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追憶 ---傍観者として・2---



「シィン。お前は、知っているのかい」


 それは、最果ての崖から戻った俺を迎え入れたダリウスが投げかけた言葉だ。

 何を、とは問わない。

 この状況で、このタイミングで、問いかける理由はふたつしかなかった。

 イリアが死んだこと。そしてその要因にダリウスが深く関係していること。それだけだ。


「……知って、います」


 偽ることに意味などないことも、分かっている。ダリウスはきっと、気付いている。俺が、全て知っているということを。


「……そうか」


 短くそう答えて、ダリウスは踵を返した。怒りも、焦りも、笑みすらも浮かべない、能面のような表情だった。







 イリアをその細腕に抱えたチェリカ・ヴァレンシアは、あまりに馬鹿正直に帝都に現れた。

 当然と言えば当然だが、彼女は捕らえらることとなった。多勢に無勢、そしてダリウスの扇動によって、為す術なくあっさりと。

 ダリウスは笑っていた。

 俺は、そんな光景をただ遠目に眺めていた。

 チェリカ・ヴァレンシアは、涙を流しながら何かを叫んでいた。俺は、耳を閉ざし、その場を後にした。

 聞いてしまったら――認めてしまいそうだった。ただ、時が早く過ぎればいいと思った。







「俺が、チェリカ・ヴァレンシアを広場に……」


 その役目を背負うのはお前が相応しい、とダリウスは言った。そして、イリアの葬儀も同時に執り行う、とも。


「イリアの前で、彼女を……殺すのですか」


「イリア殿のご無念を晴らすためにも、それが一番いいだろう」


 笑みを浮かべながら、言う。俺が、全てを知っているということを知っているダリウスが。

 試されているとことは、すぐに分かった。もしここで、この役を負うことを断れば――考えたくもなかった。


「そう、ですね……」


 この帝都にいる者達は、チェリカ・ヴァレンシアがイリアを殺したことを信じている。けれど、チェリカ・ヴァレンシアと俺とその当事者であるダリウスは真実を知っている。

 もし、イリアが生きていて、この捏造された事実を知ったらどう思うだろう。一瞬、そんな思いが頭をよぎったが、すぐに振り払った。


「やってくれるね」


「……はい」


 考えてはいけない。

 何も考えず、ただ傍観していればいい。

 それなのに、そう思えば思うほど、考えてしまう。ねじ曲げられた真実を、決死の思いでここにやってきたチェリカ・ヴァレンシアの思いを、そして、死んでもなお利用され続けるイリアの気持ちを。


「……っ」


 目眩がして、俺はその場に両膝をついた。目を閉じ、眉間を押さえる。幸いそれはすぐに消えた。


「シィン!」


 呼ばれて顔を上げると、そこにはアイリの顔があった。走ってきたのか、小さな肩は上下している。


「アイリ、どうした?」


「シィン……あのね……っ」


「落ち着け落ち着け。ほら、深呼吸」


 途切れ途切れに喋ろうとするアイリの元に寄り、深呼吸してみせる。それにならって三度ほど大きく呼吸すると、アイリは酷く困惑した表情を浮かべ、言葉を発した。


「あの子が……あの子が……」


 一瞬、その言葉の意味が分からず首を傾げる。


「あの子が、イリアの妹が目を覚ましたよ!!」


 それは、イリアが待ち望んだその時の報せだった。和解の議以来、昏々と眠り続けていたユナ・フェイトが目覚めたと言う。

 なぜ。

 どうして今になって、と思うと同時に俺は走り出していた。


 城内の回廊は酷く遠く感じた。

 走っている間、色々なことを考えた。複雑な思いだった。なぜ今更、と。

 しかし、こうも考える。死んだイリアの妹への思いが、少女の眠りを覚ましたのでは、と。

 死んだはずのチェリカ・ヴァレンシアが生きていたという奇跡を目の当たりにした今、願いというのはどんなことでも可能にしてしまう【力】があると感じていたのだ。




「ひ……っ」


 勢いよく扉を開けた俺を迎えたのは、ユナ・フェイトの小さな悲鳴だった。

 小さな体をベッドの片隅でさらに縮こまらせ、恐怖にも似た色を浮かべた表情で、少女が俺を見る。


「ご、ごめん。驚かせたかな」


 思わず謝る。しかし少女は、イリアと同じ褐色の大きな瞳から涙をこぼし、いやいやと首を振る。


「た、助けて……」


 震える声を絞り出すユナ・フェイト。毛布は涙で濡れていた。俺が一歩一歩近付く度に、その表情は凍りついていく。


「大丈夫、大丈夫。俺は何もしないよ」


「や……っ、こ、殺さないで……!」


 大丈夫、と何度言っても、少女は信じようとしない。青ざめ、震え、怯えるユナ・フェイトにそれ以上近付くのは躊躇われた。そして、俺に対してとどめとも言える言葉を発したのだ。


「助けて……、お兄ちゃん……、チェリカお姉ちゃん……っ!」


 幼い少女が、たった一人の肉親である兄頼るのはもちろん、その兄と親しいチェリカ・ヴァレンシアに頼るのも当然だ。

 ユナ・フェイトにとって俺達は、安全な場所からさらい暴行を加えた、恐ろしい存在に他ならないのだ。だからこそ、これほど怯えている。死にそうな目に遭わせた相手だからこそ、殺さないでと懇願する。ここにはいないイリアに、チェリカ・ヴァレンシアに助けを請う。


