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第79話 未来へのきざはし






「チェリカさん、チェリカさん!」


 扉を強く叩く音で、私は目を覚ました。 起き上がりベッドから抜け出し、上着を羽織って玄関へと向かう。


「助けて下さい、私の娘が……!」


 扉の鍵を開けるなり勢いよく入ってきたのは、幼子を抱えた中年の男だった。息を切らし、涙さえ浮かべた真剣な眼差しで、男は懇願する。その腕に抱かれた幼子の顔色は、ひどく青白い。


「お願いします!」


 頷くよりも先に手を伸ばす。指先に触れた幼子の額は熱く、首筋には発心が出ていた。何より、ぴくりともその体は動かない。

 触れたまま目を閉じ、集中する。男もまた息を飲み、見守っていた。


「………………パァパ……」


 額から手を離したその時、幼子が声を発した。その顔色は赤みを帯び、発心は消えている。そして今までぴくりともしなかった腕を懸命に伸ばしていた。


「ああ……!」


 男はその腕を取り、幼子を抱きしめた。その力が強すぎたのか幼子は男の腕の中で、苦しいよ、と呟いた。悪い悪い、と男は慌てて力を緩め、笑った。


「良かったです、私の【力】が役に立って」


 親子の微笑ましい光景に思わず頬が緩んだ。声をかけると、男は今思い出したかのように慌てながら、深々と礼をした。


「あ、ありがとうございます! 本当に何とお礼を言ったらいいか……。これは少ないですけれど――」


 男がごそごそと上着のポケットを探る。私はそんな男の手を制した。


「いりません。私、医者ではないですので」


 しかし、と男は渋ったがもう一度私が首を横に振ると、男は大きく息を吐いた。


「すみません、今は本当に持ち合わせが少なくて……お恥ずかしながら、ここに来る為の船代に消えてしまいました」


「気になさらないで下さい。これは私がやりたくてやっていることですから」


 何度も何度も頭を下げる男と、そんな父親の様子を腕に抱かれたまま不思議そうに見上げる幼子に、私は椅子に座るよう促す。戸惑いながらも男は席につき、幼子はその膝の上できゃっきゃっと笑っている。


「これでも飲んで温まって下さい」


 差し出したのは温めたスープだ。昨夜の残りだけれど、とりあえず体の冷えには効くだろう。


「いえ、そんな……ここまでしてもらっては……」


 そこまで言ってから、お約束のように男の腹が鳴った。男はばつの悪そうな顔をしてから小さく礼を言いスープの入った器を手に取った。幼子も親と同じく腹を空かしていたのだろう、手を伸ばししっかりと空腹を主張していた。

 よくよく見れば、親子ともどもずいぶんな薄着だ。冬に差し掛かろうとしている今の季節に、似つかわしくない格好だった。


「……どちらからいらしたのですか?」


 二杯目のスープを注いでから、私は尋ねた。船で来たと言っていたからには、別の大陸からやってきたのだろう。


「私達はシールスから。あなたの噂はかねがね聞いておりましたから。最果てに何人たりとも分け隔てることなく病を癒す治癒師がいる、と」


 大仰な呼称をむず痒く感じながら、男の続ける言葉に耳を傾ける。


「医師にさじを投げられ、途方にくれておりました。ましてや、他の治癒師に見てもらう金もなく……最後の、一縷の望みにかけてここへやって参りました」


「そう、でしたか……」


 ことん、と空になった器を幼子が置いた音が響いた。満腹になって満足したのか、今度は父親にべったりとくっついて甘えている。そんな子の頭を父親は優しく撫でた。


「遅くに授かった子で――ああ、諦めないで良かった……!」




 結局父子は長居することなく、この家を後にした。何度も振り返り頭を下げる男と、父親の腕に抱かれながら、こちらに向かって小さな手を大きく振る幼子を見送ってから、私は大きく息を吐いた。






 今から五十年前、世界は大きな変革を迎えた。それまで虐げられてきた【力】を持つ者達による政権奪取――それは大規模な、しかし過去にも起きたことのある、大きな歴史のうねりだった。


 統治者が変わることにより、世は乱れた。大なり小なり、【力】を持つ者と持たざる者との間に起きた争いは、数え切れないだろう。

 【力】がこの世界の表舞台に現れることによって生まれた治癒師や移動屋は、【力】を持たざる者に対しては法外な請求を求め、逆に持たざる者達はそんな彼らに反発し、また新たな諍いを生んだ。 しかし疲弊した両者はやがて、共存の道を見出だした。いや、共存の道を説く少数派の意見に、やっと耳を傾けはじめた。もう無駄に傷つき、戦うことを終わりにしたかったのかもしれない。

