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希望 ---それは、始まり・1---



 ずっと、夢を見ていた。

 暗く、長い、終わりのない夢を。


 私はただうずくまっていた。あの時みたいに、全てから目を逸らし、耳を塞いでいた。早くこの夢から覚めることを、願っていた。


 そんな夢の終わりは、ある日唐突にやってきた。


 ――ユナ――


 それは、声。

 近く遠く、響く声。

 けれど、姿は見えない。


 ――ごめんな、ユナ――


 ふわりと、頬に何かが触れた。

 そして――










「ユナ」


 いつの間にか隣に立っていたあの子の声で、私は顔を上げた。そこにいるのは焦げ茶色の髪の女の子――アイリ。


「泣いてるの?」


 言われて、袖で顔を拭う。涙で濡れたシーツの上に毛布をかぶせ、慌てて隠した。

 けれど、よくよく見てみるとアイリの目も少しだけ赤いように見えた。アイリも泣いていたのかもしれない。この子も、お兄ちゃんのような人をなくしたと言っていた。私をここにさらってきた――シィンという名前の人のことだ。


「……泣いてなんか」


「あの人、出てったって」


 私の言葉を遮ってアイリが言った。一瞬その言葉の意味が分からず、固まってしまったけれど、それがチェリカお姉ちゃんのことだと分かって思わず立ち上がった。





 地下牢で倒れていたチェリカお姉ちゃん。私がそのことを知ったのは、お姉ちゃんが城内に運び込まれてからだ。始めはお姉ちゃんがいる部屋に入ることすら出来なかった。そこにいるのは重罪人だからと大人達は 言ったけれど、それでも私はどうしてもそこに入りたいと頼み込んだ。なぜならば、事前に目を赤くしたアイリに聞いていたからだ――お兄ちゃんを殺したという人間が再び現れた、と。

 私がお兄ちゃんが死んだと知ったのもまた、その時だった。耳を疑いたくなるような事実に目眩を覚えながらも、それでも聞かなくてはならなかった。私の、たった一人のお兄ちゃんのことなのだから。


 お兄ちゃんは【力】を持たない一人の女に殺されたという。どうしてそんなことになってしまったのか、そこに至るまでの経緯は知らない。その事実は、ショックを受けてしまっては可哀相だから、と私には隠されていたからだ。ただ一人の家族なのに、葬儀さえもが滞りなく終わったことすら、何も知らされていなかったのだ。

 だから、もうそんなのは嫌だと思った。

 たとえそれがどんなに悲しい事実だったとしても、私だけ何も知らないのは、もう――。



 何度も何度も頼み込んで、ようやく入ることが許されたその部屋で眠っていた人――それこそが、チェリカお姉ちゃんだった。


「チェリカ……お姉ちゃん?」


 沢山の人が見下ろすその視線の先で、チェリカお姉ちゃんは死んだように眠っていた。

 私が上げた声に、人々がいっせいに振り返る。そんな彼等を掻き分けお姉ちゃんの元へと駆け寄ろうとする私の手を誰かが掴んだ。


「近付かないほうがいい。この女はイリア殿を……殺した【力】を持たざる者だ」


 その言葉に思わず耳を疑う。

 何を言っているのだろう、と思いながら体側越しにベッドに横たわるお姉ちゃんを見た。

 その顔は泥だらけで、服もぼろぼろだった。髪も乱れていたし、服には大きな黒い染みが広がっている。それでも確かに、そこにいるのはチェリカお姉ちゃんだ。あの日、キール将軍のお屋敷で別れたきりの、チェリカお姉ちゃんだ。


