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希望 ---それは、始まり・2---




 お姉ちゃんが出て行ったということを聞いたのは、翌朝のことだった。




「……え?」


 それは予想もしない出来事。

 きっとこれからは一緒にいられる、そう思っていたから。


「……彼女は、自らこうなる道を選んだ。証明された真実を、己で覆すことによって」


 告げられた言葉の意味を理解することが出来ず、私はただ立ち尽くすしかなかった。


「追いかけなくていいの?」


 そんな私に声をかけてきたのは、アイリだ。しかし私が首を縦に振るとアイリは、ふうん、と呟いた。


「……あの人は、どうしてあんなこと言ったんだろう。認めればよかったのに……本当のことなんだから」


 続けた言葉を受けて振り返るとアイリと目が合った。赤くなった目には、困惑の色が浮かんでいるように見える。


「私、あの人のこと知ってるんだ。シィンと一緒に、一度だけ会ったから。それに分かっちゃうから、【力】を持ってる人のこと」


「そ……う、なの?」


 頷くアイリ。二つに結わえた髪が揺れた。そのまま私の隣に来ると、寝台に腰を下ろした。


「ごめんね、隠してて。……お兄ちゃんのことも」


「……」


 もういいよ、なんて言えなかった。ごめんねと言うアイリの言葉を素直に受け取れなかった。

 だって、お兄ちゃんはたった一人の家族だった。お姉ちゃんは家族以外で家族のように親身になってくれる、たった一人の人だった。

 でも、もういない。


「……泣かないで」


 かけられた言葉にはっとする。また涙が溢れていた。もうお兄ちゃんもお姉ちゃんもいない、そう考えるだけで涙は止まらなかった。

 泣いたって、戻って来るわけじゃない。それは分かっているのに――。


「お兄ちゃん……、お姉ちゃん……」


 目を閉じると、ついこの間のことのように思い出される平和な日常。

 寝起きの悪いお兄ちゃんを、苦労して起こしてからとる朝食。うまいよ、と言ってスープを飲むお兄ちゃん。

 私が発作を起こせば、何より早くお医者さんやチェリカお姉ちゃんを呼んできてくれた。

 優しい、優しいお兄ちゃん。

 チェリカお姉ちゃんは、【力】があるということも隠さず、いつもその優しさと【力】で癒してくれた。

 そんな日常が壊れてしまったのは、お姉ちゃんが帝国軍に連れていかれてしまってから。

 チェリカお姉ちゃんを助けに行くと出ていったきり、お兄ちゃんは戻らなかった。ところが、お兄ちゃんが帝都に向かってから一ヶ月後、チェリカお姉ちゃんはひょっこりと帰ってきた。

 けれど、今思えばあの時点でお姉ちゃんの様子はどこか変だったのかもしれない。話は噛み合わず、ひどくうろたえているように見えたし、お兄ちゃんのことを聞くと、青ざめた顔で部屋を出ていったきり戻らなかったのだ。

 そして私は、また一人ぼっちになった。そのかわり突き付けられたのは、皇帝陛下殺害という罪をお兄ちゃんが犯したという信じられない現実。

 ……それからのカラファでの毎日は、思い出したくない。直接的な暴力を受けたわけじゃない。けれど、人々の向ける視線は冷たく、投げ掛けられた言葉には悪意が込められていた。


 どうしようもなく怖かった。

 たった一人家にこもり、目を閉じ、耳を塞ぐ日々が続いた。

 どうしてお兄ちゃんは来てくれないんだろう、と。


 そんな生活を救ってくれたのは、キール将軍だ。カラファの家を訪れたキール将軍に連れられ、私は帝都へと赴くことになったのだ。

 道中、同じ馬の背に無言で揺られていた時、本当は怖かった。どうなってしまうのだろうと、声を出すことさえ出来なかった。

 そんな私の髪を撫で、将軍は言った。遅くなってすまない、と――。

 涙が出た。

 ずっと、ずっと心細かったんだ。お兄ちゃんもお姉ちゃんもいなくなって、たった一人になってしまったから。


 帝都にあるキール将軍のお屋敷は、とても広く、その中の一室が私に与えられた。

 将軍は私のお兄ちゃんについて、深く聞いてきたりしなかった。ただ一度だけ――お兄ちゃんの皇帝殺害の事実が告げられた時にそれを突っぱねた私に、ひとこと短く言ったんだ。出会った時に言った詫びの言葉を。


 お屋敷で過ごした日々は、忘れていた安息の日々だった。けれど、それもすぐに終わることになる。


 その日、お屋敷は異様なざわめきに包まれていた。いつもは私の部屋の前にもぴたりと張り付いている警備の兵士もおらず、お屋敷に何人もいる女中も慌ただしく走り回っていたのだ。