 だからといって、両者にわだかまりが全く残らなかったわけではない。

 【力】を持つ者達が処刑されてきたという歴史や迫害され生き抜いてきた記憶は、今でも彼らの意識に根深く残っている。そしてその逆も――【力】を持たざる者達は、【力】によって多くの血を流した先の戦いを忘れない、いや、忘れられるはずもない。


 同じ集落に居を構えながらも、両者は互いに必要以上の干渉をしなかった。無関心、というよりは、無駄な争いを拒んだ結果がそうだったと言えるだろう。そのまま時は過ぎていった。




 そして十年前、政権が奪取されてから長らく空位であった皇帝の地位は完全に廃止され、各町、村の代表者から成る領主制へと移行した。それは皇帝の言葉は絶対であった今までの世界の在り方と比べると、斬新かつ理想的な制度だった。

 代表者は各地から二名選出された。もちろん【力】を持つ者、持たざる者の両名だ。彼らの意見がまとめられ、国の意向として改革は進められていったのだ。

 帝都からももちろん二名が選出された。それはあの日別れたきりのユナと、アイリだった。






「……ふう」


 まだ残っていたスープを飲み干し、私は立ち上がった。そこでようやくまだ寝間着姿だったことを思い出し、着替えを始めた。ボタンを留める手に目が止まる。


「私も、年をとったわ」


 皺だらけの手をさする。かさかさの肌には昔のような潤いはない。長い年月が経った――そのことの証明だった。

 着替えがすんだ所で壁に立て掛けていた杖を取る。外に出る時、これはかかせない。古い傷跡が今になって疼くからだ。


「さあ、行こうかしら」


 杖を片手に外に出た。

 天気はいいが、冷たい風が体に染みる。近頃寒さはますます厳しくなった。雪が舞い始めるのも近いかもしれない。


 やがて見えてくる水平線と断壁、そしてその場所に佇む二つの影――辿り着いたのは最果ての崖。


 私には雨の日も、夏の暑い日も、真冬の寒い日も続けていることがある。もう何十年も続けている日課だ。それがこの最果ての崖への行き来だった。

 もう慣れたもので、目隠しをしても辿り着けるだろうというのは、恐らく大袈裟ではない。


 私は五十年前、カラファには戻らなかった。

 あの日、足の向くままここへ来てしまった後、帰れなくなってしまったのだ。この場所は私にとって辛い思い出ばかりで、カラファの方が平穏で幸せだった記憶はあるのに、なぜか動けなかった。どうしても、離れがたかったのだ。

 帝都に戻ることも、村に帰ることも出来なかった私が選んだ道――それは、ここで生きること。この最果ての崖を臨むこの家に住み着くことだった。


 たった一人の生活には常に孤独が付き纏った。それでも続けられることが出来たのは、この【力】のおかげだ。

 【力】が咎められなくなった世で新しく現れたのは、個々の【力】を職業として生かす人々だった。例えば怪我や病を癒す【力】を持つ者は治癒師として、瞬時に移動することの出来る【力】を持つ者は移動師として重宝がられた。私もまた、治癒師として生きることを決めた。金を得る為ではない。この孤独から逃れる為だった。


「……おはよう」


 墓標の前にひざまづき、いつもと同じ言葉を放つ。

 何か特別なことをするわけでもない。誰しもがするように花を手向け、祈るだけ。けれどここに眠るのは私自身と、あの女性。祈るのは冥福だけではない。

 祈り願うのは、あの女性の死の間際の言葉。キール将軍が和解の議で願った未来。そしてそれは、叶いつつある。

 だからこそ。

 だからこそ、願う。


「共生の道を――」


 叶いつつあるのは、それを願うのが私だけじゃないから。だからこそ、覆されてはいけない。同じ願いを抱いて、無念のままに死んでしまうなど、あってはいけない。もう二度と――。

 けれど、きっと叶えられるだろうと思う。私には希望が見えていた。ユナやアイリ達が紡いでいく世界に。

 言うなれば、今はまだ新たな世界に行き着く階段の途中なのだ。



 道中に摘んできた花を手向け、立ち上がる。


「じゃあ、また明日」


 それもまた毎日繰り返す言葉。

 踵を返し、二つの墓標に背を向けて、まっすぐ前を見て歩き出す。

 潮騒は徐々に小さくなり、自分の大地を踏み締める音だけが響いた。











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