追憶 ---傍観者として・1---
その場所にたどり着き、まず目に映ったのは、赤く染まった二人の人間。その一人がイリアだと分かるのに、時間はかからなかった。
「イリ、ア……」
声が震えた。
しかしそんな弱々しい声に反応したのは、もう一人の赤く染まった人間――チェリカ・ヴァレンシアだった。ゆらりと立ち上がり、血と涙でぐちゃぐちゃになった顔を、俺に向ける。
「……間に合わなかったよ」
ぽつりと、何の感情も込めずに彼女が言う。そしてすぐに視線を落とした。俺は、そんな彼女にも、そしてイリアにも、詫びることしか出来ない。それが何の意味も持たないことを知っていても、それしか出来なかった。
「どうして………そんな風に謝るの」
チェリカ・ヴァレンシアの細い肩が震えている。顔を上げ、涙を浮かべた青い瞳で睨む。
「そんな風に謝るくらいなら、そうすればイリアは死ななかったかもしれないのに………!」
視線の先には、イリアがいる。
その瞼は閉ざされ、開く気配はない。しかし、その白い顔は微笑んでいるようにも見えた。
「あなたが、来てくれれば……っ」
チェリカ・ヴァレンシアが泣いている。あの時、イリアを死なせたくないと嘆いた彼女が、再び泣いている。
死んだ。
イリアが、死んだ。死んでしまった。
「……っ、あなたが……」
違う。
俺だって――。
「……イリア……」
俺だって、救いたかった。
救いたかったから、自分の意志で動いたんだ。ダリウスの言葉にだけ従っていればいいと思っていた、俺が。
もう、これ以上後悔をしたくないと思ったから。【力】を貪るように欲し、そしてそのせいで死んでしまうのは仕方ないなんて割り切ることが、どうしても出来なくて。
それなのに。
「……ごめん、イリア」
震える声で、呟いた。
涙でぼやけ、歪む視界の先にいるはずのイリアに、贖罪の言葉を投げる。その言葉が届かなくても、今俺に出来ることは、それしかない。
「ごめん……、ごめん……」
こんなにも、俺は後悔している。そしてありもしない現実を仮定する。
もし、チェリカ・ヴァレンシアにもっと早くに会わせていれば。
もし、ユナ・フェイトをさらっていなければ。
もし、サラが生きていれば。
もし、俺達が願わなければ。
もし――。
そして気付く。
この結末になる為の種を与えたのはダリウスだが、それを蒔き、育んできたのは、俺だ。数ある選択肢から、たった一つを選び取り、この現実を作ったのは、俺だ。
もう、とうに親子なんかじゃなくなっていたことを認めたくなくて、そんな事実を受け入れたくなくて、愛してほしくて。
自分が傷つきたくなくて、他人を犠牲にしていたんだ。
「あなたにとって、イリアはどんな存在だったの」
やがて、幾分落ち着いたチェリカ・ヴァレンシアが問うてきた。
俺にとってのイリア。それは、俺達【力】を持つ者達に救いの道を与えてくれた改革者であり、かけがえのない仲間であり、そうなると分かっていながら【力】を使わせ続け、死に至らしめてしまったその人だ。
「俺にとってのイリアは――」
俺は彼女の問いに答えることが出来なかった。その事実を、どうしても言葉にすることが出来なかったのだ。
「シィン、教えて」
チェリカ・ヴァレンシアが再び口を開く。俺は、顔を上げた。
「あの人は、誰?」
そう問うた彼女の瞳には、すでに涙はなかった。そのかわり、強い意思とも呼べるような光が宿っている。決して強い口調ではない。しかし、その問いには答える義務があると思えた。そして、彼女もまた、それを知る権利があるのだ。
「彼は………ダリウス。俺達の指導者だよ」
ただそれを伝えるだけなのに、裏切りであるような気がして、声が震えた。
チェリカ・ヴァレンシアは俺の言葉を繰り返し、酷いわ、と小さく続けた。その言葉に胸が痛んだ。
「あの人は、帝都にいるのね?」
「何を」
ふらりとよろめきながら、チェリカ・ヴァレンシアが立ち上がろうとしていることに気付いて、思わず手を差し出す。しかし、その手は赤く染まった彼女の手に振り払われた。
「会いに行く」
その瞳がまっすぐ前を見据えている。その視線の先にあるのは、帝都だ。
「………会って、どうするつもりなんだよ」
そんな俺の言葉に、彼女は、分からないと答えた。無理矢理に立たせた膝が笑っているが、尚も彼女の瞳は前だけを見据えている。
「でも、私は……っ、行くわ……!」
まるで使命であるかのような、強い口調。それと呼応して動く足。イリアの体をその小さな体で支え、一歩一歩踏み出すチェリカ・ヴァレンシア。
俺は意を決してその前に立ち塞がった。 彼女の気持ちは分かる。けれど、行かせるわけにはいかない。それはもちろんダリウスの為だ。今のチェリカ・ヴァレンシアを彼の元に行かせるのは、非常に危険だ。そして、彼女自身にとっても。
「行かせない」
何故、死んだ筈の彼女が、今こうして生きているのか。その疑問に対して導き出した答えを、述べる。思い止まってほしかった。何としても。
しかし、彼女は止まらなかった。譲れないものがある、そう、言って歩き続けた。
失くした記憶は、生きる為の代償。全て思い出せば、あんたは消えるよ――そんな言葉にも、彼女は全く臆していないようだった。
「消えたって、かまわない」
本当のことを言えば、羨ましい。
どうして、そんなに思い合えるのだろう。そんなに傷ついてまで、どうして生きられるのだろう、と。
「シィン、あなたに私は止められない」
ああ。
感情のまま、素直に生きられる彼女は、あまりに眩しい。その眩しさは、多分サラに似ているんだ。【力】を持つ者と持たざる者との共存を説いていた、あのサラに。
その後、チェリカ・ヴァレンシアに、どのように声をかけたか、覚えていない。きっと帝都には行かないように促したとは思う。
ダリウスに会わせてはいけない。そう思う自分がいたのは確かだ。けれど、それを諦める自分もいた。彼女の言い分は最もだ。大事な人を殺めた人間を、どうして許せるだろう。俺だって、もしダリウスがそんな目に会ったら――。
「……矛盾している」
行かせてはいけない。けれど、彼女の気持ちも分かるから、行かせないわけにもいかない。
顔を上げると、チェリカ・ヴァレンシアはすでに見えなくなっていた。イリアをあの細い体で支え、帝都への道に消えていた。
彼女は、必ず帝都に現れるだろう。そうしたら、彼女はどうなる? いや、深く考えなくても分かることだ。きっと、捕らえられるだろう。彼女の言葉が容易に受け入れられるとは思えないが、ダリウスにとって彼女は真実を知る人間だから。
「殺される、のか。彼女もまた」
いとも簡単に、ダリウスはチェリカ・ヴァレンシアを殺すだろう。そして、真実は闇に葬り去られる。
「…………俺は」
与えられた役目を果たしたいというならば、ダリウスのイリアへと対する仕打ちは忘れ、チェリカ・ヴァレンシアは止めなければいけない。気にする必要などない、とダリウスだって言っていたのだから。
ただ傍観者となればいいのだ。
真実も、偽りも、誰かの願いも涙も。全部全部傍観していればいい。
誰が死のうとも、誰が喚こうとも、誰が嘆こうとも。簡単なことだ。
そうだ、それでいいんだ。
俺は、ただ、傍観者でいよう。
きっと、出来る。きっと――。