 聞けば広場で大きな事件があったと言う。キール将軍と屋敷にいつも配置されている兵士は広場に出張っており、将軍の指示で大怪我を負った女性がこの屋敷に運び込まれたらしい。それがチェリカお姉ちゃんだということが分かるのに、時間はかからなかった。

 ひどい怪我だった。ひょっとしたらそのまま目覚めないかもしれないと思ってしまうほどの。


 けれどチェリカお姉ちゃんは目を覚ましてくれた。そして言ってくれたんだ――一緒にお兄ちゃんを探しに行こうって。


 結局それは、キール将軍によって止められてしまったけれど、それでも私は嬉しかった。やっぱりチェリカお姉ちゃんはチェリカお姉ちゃんなのだと、ほっとしていた。


 でもその時私は、お姉ちゃんとたった数日間しか一緒にいることが出来なかった。

 それは、あっという間の出来事。

 部屋で眠っていた私は、体が浮き上がることで目を覚ました。けれど口は塞がれ、声を出すことは出来ない。恐怖だけが募る中、あの横顔だけは今もはっきりと覚えている。黒髪にエメラルドグリーンの瞳――ただ、それだけは。


 それから後のことは、はっきりと思い出せない。狭い部屋に閉じ込められ、何度もぶたれた。そこで、私の記憶はぷつりと途切れている。




 目が覚めた時は、全てが終わっていたのだ。





「――――ねぇ」


 アイリの声で我に返る。見ればアイリの手にはいつの間にか黒いマントが握られていた。それを差し出し、にこりと微笑む。


「行こう」


 短くそう言うと、アイリは黒マントを私に押し付けた。そしてもう片方の手で私の手を取る。


「ど、どこへ?」


 その勢いにつられて、思わず尋ねる。アイリは微笑んだまま、黒マントを羽織りフードまですっぽりと被った。


「大丈夫、すぐ近くだから」


 その手に引かれるまま走り出す。合間にアイリと同じように黒マントを羽織り、フードを被るのを忘れずに。



 長い廊下に、ぱたぱたと二つの足音が響く。沢山ある小窓から覗く空は暗い。誰もが寝静まっているような時間であることに気付いたのはその時だ。

 そのまま廊下を抜け、ホールを抜け、エントランスを抜けた。どうやらアイリは私を外に連れ出そうとしているようだった。


「か、勝手に外に出ていいの……!?」


 アイリは答える変わりに、私の手を強く引いた。それに逆らう理由もなく、訳もわからないまま、私達は外へと飛び出した。



 アイリの言葉に偽りはなく、目指す場所はお城のすぐ裏手にあった。そこにあったのは庭園。夜だからなのか、ひどく静かなその場所は、厳粛な空気に包まれているようだった。


「はい、これ」


 そう言ってアイリはいつの間にか携えていた白い花を私に手渡してきた。

 私はそれを受け取り、辺りを見渡した。周囲にはこれと同じ花があふれるほどにある。まるで暗い道を照らすかのように、その白さは暗闇に映えていた。

 そしてそれは、その先ににある十字架をくっきりと映し出していた。


「ここは……」


 尋ねるまでもなく、その花を渡された意味は分かった。吸い込まれるように、その場所へと一歩一歩を踏み出す。

 沢山の白い花が手向けられた十字架。そこに刻まれている名は、イリア・フェイト――それは私のたった一人のお兄ちゃんの名。これはお兄ちゃんのお墓なのだ。

 目頭が熱くなり、鼻の奥がつんと痛んだ。なぜ来てくれないのと、たった一瞬だけ――一瞬でも思ってしまうこともあった。

 でも、それでも。


「……っ」


 大好きな大好きなお兄ちゃん。

 こんな形でお別れになるなんて思ってなかった。


「お兄ちゃん……っ!」


 私知ってるんだよ。

 私を起こしてくれたのは、お兄ちゃんだよね。あの長い暗闇から助けてくれたのは、イリアお兄ちゃんだよね。

 お兄ちゃんは、ちゃんと私のところに来てくれていたんだよね……。


「私……怒ってなんかないよ」


 夢の中で聞いた、詫びの言葉。

 私が聞いた、お兄ちゃんの最後の声。

 それは、儚く、消え入りそうで。


「恨んでなんかないよ……っ」


 溢れる涙を抑えられない。白い花を握る手に力が入る。

 あの時、その声に言葉を返すことが出来なかった。今はこんなにも伝えたい言葉に溢れているのに。

 だから、今。

 届けてほしい。この沢山の白い花に込められた想いと一緒に。


「大好きだよ、お兄ちゃん……!!」


 花を置き、瞼を閉じる。

 瞼の裏に映るのは、お兄ちゃんの笑顔。二度と見ることは出来ない、優しい顔。

 もう、二度と――。




 その場所で、私は涙が枯れるほど泣いた。けれどやっぱり、涙は枯れることなく、溢れ続けた。





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