第76話 力が示す真実
「チェリカお姉ちゃん!」
酷く懐かしい声で、私は目を覚ました。 この声は――ユナ。
「ユ……ナ……――っ!?」
視界が開けた先に現れた、想像以上の顔の多さに言葉が詰まった。
ユナをはじめ、覗きこむ顔、顔、顔。その一つ一つが険しい顔をしていて、萎縮してしまう。どこかで見たような顔もあるような気がした。けれど、どこかと聞かれれば、分からないと答えるしかない。
「……私」
しかし、何よりも解せないのは、今なぜ私がここにいるのか、そしてなぜこんな沢山の人々の視線の先で眠っていたのか、ということ。
私は地下の牢にいたはず。何もかもが、もやがかかっているかのように曖昧だった。
「チェリカお姉ちゃん、大丈夫?」
「……?」
ユナが視線を泳がせた。そして口を開く。
「……チェリカお姉ちゃん、無実の罪で殺されてしまうところだったから」
無実の罪。その言葉にもぴんとくるものがなく、首を傾げる。
ユナはそんな私の様子を見て続けた。その瞳が潤んでいることに気付き、私は上体を起こし手を伸ばした。
「チェリカお姉ちゃんが、お兄ちゃんを……殺すなんて、そんなことあるわけないのに」
涙が伝う。それからは堰を切ったように褐色の瞳からは涙が溢れ出した。
しかし泣き続けるユナに私は違和感を覚えた。その小さな口から発された『お兄ちゃん』という言葉。ユナに、兄なんていないのに。あえて言うならば、私達がそれに近いものはあるだろう。同じ村に住み、何度もこの【力】で彼女の発作を治してきたのだから。
「ユナ、お兄ちゃんって……あなたには――兄弟はないでしょう?」
そう言った瞬間、ユナの泣き顔が歪んだ。何を言っているのか――今の私の言葉を怪訝に思うような表情に見えた。
「お姉ちゃん……、本気で、言ってるの?」
お兄ちゃんだよ、とユナは続ける。しかしそう言われても、心当たりはない。
幼いながらも、たった一人で暮らすこの子に、私は感心していた。だからこそ世話を焼くこともあっただろう。妹のようにも、思っていた。
「イリアお兄ちゃんだよ……!?」
涙ながらに、一生懸命に兄だという名前を訴えるユナ。
けれど、私はイリアなんて知らない。
ユナはどうしてしまったのだろう。どうして兄がいるなんて思い込んでしまっているのだろう。
この一連の出来事に対する心の傷が、ありもしない兄という存在を、この子に想像させてしまっているのだろうか。
「ユナ……」
ユナは布団に顔を突っ伏し、泣きはじめた。それを宥めてやりたかったが、その術が見当たらない。
知っている、と嘘を言うのは簡単だ。けれど、それでことが解決するとは思えなかった。
ユナの泣き声を背に、辺りがざわつきはじめた。誰彼もがひそひそと耳打ちをしている。そんな彼等の私を見る目が鋭くて、俯いてしまう。
そんな中、一人の男がずいと進み出てきて、私は顔を上げた。
その男は牢で私を見つけた男だ。私と、アイリという少女の口から、シィンとダリウスの真実を聞かされ、唖然としていたあの男だ。
よくよく見れば酷く屈強な男だった。しかしその目つきは鋭いが、頼りなくも見える。
「本当なのか?」
神妙な面持ちで男が聞く。何を、と問い返す前に、男は再び口を開いた。
「本当に、あんたは……イリア殿を殺していないのか」
また、だ。
もう何度目だろう。『イリア』という名前を聞いたのは。
けれど、何度聞いてもその名前に心当たりはない。ましてや、その『イリア』という人が、ユナの兄だという記憶もない。そもそも、ユナに兄はいないのだから。
私は、男の問いには答えられなかった。その問い自体が、おかしい。
「お姉ちゃんじゃ、ないよっ! チェリカお姉ちゃんは、お兄ちゃんを殺してなんかないよ……っ!!」
何も答えられない私に代わって、声を荒げたのはユナだ。瞳からは涙が溢れていたが、それでもその芯は強い。ユナは小さな体を奮い起こし、男にぶつかっていった。
「ひどい! ひどいよ……! お兄ちゃんのこと教えてくれなかっただけじゃなく、チェリカお姉ちゃんまで……!!」
小さな握りこぶしで、ユナは男の厚い胸板を殴り続けた。
男は、決してそのことに痛手を被ってはいない。しかし困惑しているように見えた。視線が泳ぎ、暑くもないのに額には汗が浮かび上がっている。
「違う、違うんだ……。俺は、俺達はダリウス殿の命で……」
「ダリウス」
男の口から発された名前に、思わず反応する。ダリウス――それは、反帝国組織の指導者の名だ。
その名はもちろん、長くたくわえられた白い髭も、枯れ枝のような細い手も、嗄れた声も、皺の刻まれたあの顔も、ありありと思い出すことが出来る。
その老人に対して抱いた、深い怒りや憎しみも――。
「――――?」
怒り? 憎しみ?
