追憶 ---与えられた役目・4---
「俺のせいなのか」
「気に病むことはない」
「でも……」
「全ては、我等が大願成就の為」
気付いたのは、いつだったか。
その【力】が、両刃の剣だということに。その【力】が、イリアの体を蝕んでいるいることに。
それでも、俺達は願うことを止めなかった。
気付いていながら、その【力】をイリアに使わせ続けた俺は、ダリウスと変わらない。サラを、ユナを、幾人の仲間達を平気で見捨てたダリウスと、何も変わらない。
最初は、咳が多いなと思っただけだった。風邪をひいているわけでもないのに、イリアは酷く咳込むことが多かった。
「大丈夫だ」
大丈夫かと尋ねると決まって返ってくるイリアの返事。今思えば、大丈夫なはずなんて、なかったのに。
【力】のせいなのだ、とダリウスは言った。後天的に現れる破壊の【力】は、能力者を徐々に蝕んでいくのだ、と。
その言葉に、俺は衝撃を受けながらも納得する。イリアが体調を崩すのは、決まって【力】を使った後だったからだ。 しかしそんな俺に、ダリウスはそのことをイリアに話してはならないと、釘を刺した。
「でも……」
言いかけた俺の口元に、ダリウスが人差し指を立てる。
「言ったろう、シィン。大願の為、と。気に病むことはないのだよ」
再び同じ言葉を発した彼には、もう何を言っても届かないようだった。
和解の議で倒れ、死んだように眠るイリアの白い顔を見て、心が痛んだ。彼は、俺達の為に【力】を使い、そのせいで強すぎるその【力】に蝕まれている。
俺達のせいで。
俺が、頼んだせいで。
「これは、病と同じようなものだ」
心中を察したのか、ダリウスが俺の肩を叩いた。
「誰にもそれは予見できなかった。病はそうだろう? いつ何時発症するか分からない。……そう考えれば、この【力】が現れるのは、イリア殿の運命だったのだろう」
「運命……」
破壊の【力】は病で、それが現れたイリアは、その【力】を使い世界を変えることが運命――。そこまで考えて、一人の人間の存在を思い出した。チェリカ・ヴァレンシアだ。病だというならば、【力】は癒せるのだろうか。
「……病として治すことは可能だろう。しかし治せば【力】は消える。我々が待ち望んだ【力】は、いとも簡単に消えるだろう」
まるで俺の考えなどお見通しだとでも言うように、ダリウスが口を開く。その目には力強い意志が秘められている。
「シィン、お前はチェリカ・ヴァレンシアを見たと言ったね?」
俺は口をつぐみ頷く。
ダリウスは踵を返し、俺に背を向けたまま言った。
「彼女が生きているというだけなら、何の支障もない。放っておいても問題ないだろう。……しかし、イリア殿に近付こうとしているのら、それは何としても阻止しなければいけない」
ドアに手をかけ、振り向く。
「彼には、持たざる者達を一掃するまで、【力】を使ってもらわなければ」
わずかに笑みを浮かべ、ダリウスは部屋を去っていった。俺は、ただ一人その場に立ち尽くしていた。頭に、ダリウスの言葉が反響する。
持たざる者達を一掃するまで――
もしそこまで【力】を使わせてしまったら、イリアはどうなってしまうのだろう。俺はまた、取り返しのつかないことをしようとしているのではないか。
そこまで考えて、俺は首を振った。大願の為、と口の中で小さく呟く。
そうだ、全ては大願の為。新しい世界を創る為。
今は、何も考えてはいけない。ただ従うのみだ。
あんなにも待ち望んだ俺達の世界は、いとも簡単に訪れた。もちろんそれは、イリアの【力】があったからに他ならない。
誰もが喜び騒ぐ中、その立役者でもあるイリアだけが、笑みひとつ浮かべていなかった。ただぼんやりと虚空を見つめ、立ち尽くすその姿は、酷く悲しげだった。
俺には、今でもあの時のイリアの顔が忘れられない。
持たざる者の軍勢と、破壊の【力】がぶつかったその時、俺は目を見開いた。そこに、もう何度も遭遇した顔があったからだ。
「……!」
【力】を受け、次々と赤い弧を描きながら倒れる持たざる者達の中に、チェリカ・ヴァレンシアがいた。
見間違いとは思えなかった。ありえないことではないのだ。生きて、イリアを追っているのなら、この戦場にいたとしてもおかしくない。
思わず声を出しそうになるのをこらえ、横にいるダリウスを見る。ダリウスはチェリカ・ヴァレンシアのことには気付いていないようだった。
その瞬間、ひとつの術が浮かんだ。病である【力】を使い続けたイリアを救う方法だ。彼女を会わせればいい。そして【力】を使ってもらえばよいのではないか、と。
それは酷く良い方法だと思った。
病を治せば、イリアがあれ以上弱ることはない。【力】を持たざる者の軍勢を破った今なら、大丈夫かもしれない。
今すぐにでも動きたい気持ちを抑え、ダリウスを見る。出来れば彼には分からないように行きたいというのが、正直な気持ちだったからだ。
ダリウスはイリアを連れ、レイヴェニスタ城内に入って行こうとしているところだった。俺はそんなダリウスに声をかけた。
「ダリウス、俺、怪我人がいないか見てきます」
ダリウスはその言葉を疑う様子も見せず頷き、再び踵を返した。顔には出ていないけれど、彼だって興奮しているのだろう。待ち望んだ時が訪れたのだから。
