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第77話 くいちがう言葉





「あんたは、チェリカ・ヴァレンシア……なのか」


 何度聞かれたのか数えるのすら億劫になる問。私は、当たり前のことを当たり前に答えるしかなかった。だって、答えるべき言葉はひとつしかない。


「……そうよ」


 室内は静まり返っていた。病を癒す【力】を見てざわめき始めた人々をあの部屋に残し、私達二人だけ場所を変えたのだ。男に促されるままに訪れたのは、開けた瞬間花のような香りが広がる、まるで広間とも呼べるほどの、それは広い部屋だった。

 沈黙が落ちる。

 その静けさに耐え切れず、私は辺りを見渡した。美しくもありながら豪勢な雰囲気を醸し出す調度品は、白と金を基調に揃えられている。今腰掛けているこの白い皮張りのソファも、驚くほど坐り心地がいい。壁には風景や静物を描いた絵画があり、敷かれている真っ赤なカーペットはそこに足をついているだけで、上質なものであることが分かる。中でも目をひいたのは、この広い部屋でも群を抜いて存在感を放つ天蓋だった。

 どんな人間がこの部屋を使っていたのかと興味を引かれたが、とりあえず目の前の男の反応を待つ。と言っても、きっと返される言葉は変わらないだろうけれども。


「……まさか。それならば何度も聞くが、なぜ? なぜイリア殿のことを知らない?」


「何度も同じ答えで悪いけれど、そんな人、私は知らない。でも、私の名前はチェリカ・ヴァレンシアよ」


 怪訝な表情をする男を見て、思わずため息をついた。

 おかしい。みんな、何かが変だ。なぜ、聞いたことのない人の名をこうも尋ねるのだろう。

 何度問われても答えは変わらないのに、私がさも知っていて当然のように尋ねる口調に違和感を感じた。まるで私がおかしくなったのではないかと、錯覚しそうになる。


「……」

「……」


 繰り返される沈黙と同じ問いかけ、そして同じ答え。誰もが寝静まった時間に、この沈黙は耐え難く、耳が痛くなった。

 二度目のため息を吐いた時、男が静かに立ち上がった。私に向けられていた褐色の瞳が天蓋に向けられ、そのまま男は歩き出す。

 今だに彼が私をここに呼んだ意図は分からなかったが、とりあえずもう取って捕まえられるような危険がないことだけは分かっていたので、私はソファに体を埋めたまま、男の動向を見守った。

 男は寝台の傍らまで進むと足を止め、振り返った。


「ここへ」


 そしてひとこと。

 そう促すことの意味は分からない。しかし、男が向ける真摯な眼差しに答えなければならない気がして、私は立ち上がり彼の元へと向かった。

 そこで目に映った光景に、思わず息を呑む。

 花、花、花――大きな寝台に、溢れんばかりに置かれているのは、沢山の白い美しい花。それは、死者を悼む大きすぎる花束だった。

 この花が、この場所にこんなにもあるということの意味。それを理解するのは、容易い。


「……誰か、亡くなったの」


 男は静かに頷いた。

 私を手を伸ばし、その中の一輪を取った。茎も葉もまだみずみずしく、花弁もまだその力強さを残している。それからも、この花が手向けられてから、まだ日が浅いことが窺えた。


