第73話 願うのは
辺りを静寂が包む。
そんな中異様に大きく感じたのは、自分の鼓動。どくんどくんと一定のリズムで脈打つそれは、私自身が生きているということを実感させた。
そう。 私、まだ――生きてる。
「どうして」
呟く声が、狭い地下牢に反響する。
全て思い出したのに、どうしてここにいられるのか――そんな疑問を口にしようとして、やめた。その問いに答えられる人間は、辺りにはいない。
なぜ、消えないのだろう。
死んだ記憶を手放した代償に、私は夢の中から現実世界へと現れることが出来たのではなかったのか。シィンだって、確かにそう言っていた。それとも、それは違うとでもいうのだろうか。 私の命は辛うじてまだ続いている。けれど、全て終わった。イリアは死んで、シィンとダリウスは、シィンの【力】によって、この世界から消えた。
なんだか、ぽっかりと心に穴が空いたかのような気持ちだった。
イリアを救いたいという気持ちを原動力に走り続け、彼が死んでしまってからは、彼を殺めたダリウスに怒りをぶつける為に動き続けた。
けれど、もう――誰もいない。
「……イリア」
もういない、大切な人の名前を呟く。
目を閉じると、彼の笑顔が脳裏に浮かんだ。鮮明に、柔らかく微笑むイリア。その唇が動き、私の名前を呼んだ。チェリカ、といつものあの優しい声で、囁くように。
「イリア……イリア……」
全部終わったのに、あなたはいない。
そんな事実に無性に悲しくなる。その名前を呼びたくなる。呼んでも答えてくれないと、分かっているのに。
一緒に生きたかった。
たわいないお喋りをして、笑いあって、時には怒ったりして、この先もずっと一緒にいたかった。
けれど、届かない。
私の声も、私の願いも、あなたには届かない。
どんなに叫んでも、どんなに請うても、もう――。
「……私、どうして生きてるんだろう」
いっそのこと、消えてしまいたい。
全てが終わった今、ここに存在しているということは、酷く無意味に感じられた。この途方もない虚無感を、一体どうすればいいだろう。
消えろ、と心の中で呟く。
けれど、意識はおろか、この体の輪郭さえも、私の目にははっきりと映った。何もかも、消える気配などない。もちろん、この記憶も。
ただ鮮明に、思い出が脳裏を巡る。
カラファにやって来た二人の兄妹、イリアとユナには、家族はなかった。病で亡くしたのだということは、人づてに聞いた。そんな兄妹と接するきっかけは、ユナの発作だった。
血相を変えてふもとの医者の元へユナを背負い走っていたのが、イリアだ。声をかけた時は酷く驚いた様子だったが、後から聞いてみれば、私の【力】のことは人づてに聞いたことがあったという。
それから彼らと親しくなるのに、時間はそれほどかからなかった。同じく両親のいない境遇であったのが、大きかったのだろう。彼らの両親は病死で、私は両親から捨てられたという大きな違いはあったけれども。
二人は私にとって――家族だった。かけがえのない、大切な人達だった。失うなんて、考えたこともなかった。そして、きっと二人も、そんな風に思ってくれていたのだろう。だから、こんな結末を――。
出会わなければ良かったのだろうか。そうすれば、イリアが死ぬことも、ユナが傷つくこともなかったのだろうか。
もっと根本的に言うならば、イリアに破壊の【力】が目覚めることもなく、その【力】によって人が殺められることもなく、イリアを匿ったサラという女性が処刑されることも、戦争が始まることもなかったのだろうか。
「それでも、私は」
嬉しかったから。
幸せだったから。
きっと、同じ道を選んでしまうのだろう。あの二人に出会えたことが、私の中で、一番幸せなことだったから。
「……愚かなのは、私だって、同じだわ」
一体どれほどの人を巻き込んだのか。
そんな愚かさは、シィンと同じだ。父親に愛されようと、必死に生きた、あの少年と。
私には、彼を罵る資格など、始めからなかったのだ。そんなことに、今更気が付くなんて。
体側に置かれた両手に力を込める。爪が手の平に食い込み、わずかに痛んだ。
「ごめんなさい、イリア。ごめんなさい……」
いくら名前を呼んだって、もう届かないのに。
いくら願ったって、叶いはしないのに。
「イリア」
それなのに、呼んでしまう。
願ってしまう。
「……会いたいよ」
こんなにも、途方もないほどに。
会いたい――イリア、あなたに。