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第72話 夢やぶれ、願い叶うとき



「シィン! 離しなさい! 離さないかっ!」


 どんなに目を反らしても、見えないように閉ざしても、彼女はまるでそれを許さないかのように、俺の前に現れた。

 それでも、俺は、誤り続けた。全て知っていて、知らないフリをし続けた。


「シィンっ!」


 ダリウスが叫ぶ。幾分声を枯らし、かなわないと分かっているだろうに、もがき続ける。


「……シィン」


 顔を上げると、チェリカ・ヴァレンシアと目が合った。悲しそうな顔をしている。あの日と同じ顔だ。あの日――俺達が初めてここで会った日と。


「……チェリカ・ヴァレンシア」


 もがくダリウスを押さえ込みながら、彼女の名前を呼ぶ。彼女が息を飲む気配がした。


「イリアのこと……ごめん。間に合わせてやれなくて、ごめん。でも、俺だって、助けたかったんだ。……本当だよ」


 信じてくれはしないだろうけど、本当なんだ。結果が伴わなかった今、何の説得力もないけれど。


「あんたが、ダリウスのこと憎く思っているのは、分かるよ。……でも、それでも、あんたにダリウスのことを傷つけさせはしない」


 チェリカ・ヴァレンシアが、まっすぐ俺を見る。悲しみの色は、いまだ浮かんだままだ。


「あんたにとって、イリアが奇跡を起こしてまで救たい存在であったように、俺にとってダリウスは――大切な、父親だから」


 ダリウスのもがく力が弱まった。

 しかし、しかしその窪んだ瞳は反らされ、俺を見ようとはしない。


「たとえ、間違っていても。たとえ、俺のことを……愛してくれなくても」


 謝りはしても、許してくれとは言わない。イリアを死なせてしまった今、そんな言葉が何の意味もないことを分かっているから。

 でも、だからこそ、彼女にこの想いは伝わるだろう。大切な存在を失いたくないという、この気持ちが。


「……俺は、ダリウスを……裏切れない。全部、全部知っているけれど、それでも――」


 目を閉じる。

 彼が今まで切り捨ててきた仲間達の顔が、儚く微笑むリアの顔が浮かぶ。それは、ダリウスによる冷酷な策の駒となった人々の顔だった。

 彼らは、ダリウスに対して怒ることはない。それは、彼らに、既に命がないからだ。しかし、彼らに近しい人間が、もし、気付いてしまったら? チェリカ・ヴァレンシアのように、そして俺のように、その策の非情さに気付いてしまったら?

 それは、もしかしたら狂気の刃を生み出すかもしれない。チェリカ・ヴァレンシアを失ったイリアがそうであったように。

 チェリカ・ヴァレンシアは言った。ただ繰り返しているだけだ、と。もし、そうならば、それは世界を統治する人間の運命もそうだと言うのだろうか? 大事な人を失った人間の怒れる手によって、ダリウスもそんな運命を辿る可能性もあるというのだろうか?


 そんなの、きっと――耐えられない。

 だから――。


「俺は……父さんを、守るよ」


 目を閉じたまま、両手に【力】を込める。意識を集中し、強く願う。


「シィン! 何をする気だ!?」


 ぐにゃりと景色が歪んだ。それに伴いダリウスの顔も、チェリカ・ヴァレンシアの顔も歪む。煌々と牢を照らす松明の炎が歪な形に揺れる。そして、同じ風景を、ダリウスも見ている筈だった。