「俺は……」


 違う、と言おうとして、止めた。

 少女をさらったのは、まぎれもなく俺だ。

 ユナ・フェイトは、顔を毛布に突っ伏して泣き始めた。声を殺し、弱々しく、肩を震わせ泣いている。俺は、少女の元に近付くことも出来ず、その場に立ち尽くした。

 そんな時、そっちのけでこの部屋へ向かった俺を追ってきたアイリが現れた。息を切らし、扉を開け放ったまま、アイリは呆然としている。


「どうしたの、シィン」


 俺はその問いに答えることは出来なかった。そんな俺の元に、アイリは恐る恐る近付いてきた。


「ねえ、シィン?」


 俺の上着を掴み見上げるアイリが、ねえ、ともう一度呼んだ時、毛布にうずくまるユナ・フェイトが反応した気配がした。その少女の様子に、アイリも気付いたようだった。


「……泣いてるの?」


 アイリの手が俺の服から離れる。そのまま、泣き続ける少女に引き寄せられるように、その足を動かした。


「ねえ、どうして泣いてるの?」


 ユナ・フェイトは答えなかった。しかし、顔を伏せることもなかった。涙を浮かべた大きな瞳をアイリに向け、様子をうかがっているのか、動かない。

 警戒はしているものの、同年代であるアイリに対しては、少女は恐怖を感じていないように見えた。

 アイリは、ゆっくりユナ・フェイトに近付いていく。


「こわくないよ。私は、なんにもしないよ」


「…………」


 褐色の大きな瞳は、まっすぐアイリのことを見据えている。俺は動けないまま、そんな二人の様子を見ている。

 アイリは、いとも簡単にユナ・フェイトの元に辿り着くことが出来た。そして微笑んで見せる。


「おはよう。やっと目をさましたんだね」










 ユナ・フェイトが目を覚ましたことは、それからすぐにみんなに知らされることになった。しかしその部屋に出入り出来るのは、まだ幼い少女への配慮によって、少女と同じ年頃の子供達だけに限られた。

 少女は【力】を持っていないが変わらず接するように、そしてイリアのことは言わないように、この二つが子供達へと告げられたダリウスの言葉だった。


 それから、夜は更けた。




「……眠れない」


 広い天井を見上げ、呟く。毛布にもぐり込んだのはだいぶ前なのだが、ちっとも眠くなかった。目も頭も随分冴えている。

 部屋はもちろん、廊下も物音一つしない。誰もが寝静まっている時間だ。

 ごろりと寝返りをうつ。衣擦れの音が闇に響いた。


「…………っ」


 たまらず起き上がる。

 静けさに耐えることが出来なかった。あまりに静かで耳鳴りがする。


 あなたがいてくれたら、イリアは死ななかったかもしれないのに――


 そこにいるはずのないチェリカ・ヴァレンシアの声が頭に響き、俺は耳を塞いだ。


 あなたのせいで――


「違う……、俺だって、俺だって助けたかった。だから――」


 かぶりを振って、言葉を絞り出す。

 俺だって、イリアを助けたかった。その言葉に偽りはない。けれどチェリカ・ヴァレンシアの声は、それを一蹴した。


 あなたが、イリアを殺した。

 あなたの願いが、イリアを死に追い詰めた。

 あなたは苦しみから逃れる為に、沢山の人を犠牲にした。

 あなたが、あなたが、あなたが――


「違う……っ!!」


 頭の中で反響する声に、俺は思わず声を荒げた。両手を叩きつけた毛布から、埃が舞う。チェリカ・ヴァレンシアの声は、それを境にぴたりと止んだ。

 広い部屋はがらんとして、静寂を取り戻している。自分の荒い息づかいだだけが、静まり返った部屋に響いた。


「……違う、……違う……」


 どうしてこんな気持ちになるのだろう。

 今までと同じように、ダリウスに付き従い、そして生きればいいのに。そうすれば、捨てられることはないのに。


「…………!」


 ふと気がつくと、両目から涙が溢れていた。泣くつもりなどないのに、それを止めることは出来ない。

 何が悲しいのだろう。

 イリアを救えなかったこと? チェリカ・ヴァレンシアを死地へと送り出さなければいけないこと? それとも、そうでもしなければダリウスに見捨てられるだろう事実?


「……違う……」


 本当は、分かっている。ただ、フリをしているだけなのだ。分からないフリを。過ちに気づかないフリをしているだけなのだ。


「俺は……、俺は……」


 だから、こんなにも苦しい。

 分かっているからこそ。気づいているからこそ。

 与えられた選択肢だけを選び取る――それは、なんて楽な生き方なのか。自分で新たな選択肢を模索することを忘れ、ただ生きてきた。だから、そのツケが今やってきている。

 何度となく俺の前に現れたチェリカ・ヴァレンシアは、俺にとっての警鐘。願いのままに生きる彼女は、何度も俺に知らしめていたのだ。自分の道を生きろ、と。


 いつの間にか、窓の外は白んでいた。長い夜は明けたのだ。そして、それは最後の選択が近づいていることを意味している。

 俺は、涙を拭い顔を上げた。立ち上がり、窓際へと進む。そこからは、あの広場が酷くよく見えた。


「俺が……選ぶ道は……――」


 小さく、呟く。

 何が正しいとか、間違っているとか、そんなのは問題じゃない。

 自分が、どうしたいか。ただそれを示せばいいだけなんだ。








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