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第65話 嘘と裏切り


「俺は……もう、嫌だ」


 瞬間、空気が震えた。

 私は、目を開けた。

 しんと静まり返ったその場所で、人々の視線は、言葉を発した人間に集中していた。老人も例外ではない。


「もう、嫌だ。嫌なんだ……」


 もう一度、その言葉を繰り返すのは――シィン。

 ダリウスの窪んだ目は見開いていた。彼にとって予想外の事態が起きている証拠だった。

 シィンは、泣いている。泣きながら、かぶりを振っている。


「ダリウス……俺は――」


 カランと乾いた音をたてて、松明が転がった。火は空しく燃え続けている。


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。既に死を覚悟した私の目の前で、突如繰り広げられたその事態を、私は瞬時に 理解など出来なかった。


「――ダリウスを信じていた。ずっと、ずっと、信じていた。……でも!」


 泣きながら、シィンは叫んだ。

 耳をつんざくようなその叫びは、空を切り裂きこだました。


「俺には、やっぱりどうしても、分からないんだ……。どうして……どうして、俺達のこの願いを叶えるのに、犠牲が必要なんだよ……っ!」


 どうして、と呻くようにシィンは何度も言葉を吐き出した。

 辺りは騒然としている。当然だ。今衝突しているのは、彼らが指導者と崇めるダリウスと、その右腕的な存在のシィンなのだから。


「どうして、イリアを……! イリアだけじゃない。サラも……レオニーも……ユナだって……っ」


「シィン!」


 泣きながら叫ぶシィンを制する様に、ダリウスが声を荒げた。

 けれど私の頭の中では、シィンが今発した言葉が引っかかっていた。

 サラ、と今確かにシィンは言った。それはこの場所で同じ様に処刑された、あの女性の名前ではなかっただろうか。

 あの時確かに、女性はそう名乗っていなかっただろうか。

 そして――ユナ。それはたった一人のイリアの家族である妹の名前に他ならない。


「大願成就の為に、仲間を犠牲にしてきた事を……俺は、知ってる。ずっとあんたの側にいたから、ずっとあんたの事を手伝ってきたから」


 しかし、シィンはダリウスの荒げた声に怯む事なく言葉を吐き出す。

 辺りに、次第に不穏な空気が流れていく。


「俺は、あんたを信じていた。でもあんたにとって、俺達はただの駒でしかないんだ……」


 がっくりと肩を落としたシィンが、私に歩み寄る。その手にはいつの間にか短刀が握られていた。

 私の目の前に立って、シィンは短刀を高くかかげた。私は思わず目を逸らした。


 しかし、次の瞬間、私の体の自由を奪っていたロープが、はらりと足下に落ちた。

 シィンの行動に、周囲からどよめきが起きる。


「……俺も、あんたも、イリアでさえも、ダリウスにとっては駒なんだ……」


 怒涛の展開についていけない私の耳元で、シィンが囁いた。 シィンの潤んだ瞳が、私の目をじっと見ている。その表情が悲しくて、思わず私は彼の名を呼んだ。


「シィン……」


 けれど、視線は呆気なく逸らされた。

 シィンは再び振り返りダリウスに語りかける。


「ダリウス、俺は……俺は……」


 呻き声を上げながら、シィンは白い棺に視線を移し、その元に近付くと、膝を折った。そんな彼を目で追うダリウスの視線は、酷く冷ややかだ。


「……俺は……」


 私はいまだその場から動けずにいた。

 けれどその場所からも、シィンの動きはよく見えた。


 棺に横たわるイリアにシィンは触れた。いたわる様に、そっと、優しく。


「もうこれ以上、イリアを裏切る事なんて、出来ない……」


 弱々しい声。

 しかしよく通る声だった。

 広場がしんと静まり返る。その衝撃的な言葉に、今この場にいる人々が耳を疑っているからかもしれない。

 私ですら、今のこの事態を飲み込めてはいない。

 私はおろか今この広場に集まる誰もが知らない真実を、シィンが語りだした事に気付いたのは、そのすぐ後だった。


「シィンさんっ! 何を……何を言っているのですか?」


 どこからか、声が響いた。

 声のした方を見やると、十字架を取り囲んでいた人々の中の一人の男が、ずいと一歩進み出て、険しい表情をしていた。


「意味が、分からない。あなたは、ダリウス殿の何をもってそんな事を……」


 シィンは、棺の前に跪いたまま動かない。

 険しい表情を浮かべた男は、興奮した様子で続ける。


「ダリウス殿はイリア殿と一緒に、俺達をここまで導いてくれた方ではないですか! それをあなたは……!」


 シィンの口から、ふっと自嘲気味な声が漏れた。そしてゆらりと立ち上がる。


