表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/104

第66話 涙と炎

 おそるおそるシィンの口から出た言葉は、何度も区切られているせいか、酷くたどたどしく感じた。同時に広場には、とてつもない緊張が走る。


「彼女は……イリアの大切な人なんだ」


 シィンが私に指先を向けた。それにならう様に、人々の視線も私に集められた。

 刺さる様な視線だった。誰もが憎しみを込めた目をしている気がした。

 でも、私は俯くわけにはいかなかった。目の前で震える指先を向ける少年の為にも。そして、私自身の願いの為にも。


「そして本当なら、俺達の仲間だ。彼女は……【力】を持ってる。病を癒やす【力】を」


 広場がざわめいた。

 誰もがにわかには信じられないといった顔をしている。


「彼女だけが、イリアを救えた。その【力】で、救える筈だったんだ……」


 シィンが俯く。

 その視線の先には、白い棺で眠るイリアに向けられている。 しかし、人々にシィンの言葉の意味は理解出来ていない様だった。


 ――当然だ。

 彼らは、きっと知らない。いや、知らされていないのだろう。

 シィンでさえも、自分で気付いたのだと言っていた。イリアの【力】が病であるという事に――。


「……イリアは病に冒されていた。みんなだって、ほんの少しくらいは、心当たりがあるだろう?」


 広場に飛び交っていた野次が、少しだけ小さくなった。シィンの言葉に思う所がある人は少なくない様だ。


「イリアはここに至るまでに、何度となく倒れた。血を吐きながらも、それでも俺達の為に【力】を使ってくれた。……その【力】が病の症状であるなんて、知らずにね……」


 人々が息を飲む気配がした。


「【力】を使えば使うほど、病状は悪化していく、そんな病だったんだ」


 シィンは大きく息を吐いた。

 私にあの時告げたイリアの【力】の真実を、今度はそれを知らずに【力】を求めた彼らに、シィンは語った。


「ち、ちょっと待って下さい、シィンさん! そんな事を俺達に信じろっていうのですか?」


 少しだけ震えた声で言葉を挟んだのは、先程までシィンに対して掴みかかろうとした男だ。


「そんな、馬鹿な……あの【力】が、病だなんて……。――ダリウス殿」


 男の顔は蒼白だった。彼もシィンの言葉に心当たりのある人間なのだろう。

 男はシィンとダリウスを交互に見た。老人は長い髭をさすり息を吐いた。


「……惑わされるな」


 短く、一言。

 しかし、重々しく発されたその一言は、シィンの言葉に動揺する人々の迷いを拭い去るには十分だった。


「……シィンさん、あなたはそうまでして」

「イリア殿まで、愚弄するのですか……?」

「そんな嘘を――」


 ダリウスの放ったたった一言は、辺りの空気を一変させた。

 シィンの言葉を信じかけていた人々の表情は、打って変わって、怒りや悲しみの混じったものに変わっていく。

 彼らにとって、指導者たるダリウスはやはり指導者で、シィンはその補佐役に過ぎない事の表れだった。


「シィン、私を失望させるな」


 低く、唸る様な声で言って、老人は足元に転がる松明を手に取った。辛うじてまだ燃えているそれを、シィンに差し出す。

 シィンは、松明を見やり、顔を上げた。何か言いたげに口を動かしたが、言葉になる事はない。


「これで、最後だ」


 ダリウスが体側におかれたシィンの手を取り、燃え続ける松明を握らせる。そして、シィンがそれを持った事を確認すると、細いその体を抱き寄せた。

 びくりと肩を震わせた少年の体は、漆黒の衣を纏う、枯れ枝の様な腕に包まれた。

 少年の黒髪を、老人が撫でる。

 抱き寄せた体を、これでもかと言わんばかりに、老人はきつく抱き締めていた。


 それは、駄々をこねる子供を宥める、親の様に見えた。


 きっと、誰もがそう思っている。

 親子の美しい絆を、誰もが信じただろう。


「……今更真実を述べてどうする?」


 ――しかし、その声は私の耳に届いた。

 抱き寄せたシィンの耳元で、邪悪に囁かれた老人の言葉。シィンの体越しに、私に視線を向けながら、微かに――。


「惑わせて、全て崩壊させる気か? それをイリア殿が望むとでも?」


 微かな、微かな声だった。もしダリウスの顔が私に向けられていなければ、届かなかったかもしれない程――もちろん、その言葉に周囲が気付ける術はない。


 シィンが手に持つ松明はゆらゆらと炎をともしたまま、静けさの中でぱちぱちと爆ぜた。


「イリア殿の創り出した安寧を、混乱に陥れるのか?」


 シィンの体がぐらりと揺れた。

 ダリウスの言葉に対して、今度はシィンが動揺を露わにした。

 イリアがその命を賭して創り出した安寧の崩壊――今、私を逃してこの場を乱す事は、そういう事なのだと、ダリウスは述べた。

 しかしそれは同時に、私にシィンの言葉の真実を確信させた。この場で同じく処刑された女性、そしてイリアの妹であるユナにさえも、目の前の老人の何らかの陰謀があったのだ。


「シィン、お前が今しなければいけない事は、ひとつだ」


 ダリウスの両手が、松明を持つシィンの右手を包む。そして再度少年の耳元に口を寄せると、シィンは振り向いて私を見た。

 耳元で囁かれた言葉は、今度は私まで届かなかった。でも、ダリウスがシィンに何を囁いたのかは、容易に想像出来る。


 シィンが、今、しなければいけない事。それは――。



 シィンが踵を返す。

 右手に松明を携え、射抜く様な視線を、私に向ける。

 ダリウスは、髭を撫でながら、落ち着いた様子で、ただそれをじっと眺めていた。


「シィン……」


 私は、少年の名前を呼んだ。

 シィンは視線を私に向けたまま、にじり寄る。じりじりと距離が詰められ、一歩、また一歩と後ずさるうちに、私は再び十字架の元へと追いやられた。


「シィン」


 足元では、積み重ねられた木片が乾いた音をたてる。私は、足元とシィンの手の内で揺らめく松明の炎とを交互に見合わせた。


 本当に、これで最後かもしれない――そう思った。


 諦めたくなかったから、許せなかったから、足掻いて見せた。

 結局、変わる事はなかったけれど、彼らに私が訴えたかった事は、伝える事が出来た。

 もしこの先、ここにいる誰かが、私の言葉を覚えていて、そしてこの世界の理不尽な負の連鎖に気付いてくれれば――それで、いいのかもしれない。


 ねぇ、イリア。

 こんなにすぐにあなたの元へ行ってしまったら、あなたは怒る? 幸せに、と言い残したあなたの最期の言葉を、裏切ってしまう?

 でも、でもね。

 私は私なりに、自分の選んだ道を進んできた。

 だから、お願い――私がそこへ行ったら、笑ってほしい。昔みたいに、最期の時の様に、笑いかけて。


「……ごめん……」


 目の前に立つシィンのエメラルドグリーンの瞳から、一滴涙がこぼれた。

 同時にその手元から、松明が落ちる。

 ゆっくりとオレンジ色の線を描き、松明は私の足元に積まれた木片の上で爆ぜた。

 炎はまるで意思を持っているかの様に、瞬く間に木片に燃え移り、目の前を赤く染めた。

 十字架を背にした私の周りを、取り囲む様に燃え上がる炎。手も足も自由に動かせる筈なのに、退路は既に絶たれていた。

 息をしようとする度に、まるで喉が焼けるかの様な痛みに襲われ、そのあまりの痛みに、意識は朦朧としてゆく。










 ――その時、声がした。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