確かにそんな負の感情を抱いた記憶はあるのに、その理由が分からない。
「……そうだ、ダリウス殿に聞いてもらえれば……!
なあ、と男が同意を求めるように周囲を見渡した。しかしユナは怯まなかった。
「その人だって、どこか行っちゃったじゃない! もう、やだよ……、もう私から誰もとらないで……!」
「……そうだよ」
いつの間にか大人達の間をするりと抜けて現れた少女が、ユナの隣にやって来た。アイリだ。
「シィンだって、いなくなっちゃったよ。シィンは……何にも悪いことなんてしてないのに。それなのに、みんな……!」
「アイリ……」
そこで男は言い淀んだ。その視線が再び私に向けられる。
「……あんた、もしかして【力】を持ってるのか?」
それは、先程の問いに比べれば圧倒的に簡単なものだった。はいかいいえかで問われれば、答えはこれしかない。
「持ってるわ。病を癒す【力】を」
周囲が息を飲む気配がした。何かおかしなことを言ってしまったのだろうかと思いながら、周りを見渡す。
「そんな、本当に――」
告げた瞬間、頭を抱えうなだれる男。呻きにま似たため息が周囲から漏れ聞こえた。そんな中、アイリのが声を大にする。その声は震えていた。
「シィンは、嘘なんかついてないのに! みんながシィンのこと信じてあげないから……だから、だから行っちゃったんだよ。私達のこと、置いて行っちゃったんだよ!」
少女は叫びながら、ぼろぼろと涙を流した。
その姿に、胸が痛んだ。
「アイリ……、落ち着いてくれ。俺達は、知らなかったんだ。だって――」
「いいわけなんて、聞きたくないよ! シィン……シィン、帰ってきてよぉ……」
少女はその場にへたりこみ、声を上げて泣きはじめた。私は――いや私だけじゃない、今この場所にいる誰もが、ただそれを見ていることしか出来なかった。
ユナの異変に気づいたのは、その時だった。
「ごほっ、ごほっ」
苦しそうにむせるユナ。しきりに咳をし、咽をヒューヒューと鳴らしている。そのまま崩れ落ち、息荒く呼吸をする。
発作だ、と直感的に分かった。それと同時にベッドから跳ね起き、床に座り込むユナの元へ走る。
「ユナ、今治してあげる」
潤んだ瞳で私を見るユナ。真っ青な顔色と、血色のない唇をしたユナの頬に手を当てた。人々は、私達を囲むようにぐるりと輪を成しながら見守っている。
すがるように私の手を掴んだ彼女の顔色は、みるみるうちに常人のそれに変化していった。
「チェリカお姉ちゃん……」
涙を浮かべたユナを抱きしめる。ユナはそんな私にしがみつくようにして、声を上げてついに泣き出した。嗚咽に混じり、時々お兄ちゃん、とここにはいない人を呼ぶ。
その姿に、胸が痛んだ。しかし私は、腕の中で泣き続けるユナを抱きしめることしか出来なかった。