「やめろ……やめないかっ! 私の世界が……、やっと手に入れた、何者にも脅かされない世界が……!」


 ダリウスが再び激しくもがく。しかし、俺の【力】は既に彼に及んでいた。


「離せ! 離せ、シィン!」


 いつもの感覚が訪れる。

 夢の世界へと足を踏み入れる、あの感覚。

 俺は、それまで以上にダリウスの体を強く掴んだ。目の前にある歪んだ瞳が俺を睨む。それにめげずに、俺はダリウスと向き合った。


「行こう、……父さん」


 きっと、もうこの現実に戻ることはないだろう。いや、もう――戻らない。

 安全で、平穏で、いつまでも変わることのない夢の世界で、一緒に生きよう。


「やめ……ろ! シィン……っ! うわ……あああ――」


 視界が白み、刹那、瞬時に色を取り戻す。

 同じ石畳、錆びた格子、揺らめく松明の火。それは先程までの景色と何ら変わらない。

 しかし、その景色に、チェリカ・ヴァレンシアの姿はない。その代わり、足元に崩れ落ち、わなわなと震えるダリウスがいた。


「こんな……嘘だ……。私の、世界が……」


 惚けたように、言葉を吐き出すダリウスを見て、胸が痛んだ。

 俺は、彼の世界を奪ったのだ。彼が夢見て、あらゆる手を尽くして築いた世界を、彼から切り離したのだ。


「ダリウス……」


「シィン、お前は……っ!」


 窪んだ目でダリウスが睨む。しかしそこには力はなく、弱々しい。その姿は、数々の冷酷な策を考え実行してきた人間とは程遠いものに見えた。


「なぜ……なぜだ……」


 俺が立ち尽くす中、ダリウスが呻いた。声を荒げることなく、恨みの言葉を吐き続ける。

 俺は、それを受け続けた。やっとのことで、手が届いた世界を奪われたダリウスの嘆きを聞くのは、それを奪った俺の義務だ。そして、それが互いの贖罪となるだろう。幸せも、希望も、嘆きの声さえも奪ったダリウスと、そんな彼から夢を奪った、俺の――。


「初めから、やり直そう……父さん」


 今度は、後悔しない、真っ当な道を歩こう。誰もが、幸せになれる世界を造ろう。


「……ふざけるな、何が、やり直そうだ。せっかく手に入れた、私達の世界を……!」


「誰かの犠牲の上で成り立つ世界なんて、もう、俺は嫌なんだ」


 はっ、と嘲笑うように、ダリウスが息を吐いた。そしてその口で続ける。


「綺麗事はサラ譲りか、シィン。それとも、あの女か。お前も共生などと、ほざくのか。なんて、愚かな……」


「愚かなんかじゃない。夢を見ることは、こうであってほしいと願うことは、決して愚かなんかじゃ、ない」


 ふふ、とダリウスが笑う。崩れたまま、その口元を奇妙に歪める。


「ならば、私の子等は、可愛い孫はなぜ死ぬ必要があった……? 共生など無駄な望みだと証明しているようなものではないか! それならば、奴らに対して私が遭ったのと同じ目に遭わせて、何が悪い!?」


「違う、違うよ。それじゃあ結局、繰り返す。傷つけられたから傷つける、それじゃあ堂々巡りだ。憎しみが虚しく循環するだけだ」


 次第に声を荒げるダリウスをなだめるように、あらんかぎり穏やかに言う。同じ目線に、と思い屈んで手を伸ばしたが、それは呆気なく振り払われた。


「……父さん」


 それからは、俺が何を言っても、何度呼びかけても、ダリウスが反応することはなくなった。反論することも、同意することもなく、ただ俯いている。


 もしかしたらダリウスも分かっているのかもしれない、というのは楽観的な考えだろうか。本当は誰より早く、気付いていた。だからこそ、イリアとチェリカ・ヴァレンシアを会わせることを防いだのだ。【力】を持つが為に処刑されることとなったチェリカ・ヴァレンシアを助けようとしたのは、他ならぬ【力】を持たないイリアだったから。

 結局、イリアは成り行きで【力】を得てしまったけれど、彼らは確かに共生していたのだ。【力】を持つ者と持たざる者という、相反する存在でありながら、互いを大事に想えていたのだ。

 けれど、ダリウスはそれを認めるわけにはいかなかった。認めたら、自分の愚かさを認めてしまうから。自分が成そうとしていることが、何の意味もないということを――。

 もし、そんな頑なな思いで共生という夢をはねつけているとしたら、なんて考える俺は甘いのだろうか。


「父さん」


 もう一度、呼びかける。しかしダリウスは応えなかった。


「……俺は、生きるよ」


 何の反応も示さないダリウスの小さな背中に向かって続ける。


「父さんと、一緒に」


 望まぬ世界で生きるのは、ダリウスにとって苦痛だろう。そして、そんな世界へ無理やり連れてきた俺を許さないだろう。

 けれど、それが俺達に出来る、唯一の償いだ。




 チェリカ・ヴァレンシア。

 あんたが言うように、俺達は生きるよ。イリアが造ってくれた世界じゃないなんて言うのは、勘弁してくれよな。

 逃げてるわけじゃ、ないんだ。

 前を向いて生きていく為に、自分で選んだ道なんだ。

 償い、諦めないで、最後まで生きる。ダリウスと一緒に。そこが夢という幻想の世界だとしても。


「チェリカ・ヴァレンシア」


 空を仰ぎ、名を呼ぶ。

 今は遠い場所にいる、彼女の名を。



 ――ありがとう。

 あんたに会えて、良かった。





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