 けれど、いくら名前を呼んでも、お姉ちゃんはぴくりともしない。目を固く閉じたまま、ただ微かに寝息をたてているだけだった。


「お姉ちゃん! チェリカお姉ちゃん……っ!」


「……もう戻ったほうがいい。おい、アイリ、一緒について行ってやれ」


 私の手を掴みながら言った男がアイリに向かって手招きする。私はその手を振り払って叫んだ。


「違うっ!」


 静かな部屋が、一段と静まり返る。みんなの視線が私に向けられた。


「違う、違うよ……。この人は、チェリカお姉ちゃんだよ。お兄ちゃんを殺すなんて、そんなはずないよ……っ!」


 涙が溢れた。

 予想もしない再開に、そしてそんなお姉ちゃんにかけられた途方もない疑惑に。そんなはず、あるわけないのに。


「お兄ちゃんは、お姉ちゃんを助けに行ったんだよ! 【力】を持つせいで、帝国軍に連れていかれたチェリカお姉ちゃんを助けに!」


 辺りがざわめいた。それでも構わずに叫ぶ。


「どうして……どうしてお姉ちゃんがそんな風に言われてるの? お兄ちゃんが……死んじゃったことだって私には教えてくれないし! たった一人のお兄ちゃんだったのに……!!」


 全部知りたかった。子供だからって除かれることなく、ここに至る全ての出来事を教えてほしかった。

 それがどんなに悲しいことでも、どんなに残酷なことであっても。


「もう嫌だよ! ねえ、全部教えてよ!! お兄ちゃんのことも、今何が起きているのかも……!!」


 言い終えた頃には息切れをしていた。周りを見渡したけれど、誰も口を開こうとはしない――ただ一人を除いて。


「……そうだよ。教えてあげなきゃ、だよ。だって、もうおじいちゃんと……シィンはいないんだから」


「アイリ……?」


 その時、アイリが泣いていることに気付いた。なぜ泣いているのかは、分からない。けれどその大きな目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。


「……シィンは嘘なんか、ついてないんだよ……」








 お姉ちゃんが眠る部屋で、ぽつりぽつりと人々は口を開いていった。

 破壊の【力】を持つお兄ちゃんに、この人達は助けを求めたということ。帝国を打ち倒すべく願いは、その【力】のもと、叶ったということ。けれどそれを境にお兄ちゃんがいなくなったということ。程なくして、息絶えたお兄ちゃんを背負い、チェリカお姉ちゃんが現れたということ。そしてお兄ちゃんを危めた罪で処刑されようとしたチェリカお姉ちゃんは、その最中消えてしまったということ。


 聞けば聞くほど、現実味がなかった。でもキール将軍からお兄ちゃんが皇帝陛下を殺めたということを聞いていたから、きっとそれは本当のことなのだろうと思う。

 けれど、チェリカお姉ちゃんに関しては、紛れも無い誤解だ。お姉ちゃんがお兄ちゃんを殺すなんてあるわけがない。絶対に――!


 人々の話は、まだ終わりではなかった。ダリウスとシィンという人もまた消えたのだと言う。そしてその代わりに再び現れたのがチェリカお姉ちゃんだ。



 ただ嬉しかった。話が終わってからも、嬉しさだけが胸を占めていた。もう二度と会えないと思っていたから。私は、一人ぼっちなんだと思っていたから。

 だから、目覚めるのが待ち遠しかった。何度もお姉ちゃんの名前を呼んで、その時を待っていた。

 それなのに――。






「あなたに兄弟なんていないでしょう、ユナ」


 それは淡々とお姉ちゃんの口から紡がれた言葉。その言葉の意味が分からなかった。けれど嘘であるはずもなかった。お姉ちゃんはそんなたちの悪い嘘はつかない。何より、あの状況で嘘をつく理由もない。


 お姉ちゃんは知らないと言い切った。キール将軍の屋敷で一緒に助けに行こうと言った、お兄ちゃんのことを。

 私が泣くと、心底困ったような顔をした。本当に、分からないのだ、と。


 今まで起きたことや私のことは分かっているのに、お兄ちゃんのことだけ、ぽっかりと記憶から抜け落ちているかのようだった。



 嘘なんかじゃないことは分かってる。けれど嘘だと思いたかった。

 お姉ちゃんが、お兄ちゃんのことを忘れてしまうなんて――。





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