木の枝に足だけを引っ掻けているのだろうか。しかし、そうやって止まっていたのも束の間、俺の体はそこからクルッと半回転し、枝を掴んだり飛び移ったりしてスルスルと木を下りていく。そして危なげも無く地面に降り立ったのだ。
(おぉ~、凄ぇ)
自分の事のはずなのに、俺は最早観客のような状態である。
「ってことになることもあるだろうからさ、木の上で寝てる人に木の実をぶつけるのは危ないと僕は思うんだよね、ミルカ」
スラスラと動く口はやはり考えてもいないことを話す。力を入れなくても立っていられるし、まるで操り人形だ。
「はぁ~、どうしてそんなに危ないことを平気で出来るかな。シグレのせいで、私はもう何回胃がキュッとする思いをしたのか分からないよ」
先程、体の方の俺がミルカと呼んだ少女は腰に手をあててムスッと返してくる。怒っているのは伝わるが、長い水色の髪の上、可愛らしく結ばれたリボンが動く度にフニャンフニャンと動くので余り怖くは無い。というか…。
「縮むのは心臓だろ、普通は」
…おろ?
「あれ、そうだったっけ?」
エヘヘ~とゆるく笑いながら照れるミルカだが、俺はそれに全くかまう余裕がない。
(声が…出た?ようやく、今更?何がきっかけで?)
いくつかの疑問はあるが、とりあえず俺は自らの体の主導権を取り戻したのだ。たったそれだけのことで心臓はバクバクと鳴り出し、膝は震え…る……。
ドサッ
震える足は俺を支えきることが出来ず、俺は膝から崩れ落ちるように地面に座り込んだ。
「っ!?シグレ!!」
崩れ落ちた俺の腕をとり『大丈夫?』と声をかけてくるミルカになんとか『大丈夫』と返す。何て事はない、これはただ単に体が恐怖を思い出しただけなのだから。普段インドア派の俺にはさっきの事はキツすぎたのだ。額には冷や汗が滲み、呼吸はどんどん早くなり、それこそ心臓はキュウと締め付けられ、早鐘のような鼓動は痛いくらいに早い。
とても動けそうに無い俺は、とりあえず深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。これだけで、ほんの少し軽くなった気分になる。あとは、しばらくこれを繰り返す。途中から、ミルカが優しく背中をさすってくれるのが何よりも有りがたかった。
しばらくすると、俺の調子も完全に元に戻った。
「ありがとう、もう大丈夫だ」
「ん、それは良かった」
そう言って笑うミルカの笑顔は柔らかく、温かい。それは、何回も見た覚えがある笑顔だった。ついでに言えば、ミルカという名前も、シグレという俺の元の名前とはほど遠い名前にも覚えがある。しかし、それについてどう聞こうか深く考える前にミルカに声をかけられる。
「なら、約束してた薬草摘み手伝ってくれる?お母さんたちが、まだ危ないから1人じゃ行ってはいけませんって言うんだ」
「ああ、分かった。ついてくよ」
まぁ、今更考える必要もないか。この展開、この配役、ならきっと、答えはすぐにやって来るだろう。
「お~~い、シグレーーー。持ってきたぞー」
ほら、言ったそばからやってきた。
「やっぱりお前かよ、ライクス」
「あーー、ライが鉄製の剣くすねて来てるー!」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえ!!ちゃんとこっそり金は置いてきたわっ!」
「どちらにせよ、誉められたことをしてねぇじゃん…」
ライクスの相変わらずな感じに、思わず脱力する。だが、これで確定だな。
主人公、ミルカ、ライクス。この三人は幼なじみで、それが俺が直前までやってたゲームの設定だ。つまりは。
「俺はゲームの世界に来て、それも主人公に成り代わってしまった…ってことか」
更に言えば、恐らくあの暗闇で俺を突き落としたのは元主人公で、さっきまで操ってたのも元主人公か。ってなると、あの場所での話も信じた方が良い…か?
「シグレ!早くこっち来いよ!早速使ってみようぜ」
「駄目だって、お父さんたちに怒られるよ!それにシグレとは薬草摘みの約束が」
人が考え事してるってのに、そんなことお構い無しな二人のせいで、考えがまとまらない。
「ああ~もうっ、薬草摘みも剣の修練も一緒にやれば良いだろっ」
結局俺は考えるのを止めて、いつの間にか少し離れていた騒がしい二人へ走る。
全く、なんとも楽しそうで奇妙なことになったもんだ。