俺は城内に消えていく二人を見届け、走り出した。チェリカ・ヴァレンシアが破壊の【力】に吹き飛ばされた場所へと急ぐ。
チェリカ・ヴァレンシアは、赤く染まった平原にいた。驚くべきことは、彼女は生きて、そして立ち上がっていた。自身すらも、赤く染まっているというのに、俺に気付き真摯に見据えるその青い瞳には強い光が宿っていた。
「……まだ、諦めないんだ」
声をかけると、大きな瞳が瞬いた。
「あなたは……」
「やあ……こうして会うのは二度目、ううん、三回目だね」
そうだ。あの地下牢での出会いからもう三度の邂逅を果たしている。
一度目はシャロン邸で。二度目はアイリと共に。そして、今――。
それは偶然ではないことを、俺は知っている。彼女が目指すことはイリアを救うことであり、そのイリアの近くにいる俺が、こうして彼女と顔を合わせることは、ちっともおかしくない。
それにしても、チェリカ・ヴァレンシアの怪我は、酷いものだった。恐らく今だって、気力だけで立ち上がっているのだろう。これでは満足に【力】を使うことなんてできないだろう、というのが率直な思いだった。
本当なら、すぐにでもイリアの元へ連れていきたかったが、この際仕方がない。確実にあの【力】を治してもらわなければ、イリアの命が危ない。ことを早まったあげく、チェリカ・ヴァレンシアとイリアを死なせ、ダリウスにも事実を知られてしまうのは避けたかった。
「その傷、辛いだろ? 治しに行こう」
俺のその言葉に、彼女は酷く驚いていたようだった。無理もない。彼女にとって俺は敵対する人物だろうし、それは間違いではない。けれど、たった一つの点で俺達は同志にだってなれる。
「あの【力】が……病気」
本当は、真実を話すべきか迷った。そのことが、ダリウスや仲間達への裏切りになるような気がしたからだ。
それでも、結局は話さざるを得なかった。そうでもしなければ、チェリカ・ヴァレンシアは俺の話を聞こうとはしなかったのだ。
当然と言えば当然だが、彼女はこの話を聞くや否や、イリアの元に向かおうと言い出した。しかし、その時の彼女に【力】を使う余力があるとは思えなかった。だから、頑なに急ごうとする彼女を説得したのだ。その体を十分に休ませてからでないといけない、と。
けれど、それは間違いだったのだろうか。もっと早く、チェリカ・ヴァレンシアに多少の無理をさせてでも、イリアの元へ行かなければいけなかったのだろうか。
チェリカ・ヴァレンシアを夢の世界のサラの元に預け帝都に戻ると、イリアはまだ眠っていた。和解の議の時と同じ真っ白な顔色に一瞬息を飲みながらも、被せた毛布がゆっくりと上下しているのを見て、ほっとする自分がいた。
「……もしかしたら」
ダリウスが、イリアを見下ろしながら口を開いた。
「思ったよりも、早くイリア殿は命を落とすやもしれんな」
少しも表情を変えずに呟いた言葉は、酷く残酷なものだった。そしてさらに残酷な言葉をダリウスは続けた。
「【力】を持つ彼は救われず、我々だけが救われる。……まあ、それも仕方あるまい。辛抱するのはあとわずか、さすれば彼も救われよう」
酷く弱ったイリアの前で、ダリウスは笑った。それは勝者の笑みだった。虐げられ、ここまで逃げるようにしか生きられなかった人間は、そこにはすでにいなかった。
俺は言葉を発することが出来なかった。同意することも、反論することも、何も出来なかった。
シィン、と遠くでダリウスが俺の名前を呼ぶ。彼はすでに踵を返し部屋を出ていこうとしているところだった。
「後は、最期まで見守ろうではないか。我々の元で、我々の世界の為に【力】を使い続けるのを――」
最後までダリウスの言葉を聞き取ることは出来なかった。視界がぐらりと揺れ、足が震えた。視界にイリアの寝顔が映る。死んだように、静かな寝息をたてる彼の表情は、とても安らかと言えるものではなかった。
ああ、俺は――。
そこまで考えて首を振る。違う、と自分に言い聞かせる。
違う。今度は助けたいんだ。だからあと少しの辛抱だ。チェリカ・ヴァレンシアさえ回復すれば、それはいとも簡単に叶うのだから。
「イリア……」
白い顔に呼びかける。イリアはぴくりとも動かなかった。
「……必ず、会わせるよ。チェリカ・ヴァレンシアに」
小さく誓う。
チェリカ・ヴァレンシアが生きていると知ったら、イリアはどう思うだろう。信じられないと言って泣き出してしまうかもしれない。【力】も……使ってくれなくなるかもしれない。それでも、いい。イリアは、ここまでやってくれた。旧き国を打ち壊し、新しい世界の礎を築いてくれた。
もう、十分だ。
ダリウスだって、きっと――きっと、分かってくれる。
【力】を持つ者と持たざる者との戦争が集結してから三日後、イリアは目覚めた。相変わらず顔面蒼白で、俺の名前を呼んだその声すらも弱々しかったが、それでも微笑んでくれた。
「心配かけたな……」
消え入りそうな声で俺達を気にかけるその姿が痛々しかった。
チェリカ・ヴァレンシアはまだここに連れてきてはいない。怪我だけでなく思ったより消耗が激しかった彼女には、あと幾分か休息が必要だったからだ。
今思えば、多少彼女に無理をさせてでも、イリアの元に連れていくべきだったのかもしれない。そうすれば今頃、こんな後悔をすることもなかった。お互いに――。