追憶 ---与えられた役目・2---
「その【力】を貸してほしいんだ」
俺達の願いを聞いた時、彼は酷く険しい顔をした。その話自体が突拍子もないことだったし、疑う気持ちもあったと思う。
それでも彼が承諾してくれたのは、チェリカ・ヴァレンシアの件に加えて、サラのことがあったからなのだろう。
でも、もしかしたら、心のどこかで【力】を使うことを悩んでいたかもしれない。それを決定的に吹き飛ばしたのは、和解の議の事件に他ならない。ユナ・フェイト――イリア・フェイトの妹である少女が、軍の手によって無残な状態にされた、あの日の事件だ。
それさえも、ダリウスによって仕組まれたことだったなんて、彼は知らない。
「イリアの妹が……シャロン邸に?」
それは和解の議の三日前に、ダリウスに告げられた事実だった。反逆者、しかも皇帝を殺害した罪人の妹であるユナ・フェイトは、帝国将軍キール・シャロンに保護されているという。
「どうして。イリアの妹であるなら、反逆者も同罪だろうに」
それはふとした疑問だった。
まだ誰もが寝静まっている、早朝の部屋に俺の声が響いた。
「……いや。おそらくは、今にも暴徒と化そうとしている持たざる者達から、守る為だろう。ユナ・フェイト自身には罪はないのだから」
ダリウスは俺の問に重々しく口を開いた。そして続ける。
「まずいことになった。このままでは、イリア殿に【力】を貸してもらうことは難しい。もしユナ・フェイトの名を交渉時に出されたら……」
「でも、それならイリアは進んで【力】を貸してくれるんじゃ……」
「いや、このままでは、確実にイリア殿には迷いが生まれる。交渉の材料であると同時に、ユナ・フェイト自身を守っているというのも、また事実だ」
俺の言葉を遮ってそこまで言うと、ダリウスはうなだれた。
人目を避けたこの時間に呼ばれたことには意味があることに、俺は気付いていた。けれど、その理由までは分からない。
「イリア殿に迷いを生ませてはならない」
なぜ呼ばれたのか分からないまま立ち尽くす俺に、ダリウスは告げた。
「それならば、その悩みの種は排除しなければ」
和解の議の前夜、俺はシャロン邸に潜入していた。その目的は、イリアの妹であるユナ・フェイトをさらう為だ。
意外にも、警備は手薄だった。壊滅状態である帝都や、各地で暴徒と化した民衆達の鎮圧に人手を割かれていて仕方がないとはいえ、屋敷内は酷く静まり返っていた。
「気が重いな……」
ため息が出た。
イリアの迷いを取り払う為、とダリウスは言ったが、どんな方法で利用するというのだろう。俺には、分からない。それでも、俺はただ実行するだけだ。ダリウスに下された命を、ただ忠実に。
ユナの詳しい居場所までは分かっていなかった。仕方なく俺は、警備に注意しながら、手当たり次第に扉という扉を開け、調べていった。
そして、再び出会ってしまった。
いるはずのない人間――チェリカ・ヴァレンシアに。
「な……!?」
思わず声を出してしまい、口元を慌てて押さえる。
二階の角部屋、そのベッドで静かに寝息をたてているのは、間違いなく、あの日帝都で処刑されたはずのチェリカ・ヴァレンシアだった。
どうして、と心の中で唱える。
なぜ生きている。チェリカ・ヴァレンシアはあの日処刑されたはずだ。
なぜ。
なぜ――。
頭がぐるぐると回った。ユナ・フェイトを探さなければいけないという任務を忘れ、俺はその場に立ち尽くしていた。
でも、それはたった数秒のことだったと思う。次の瞬間俺の体は、動き出していたからだ。纏っていたマントでチェリカ・ヴァレンシアの目を隠し、口をふさぐ。騒がれてはいけない。緊張感が走る。
イリアを助けたいの――
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。自分を助けに来た青年の未来を憂い、涙を流したチェリカ・ヴァレンシアの顔を思い出す。同時に、そんな彼女を抱き、血の海と化した広場で立ち尽くすイリアの姿を思い出した。
そうだ、イリアに会わせるわけにはいかない。チェリカ・ヴァレンシアの存在は、ユナ・フェイト以上に、イリアに【力】を使わせる妨げになる予感がした。
「あ、こら! 暴れるな!」
暴れる人間を運ぶのは、至難の業だということを、俺はこの時知った。しまった、と思った瞬間には、俺の腕からチェリカは滑り落ちていた。
そして、顔を覆っていたマントを、自らの手で剥ぎ取った彼女と目が合った。
「…………っ!」
俺は、目を見開いたチェリカ・ヴァレンシアの元から逃げるようにして走り去った。不意を打たずに、彼女を連れ去ることは不可能であると思ったからだ。
階下から人の気配がして、思わず上階へと駆け上がると、一番手前にあった部屋に逃げ込んだ。扉にもたれ、息を吐く。階下のざわめきを背に、全身から力が抜けていくのを感じた。
「…………どうして」
呼吸を整え、呟く。
あれは、同一人物だ。あの日、帝都で処刑されたはずの、チェリカ・ヴァレンシアだ。
どうして生きているのか。イリアだって言っていた。救えなかった、と。
一体何の奇跡が、彼女に起こったというのか。そして今、この場所に彼女がいる意味は――そこまで考えを巡らせて、我に返る。
ともかく、ここから早く去らなければ。早くユナ・フェイトを見つけ、ダリウスの元に戻らなければいけないのだ。
息を殺して扉を開ける。闇に身を隠しながら、俺は再びユナ・フェイトのいる部屋を探し始めた。