「……?」


 花を取ったその場所に黒い何かが見えて、私は顔を近付けた。どうやらそれは服のようだった。私はそれを手に取り目の前に広げた。

 私でさえもそうだと分かる、黒く艶のある上等な生地。胸と裾に施された金糸の刺繍。しかしその腹の部分には、突かれたような穴が空いていた。


「それを見て、何も思わないのか?」


 男を見やると、その褐色の瞳は真っ直ぐ私に向けられていた。もう一度、黒い衣服に視線を落としてみたが、その言葉の意味は分からない。

 沈黙を答えと受け取ったのか、男は首を横に振った。


「……シィンさんの言葉もアイリの言葉も、そしてイリア殿の妹の言葉も正しいと言うのなら、なぜ」


「ちょっと待って」


 男の言葉を遮る。それはともすれば聞き逃してしまったかもしれない。けれど、今はなぜか耳に残る。


「イリア殿の妹というのは、ユナのことを言っているの?」


 男の表情は変わらない。ただ真摯に、真っ直ぐ私に視線を向けている。


「ユナに兄なんていないわ」


 それだけは、はっきりと言い切れた。カラファにいた時から、あの子は一人だった。兄弟はおろか、両親さえもいなかったのだ。

 それなのに、何を言っているのだろう。この男だけじゃない、さっきのユナだって――。


「……意味が、分からない」


 私は黒服を元の場所に戻した。その拍子に、白い花が一輪、はらりと足元に落ちた。私はそれを拾うことなく、息を吐いた。

 意味が分からない。それが率直な感想だった。ここに呼ばれたことも、ユナやこの男の言葉も、一体何の意味を持つというのか。分からない――。

 その時、男が口を開いた。


「……俺には、あの時のあんたの言葉が真実だったと確証を得た俺達に対して、それを覆そうとする今のあんたの言葉の意味が分からん」


「……?」


 男は足元に落ちた花を拾い上げると、再び寝台の花束の上にそれを添えた。


「あんたの名が、チェリカ・ヴァレンシアだというのなら、俺達はその名を知っている。イリア殿の口から、はっきりと聞いている。救えなかった人の名だ、と。」


 イリア――それは何度となく聞く名前。

 けれど、それで何かが揺らぐわけでもなく。ただ、耳に残る。


「そしてあんたは、イリア殿の亡骸を背負い現れた。そして、言ったな。私は殺してない、と」


「……私が?」


 確かに私は捕らえられ、広場の十字架に張り付けにされた。火を放たれ、あの日の記憶を再体現したことで私の記憶は全て戻り、消えた。そして、気が付いたら、シィンの元にいたのだ。

 今でも鮮明に蘇る記憶の中で、私はこの男が言うような言葉を言った覚えはない。


「……他の誰かと、間違えていないかしら」


「間違い? これが、間違いや偶然だと? イリア殿が救えなかった人の名がチェリカ・ヴァレンシアで、それと同じ名のあんたが消えたイリア殿を連れ帝都に戻った。シィンはあの時何と言ったか覚えているか? あんたがイリア殿にとって大事な人だ、とそう言ったんだ」


「……そんなこと」


 覚えてない、と続けようとして止めた。全く身に覚えのないことだったが、男の向ける刺すような視線が痛かったからだ。



「きわめつけは、あんたのその【力】だ。病を癒す【力】を俺達は目の当たりにした。……あんたは、【力】を持っていた――俺達の同士だった。シィンさんの言ったことは、正しかった……!」


 男は俯いた。その肩は震えている。


「イリア殿の【力】が病だということも、恐らくは……真実。望むことで、願うことで、俺達があの方を死に追い込んだ。……シィンさんがダリウス殿に反目することになった経緯も、その辺りにあるのだろう」


 まくし立てるようにして言葉を並べてから、男は嘆息する。

 私はただ聞いているしかなかった。こうまでして言われても、どこかピンとこない。その状況を確かに知っているはずなのに、どこか他人事のように思う自分がいた。


「……私は、知らないわ。そんな名の人は――」


 知らない。

 結局、私はその答えを繰り返した。男は、そうか、と一言だけ小さく呟いてうなだれた。

 ふと顔を上げ窓をみやると、うっすらと空は明るい。いつの間にか長い、長い夜が明けようとしていた。夜明けを告げる鳥の囀りが、遠く聞こえる。


「……もう、いい」


 弱々しく掠れた声で、男は言った。うなだれたまま、拳を握り締めながら。


「もう、出ていってくれ。あんたは――あんたがそう言うなら、俺の言葉は間違っているのだろう。ならば、あんたがここにいることを、俺は許してはいけない」


 ぴしゃりと言い放つ。その顔は背けられ、褐色の瞳は見えなくなった。


 意味が分からなかった。この場所に呼ばれたことも、何度も口にする人の名のことも、そして今目の前の男が言い放った言葉の意味も。

 何もかも、分からない――。


 けれど、これ以上この場に留まることも出来ず、私は踵を返した。

 扉に手をかけ、ひく。そこで一度足を止めて、ひとこと。


「ユナを、お願い」



 呟くように、囁くように。

 扉は音もなく、閉まった。




 

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