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第64話 迷い


「聞いて、シィン」


 しかし、シィンは私の言葉を拒絶するかの様に、再び俯いた。それでも構わず、私は続けた。


「……繰り返す事なんて、イリアは望まないわ」


 ゆらゆらと揺らめく炎。

 シィンは私の言葉に応えない。しかし、かかげた松明の火を、私の足下に積み上げられた木片に点けようともしなかった。


「あなただって、分かっている筈だわ」


 ダリウスが、【力】を貸す事を止めたイリアを不要だと切って捨てる事に気付いたなら――それ程の鋭い観察力を持っているのなら、イリアの心中を察する事は容易だろう。


「ねぇ、シィン」


 シィンは俯いている。


「シィン」


 俯いたままのシィンに、ダリウスも呼びかける。

 歓声はいまだに鳴り止まない。この広場で、今私達の会話に気付ける者は、きっといないだろう。


「このままでいいの?」


「火を点けなさい」


 松明の炎が、ぐらりと大きく揺れた。見ると、シィンの手が震えていた。俯きながら唇を噛む様子が、微かに見える。


「このままでは……繰り返すだけだわ!」


「シィン!」


 大声を張り上げた私に負けないくらいの声で、ダリウスがシィンの名前を叫んだ。

 瞬間、それまで広場に響いていた歓声が止んだ。しん、と耳が痛くなる様な沈黙が広場を覆った。

 誰もが身動き一つせず、衣擦れの音さえも聞こえない広場の中心で、ダリウスが大きく息をついた。


「点けなさい、シィン」


 静寂に包まれる中、ダリウスが静かに述べた。その言葉の端々には苛立ちが垣間見える。

 シィンが顔を上げる。

 視線を逸らしたまま、震える松明の炎を木片に近付け、そして再び手を止めた。


「……シィン」


 私の呼びかけに、やはりシィンは応えない。


「【力】を持つ者達が、平穏に生きられるのは……今だけだわ。そしてまた繰り返すの? 再び立場が逆転する事を常に不安に思いながら、持たざる者達を虐げていくの?」


 広場が再びざわめき始めた。しかしそれは、先程までのざわめきとは質が違うものだった。

 確実に周囲は動揺していた。改革者イリアを殺害したという大罪を背負う私を、処刑する事を躊躇するシィンに、戸惑いを隠せないのだろう。


「その事に気付いたからこそ、イリアはこれ以上【力】を貸す事を止めた」


 周囲が一段とざわめいた。


「【力】を持つ者達だけの平穏。結果追い込んでしまった持たざる者達に、思いを馳せてしまう事は、罪だというの?」


 言いながら脳裏に浮かぶのは、何度も夢に見たイリアの姿。暗闇の中、一人歩き、そして涙を流す、今は亡き大切な人。

 人を殺めた事を、何度後悔したのだろう。相対する人間が流す血を見て、どれほど胸を痛めたのだろう。


「……ふん、戯れ言を」


 ダリウスが呟く。周囲もその言葉に同調する様に歓声が上がったが、覇気はない。


「あなたは!」


 私は声を張り上げた。ざわついた広場が、一瞬しんとなる。


「……あなたは、何故そんなにも頑ななの? どうして――共生という道を、選べないの?」


 共生――突然浮かんだその言葉は、同じこの場所で死んでいったあの女性の事を、思い起こさせた。

 高く、通る声で、集まった大観衆に訴えた、あの言葉だ。

 あの時、何故死の間際にそんな事を言えるのか不思議だった。でも、今なら分かる。きっと、あの人も知っているのだろう。【力】を持つ者の悲しみ、そして持たざる者の憤りを。


「共生」


 ダリウスが呟く。同時に高らかに笑い声を上げた。狂ったかの様に笑い続ける老人に、周囲の視線が集まった。


「貴女は、どこまでも愚かで悲しい人だ」


 ダリウスは、シィンを手で押しのけると、私に近付いた。そして枯れ枝の様な手で私の頬を撫で、言い放った。


「共生など、出来はしない」


 それは、ほんの少しの可能性も、希望も感じさせない、断言だった。


「出来るわ」


 けれど、私だって負けない。

 ここで負けてしまったら、もう後がない。


「私とイリアは、確かに出来ていた」


 【力】を許さぬこの世界で、病を癒やす【力】を持った私と、持たざる者であるイリアは、確かにお互いを大切に思っていた。

 だからこそ、この長い旅路を歩んでこれた。最後まで諦めずにいられた。


「これからも、一緒に生きていける筈だった! それなのに、あなたが……!」


「共生など、思い上がりも甚だしい」


 ダリウスが私の言葉を遮る。


「お前達がどれほどの我等の同朋を殺めたか、忘れたか?」


 私は持たざる者であるとして、ダリウスが言葉を紡ぐ。

 でも、かまうものか。今、私が伝えたい事、それは――。


「聞いて下さい!」


 私は叫んだ。この広場に集まる人々に届く様に、力の限り叫んだ。


「イリアは確かに、あなた達に【力】を貸しました。あなた達の為に、新しい国を創り出す事に尽力しました。彼はもう見たくなかったから……。大事な誰かが傷つけられていくのを見たくなかったから……!」