ユナ・フェイトは、反逆者の妹であるにも関わらず、丁重に扱われていたようだった。衣服は上等であったし、体も清潔に保たれていた。何より、強引に俺達への本拠地へ連れてこられた少女は、酷く怯えていた。
ダリウスはそんな少女を鍵のついた部屋に監禁し、仲間の一人に何かを耳打ちした。
ダリウスは、俺にはその内容を教えてくれなかったし、俺も聞いたりしなかった。聞きたくなかったというのが、きっとあの時の俺の正直な気持ちだったと思う。
ダリウスの思惑には、間違いなくユナ・フェイトが絡んでいる。仲間であったサラですら容易に見捨てられる彼が、イリアの妹である少女をむげにはしない理由はない。
それを物語るように、イリアにはユナの無事は知らされていなかったし、俺にはユナ・フェイトについては他言するなと、ダリウスにきつく口止めされていたのだ。
そして、その日は来た。
レイヴェニスタ帝国からの書状による申し入れを、受けるかたちで執り行われることとなった、和解の議。
帝国側は、皇帝亡き現在、実質トップに立つキール・シャロン将軍率いる軍の精鋭。それに対する反帝国組織からは、ダリウスと俺、そしてイリアのそれぞれが立った。
議は滞りなく進んでいるかに見えた。しかし、厳粛な空気はあっけなく壊された。
「何事だ! 聖堂の出入りは禁止しているはずだ! 出て行かないか! 神聖な場を汚す気か!?」
突如として俺達の前に現れたのは、レイヴェニスタ帝国の軍服を纏った数名の男達だった。その各々の手には武器が握られている。
それは帝国側も予期していなかった出来事らしく、キール将軍は声を荒げた。
立ちはだかる兵士達。
その一人を俺は知っていた。軍の動向を探る為に、潜入させている俺達の仲間の一人だ。そしてその男こそ、昨日ダリウスに耳打ちされていた人間だった。
何の為に――そう思いちらりと横を見やると、ダリウスと目が合った。その口元には不敵な笑みが浮かべられている。
「こいつらは葬らねばならない! 世界の調和を乱す悪ではないですか!」
仲間が扮する兵達とキール将軍の応酬は続いていた。その矛先が、やがて俺達に向けられる。
「和平など間違っています! 仲間の敵を! 友や家族の痛みを等しく奴らに!」
これが、ダリウスの計算だった。
和平交渉の場に、武器を持ち今にも襲いかかってきそうな彼らを見て、イリアがどう思うかなんて、誰にだって分かる。話し合いなど無駄だと、そう思うだろう。
そして、続くダリウスの策の決定打を目の前にして、俺は、心底ダリウスが怖くなった。
その現実に目を疑い、それと同時に認識した。ダリウスには、情というものは存在しない。あるなら、こんな策は立てられない。
「ユ……ナ――」
イリアがぽつりと呟いたのは、妹の名前。彼の唯一の肉親で、俺がシャロン邸からさらってきた少女。その少女は、無数の怪我を負わされ、うずくまっている。
それこそが、ダリウスの策だったのだ。イリアに【力】を使わせる為に、彼の妹を傷つける。ただし、それはあくまで帝国の人間の企みとして。
俺はユナ・フェイトとイリアとを交互に見た。
イリアの肩は震えていた。絞り出すようにして出した声は、兵士達の怒声によってかき消されてしまっていたが、その怒りは、悲しみは、痛いほど伝わってくる。
よろよろと少女の元へと近づき、その体を抱き上げて、イリアは顔を上げた。瞳は果てしない悲しみと、怒りの色に染まっている。その感情は、彼のたった一人の家族に対する惨たらしい仕打ち――人を人とも思わない行為をした目の前の兵士達に、向けられた。
鋭い眼光を発するイリアに、兵士達はこぞって武器を向けたが、彼は避けることはおろか、微動だにすることはない。肩を射抜かれ、よろめいた体を支えた時、その口元が動いた。
「ダリウス殿、……シィン。和解の議は、閉会だ。……もうこの世界を血を流さずに変えることは、不可能だ」
そう言って目を閉じる。
肩が赤く染まっていたが、その姿は痛みさえも感じていないように見えた。
「恨み言なら、後で聞いてやる」
刹那、ほとばしる衝撃と立ち上る閃光とが辺りを襲った。
ただしそれは、帝国側の人間のみに向けられた【力】で、俺達反帝国組織側には全く被害はなかった。
破壊の【力】が放たれる瞬間を見たのは、それが初めてだった。たった一瞬。その一瞬の内に、目の前は赤く染め上げられた。
しかし、イリアは【力】を放った直後、その場で意識を失ってしまう。反射的に手を伸ばし支えた彼の顔は蒼白で、体は酷く冷たかった。
「さあ、シィン。ここはじきに崩れる。早く脱出を」
イリアとユナの体を支えながら呆然とする俺に向かって、ダリウスが手を差し出した。その顔には笑みが浮かべられている。
「……ダリウス、俺はこの為にユナ・フェイトを――」
言いかけて、視線を落とす。年端もいかない少女に加えられた暴行の痕。それは酷く痛々しいものだった。
けれど、それが現実。俺がさらった少女であることは現実なのだ。俺がさらってきたから、この少女はこんな酷い目に――。
「シィン」
ダリウスが力強く俺の名前を呼んだ。
「大願の為だ」
そして、短くひとこと。
そう言って微笑むダリウスの手を取る。
俺には、いつも沢山の選択肢が用意されている。それでも俺が選ぶのは、一貫してひとつ。ダリウスを裏切らない。ただ、それだけだ。
イリアの体を肩で支えながら、その横顔を見る。白い顔には依然として色が戻る気配はない。
小さく呟く。きっと声にすらなっていなかったと思う。それでも言わずにはいられなかった。
「…………ごめん」