「……俺も、何も知らなければ……」


 小さく呟いた声は、男の元までは届かない様だ。男はシィンの言葉に何の反応も返さずに、ずかずかとシィンの元へと歩み寄る。

 ダリウスはただそれを傍観していた。

 私は、入り込む事すら出来ずにいる。


「シィンさんっ!」


 うなだれたシィンの肩を、近付いた男が揺らす。まだ幼さの残るシィンに比べて屈強な体を持つ男は、シィンよりも一回りも二回りも大きく見えた。


「そんな女の妄言に惑わされるなんて、どうかしています! その女は……」


 男が大きく息を吸う。


「イリア殿を――!」


「違うっ!!」


 思わず大声を上げた私を、男はシィンの体越しにぎろりと睨んだ。そしてそのままシィンの体を押しのけ、こちらへ進んでこようとする男を、シィン自身が制した。

 男は顔を歪め、シィンの行動を理解できないといった様子でいる。苦虫を噛み潰した様な顔で呻く。


「シィンさん……」


 何故、と男は呟く。

 シィンは男から、ふいと視線を逸らした。しかし何も言葉を続けようとはしない。

 男もまた、続く言葉を飲み込んだようだった。


 長い長い膠着状態。

 どよめく広場の中で、それはいつまでも続くように思えた。しかしそれは、それまで彼らを傍観していた老人によって、破られた。


「シィン・リオーネ」


 威厳に満ち満ちた声で呼ばれたのは、少年の名前。処刑直前の私の縄を解き、この不穏な空気を作り出した張本人。

 ダリウスの声が低く響いた瞬間、広場にえもいわれぬ緊張が走った。

 男と対峙していたシィンの肩が、びくりと震えた。そんなシィンの元に、ダリウスが近付く。同時にダリウスの放つ圧倒的な雰囲気に気圧されて、男は後ずさった。

 男に代わり、今度はダリウスがシィンの目の前に立つ。シィンは萎縮してしまったのか、さらに俯いた。


「私は、悲しい」


 老人の口から、発された言葉。

 それは、私の耳には、威厳に満ちていると同時に、深い悲しみすら秘めている様にも聞こえた。

 ダリウスがイリアを殺めた事を知る私ですらそう感じるのだから、この場にいる人々がダリウスの言葉を信じない筈はない。

 周囲から漏れ聞こえてきたのは、今まさに裏切りともとれる行動をしようとする少年に対しての侮蔑。そして、片腕として働いてきた者に、裏切られようとしている指導者を擁護する声だった。


「私を、共にここまで歩んできた私を、陥れようとするのか……シィン?」


 そう言って眉間を押さえたダリウスの肩は細かく揺れていた。

 シィンはそんな老人の前で、苦痛に歪めた表情を浮かべている。奥歯をぐっと噛み締め、体側に置かれた手は固く握られている。


「お前を……まだ幼いお前を拾い、養ってきた私を……裏切るというのか」


 崩れるようにダリウスが膝をついた。


「居場所を与えたこの私を……!」


 嘆きの声を上げるダリウス。

 周囲に飛び交う声が大きくなっていったその時、やっとシィンが口を開いた。


「……父さん……」


 小さく、震えた声で、少年は老人をそう呼んだ。

 その声がこの耳に届いた時、私はやっと、シィンがイリアを救おうと奔走した時の涙の意味が分かった。イリアを救いたいと言いながらも、その足を動かせずにいたその理由が。


 ダリウスは、シィンをはじめとする【力】を持つ者達の指導者。そして孤児であったシィンを、養い育ててきた父親なのだ。

 だからこそ、シィンは躊躇してしまった。自分のする事は、仲間だけではなく、自分を育ててくれた親をも裏切ってしまう事になるから。


「違う……違う……。裏切りたい訳じゃない。俺は、ただ……もう、嫌なんだ。もう……」


 シィンが呻く。目の前で哀れな程に崩れ落ちた老人に向かって、かぶりを振り続ける。

 シィンの語気はみるみるうちに弱くなっていった。そこに、最初の様な勢いはなかった。そのかわりに、周囲からのシィンを侮蔑する声は、ますます大きくなっていく。


「シィンさん、なんて事を……!」

「目を覚まして下さいっ」

「俺達を裏切るのですか!?」


 その怒号にすら近付いていく叫びに、目の前の幼い少年は押しつぶされそうになっているのが分かる。

 シィンは、何度も、何度もかぶりを振る。


 ずきん、と胸が痛んだ。

 シィンは葛藤しているのだ。自分を育ててくれたダリウスへの思慕と、イリアを殺めた事を知るが故に持つ反感との間で、揺らいでいるのだ。


「裏切るんじゃ、ない……。俺は、ただ、もう――嘘はつきたくない……っ。イリアにも……みんなにも……!」


 何度も何度も大きな呼吸を挟みながら、それでもシィンは言い放った。


「イリアを殺したのは、彼女じゃ、ない」




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