 広場がざわめく。互いに顔を見合わせ、困惑した表情を浮かべている。野次を飛ばす者もいた。


「破壊の【力】を、あなた達は新たな国を創り出すものとして欲し、そしてイリアはその【力】を使って、あなた達の平穏を手に入れました。……持たざる者の平穏と引き換えに」


 どれ程の葛藤があっただろう。

 どれ程の後悔をしただろう。

 救うべき人を救うには、多大な代償がある事に、イリアは一体いつ気付いたのだろう。


「イリアが負った傷は、私達の目には見えない。勿論、イリア自身にだって。……でも想像する事は出来るでしょう?」


 声を振り絞る。

 このざわめきの絶えない広場で、私の声は一体どれほどの人達に届いているのだろう。

 もしかしたら、誰の耳にも届いていないのかもしれない。頭からダリウスを盲信している彼等に、私の言葉は何の意味も持たないのかもしれない。

 分からない。

 分からないけれど、一つだけ確かな事もある。

 目の前で松明を握り締めるシィン。彼にだけは――きっと、この声は届いている。だから、私はまだ生きている。


「私や、あなた達の命を背負って、たった一人で血の海を先導したイリアの気持ちは……簡単に想像できる筈でしょう」


 どれほどの叫びを聞き、そしてどれほどの深い闇に包まれた長い道のりを歩いたのか。


「人を一人殺めれば、倍以上の人間に恨みを買うわ――人は一人ではないから。家族がいて、友人がいて、仲間がいる。だから人々の怒りや悲しみや憎しみは、絶えない。……ねえ、シィン」


 私の呼びかけに、シィンが顔を上げた。

 エメラルドグリーンの目が潤んでいるのに、私は気付いた。松明の炎の小刻みな揺れが、その瞳に映りこんでいる。


「あなた達の絶えない怒りと悲しみを背負って、持たざる者達の果てしない憎しみをその身に受けて……そして――」


 シィンの口元が小さく動く。

 しかしそこから紡がれようとした言葉は声になっていなかった。


「――そして、殺された。……ダリウス、あなたに!」


 酷く冷めた目のダリウスと目が合う。

 しかし、私の言葉は老人に何の痛手も与えていない様に見えた。

 ずい、と踏み出したダリウスが、シィンの肩を優しく叩いた。


「シィン」


 落ち着き払った声で、ダリウスはシィンに語りかけた。

 先程の様な苛立ちなど微塵も感じさせない声だ。


「お前は、私よりも……その者を信じるというのか?」


 しかし、優しい響きであるにもかかわらず、それは肯定を許さない声だった。


「忘れたか? 我等の大願、その大願の為に払ってきた犠牲を?」


 シィンの瞳が見開いた。同時に歪んでいく表情――忘れていた苦い記憶を思い出したかの様な、辛そうな顔。


 そんな表情を浮かべるシィンにダリウスは続ける。


「全ては大願成就の為、仕方のない犠牲だった」


「大願……成就」


 シィンがぽつりと呟く。

 震える声で呟かれたその言葉に、ダリウスはにこやかに頷いた。


「全ては……大願成就の、為……」


「そうだ、シィン」


 言葉を続けるシィンの隣で微笑むダリウスが私を見た。

 優しい微笑みは、歪んだ笑みになっていた。勝利を確信した笑みだ。勝者は我等だ、と窪んだ目は語りかけていた。


 あぁ、私の言葉が届いていると感じたのは、錯覚だったのだろうか。

 たったの数日間、隣に並んだだけでは、やはり埋められない距離があるのだろうか。


 私は目を閉じた。

 もう、諦めるしかないと思ったからだ。この状況を打開する策を、私は見つける事が出来なかった。

 ごめんね、と心の中で小さく呟いた。

 目の前で微かな笑みを浮かべ、眠るイリア。私はあなたの最後の言葉を違えてしまった。

 こんなにも中途半端に、私は死ななければいけない。何も出来ずに、何も変えられずに、この怒りさえもどうする事も出来ずに――。



 ごめんね、イリア――。



 そう、もう一度呟いた瞬間だった。


「……俺は――」


 空気が、震えた。




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