追憶 ---老人と少年・1---
俺の【力】は、何も出来ない。
夢を叶えることも、人を救うことも、自分自身を守ることさえも。
けれど、そんな俺をダリウスはそばに置いてくれた。家族として、慈しんでくれた。【力】を持つ人間の一人として必要としてくれた。
……なあ、聞いてもいいかな。
もし俺が、何の【力】も持たないただのガキだったら、あんたは俺のことを、家族としてずっと愛してくれていたかい?
「――……ィン。シィン」
か細く弱々しい声がに気付けたのは、右足が酷く痛んだからだった。
閉じていた目を開ける。いやに視界が暗かったのは、気絶から覚めたばかりだからではなく、松明の火が消えていたからだった。
「シィン、シィン。大丈夫? 酷い……酷いよ。シィンにこんなことするなんて」
俺は、地下牢に繋がれていた。格子の外にはアイリがいる。大きな瞳に涙を浮かべ、小さな手で格子を掴んでいた。
「アイリ……」
足を動かそうとして激痛が走った。目をやると、それは不自然な方向を向いている。
「くっ……」
「だめだよ! 無理して動いちゃ! 足が……っ!」
言われて思い出す。
あの時、チェリカ・ヴァレンシアは忽然と姿を消した。もちろん、俺は【力】を使ってなどない。しかし、俺のそれまでのチェリカを助けようとした行動や、ダリウスの言葉もあってか、仲間達はこぞって俺を疑った。それに抵抗して、このザマだ。
「……アイリ。こんなところにいちゃダメだ。早くみんなのところに戻るんだ。俺は――ダリウスを裏切った」
改めて言葉にしてみて、自分に問いかける。後悔しているのか、と。後悔していないと言えば、嘘になる。ずっと――そう、始まりからずっと一緒にいたのだから。俺の、記憶が始まった七年前から――。
俺には八歳以前の記憶がない。八歳ともなれば、当然物心もついている年齢の筈で、それ以前の記憶がないのは妙なことだと言えた。
俺は、酷い怪我を負って海辺に倒れていたらしい。そんな俺を発見し、介抱してくれたのが、ダリウスだ。あと少し発見が遅ければ危なかっただろうと、後になって彼に言われた。
「シィン。お前は今日から私の息子だ」
全身に負った酷い傷が癒えかけたある日、ダリウスはそう俺に言った。俺は何も覚えていなかった。シィンという名前以外、それまでどこにいたのかも、両親の名も何も覚えていなかった。そんな幼き頃の俺に、ダリウスはそう言ったのだ。
「帰る場所がないのだろう? ならば私の元にいればいい。そうだろう、シィン? 今日からお前はシィン・リオーネだ。ダリウス・リオーネの息子だよ」
今よりシワの少ない目元を綻ばせながら、ダリウスは俺の頭を撫でた。
あるはずの記憶がないという不安を抱えていた俺は、その細く大きな手にほっとして泣いてしまったのを覚えている。
あの時確かに、ダリウスは優しかった。哀れな子供を慈しみ、溢れるばかりの愛情を与えてきた。
けれど、それさえも、計算だったというのか――。
それは、違う。
ダリウスが変わってしまったのは、俺のせいだ。俺に、こんな【力】があると知ってしまったから。
「シィン……、この【力】は……」
初めてこの【力】をダリウスの前で使った時、彼は酷く青ざめていた。それは仕方のないことだった。この世界で【力】は禁忌とされていたのだから。もし【力】を使う姿を誰かに見られていたら、即刻通報されていただろう。
俺はこの【力】のことをダリウスに詰問され、正直に答えた。意識することなくその説明をす口にすることが出来たということは、恐らく記憶を失う前から俺自身がそのことを知っていたからなのだろう。そして、そんな俺の話をダリウスは真剣に聞いていた。
「シィン……、お前は何という子だ……! そんな素晴らしい【力】を持っているなんて」
ひとしきり俺の話を聞いて、ダリウスは声を上げた。その瞳は輝いている。
その時、俺にその言葉の意味を知る由もなかったんだ。
それからというもの、ダリウスと俺は暇さえあれば、その【力】を使って夢の世界へと繰り出していた。それと同時に、ダリウスは俺の【力】で訪れる夢の世界を注意深く観察しているようだった。
夢の世界には、現実世界にある【力】を持つ者に対する迫害はなかった。むしろそれは奨励されるべきものでもあった。もちろん、それは俺自身が創造した世界だからだ。そこは、安全で平和な世界だった。
「……こんな世界であったら、私は――」
ダリウスがそんな風に呟くのを、俺はその世界で何度聞いたことだろう。その言葉の意味を知っていたから、俺はこの世界の往復を続けていた。
ダリウスには、俺のような【力】はない。ただ、【力】を持つ孫がいたと言う。そのことを聞いた時、その言葉に俺は違和感を覚えた。過去形だったからだ。
「娘夫婦は、孫を産んですぐに事故で死んでしまった。私は来る日も来る日も泣き続けたよ。しかし、やがて気付いた。娘は、娘達はかけがえのない宝を残してくれたことに」
それこそが【力】を持って生まれた孫なのだ、とダリウスは言った。【力】を持っていたとしても、紛れもなく愛すべき家族であったのだ、と。
「けれど、あの子もすぐに死んだよ。殺されたんだ」
三つになったばかりの彼の孫は、ある日無残な姿で海辺で発見された。その事故の知らせを受けた時、ダリウスは耳を疑った。目の前が真っ暗になり、酷い耳鳴りが襲った。
「海で溺れたなんて、信じられるわけがない。その証拠に、あの子の小さな体には無数の傷が刻まれていた」
足を滑らせて出来る怪我なんかじゃなかった、とダリウスは肩を震わせた。
「私が変わり果てたあの子の元へ辿り着いた時、周りにいた人間は薄笑いを浮かべていたよ……。そして囁き合っていたんだ」
ふふ、とダリウスは低く笑った。
「【力】を持ったガキが一匹死んだぞ、と」
低く、怒りを押し殺すようにして言葉を吐き出したダリウスを見て、俺は寒気に襲われた。ダリウスの目が、今までに見たことがないほどに暗く、冷たいものだったからだ。それは今でも忘れられない。
そして言ったのだ。
「……シィン。私に協力しておくれ」
それこそが、俺にとっての運命の一言。
「この世界を、変えよう」