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第62話 虚しい問答


 じめじめとした空気。

 迎え入れた者を死地へと送り出す為の場所。

 あの日と、何も変わりない、私に待ち受ける未来。






「馬鹿みたい」


 私は両手で顔を覆った。ジャラと乾いた金属音が、冷たい石牢に響いた。鎖で繋がれ、思うように身動きのとれない体がいまいましい。

 何も出来なかった。

 罵る事も、つかみかかる事も、何も出来なかった。

 そればかりか、濡れ衣を着せられ、イリアとも引き離された。


 悔しさが、胸に込み上げる。


「イリア……っ」


 涙が止まらない。

 止められる筈が、ない。


 よりによって酷すぎる。

 イリアを殺したのが――私だなんて。

 悔しい、悔しい――。


「ダリウス……っ!」


 顔を覆っていた手を床に叩き付ける。

 この悔しさをどうにかして発散したかった。いくら床を叩いた所で何の気も晴れない事は分かっていたが、それでも叩き付けずにはいられなかった。

 静まり返った牢に、虚しくその音だけが響きわたっていた。






「はぁ、はぁ……」


 両手の動きを止めた時、手の平には血が滲み出ていた。

 私は壁に寄りかかり、呆然と視線を空にさまよわせた。冷たく暗いその場所の空気は、私が泣こうが喚こうが何も変わらない。ただ、死の香りだけが相変わらず充満していた。


 ふと、隣の牢に目をやる。そこはもぬけの殻で、誰もいない。もう奇跡を起こしてくれる人はいないのだ。


 静かすぎて耳が痛い。

 鼻の奥がつんと痛み、目頭が熱くなる。


「……うぅ……」


 泣いても、意味はないのに。

 分かっているのに。


 流しても流しても、涙が溢れる。

 きっとイリアが死んで、涙腺も壊れてしまったのだろう。


「……っ……」


 もういないのだ。

 イリアは、死んでしまったのだ。 目の前で、私の腕の中で、瞼を閉じた。温かい涙を銀色の睫に残して、冷たくなっていった。私を残して、私を置いて――。


 耳元に手をあてる。

 そこにあるべきものはない。いや、あるべきでない事は分かっている。


 現実で生きた記憶を失っていた間は、あると思い込んでいた。付けているのが当たり前、身につけているのが当然のものだったから。


 あるべきでないもの――それはピアス。イリアから貰った、大切なもの。


 この場所にいると、その時の事ですら鮮明に思い出す事が出来る。

 処刑される者に着飾る必要はないと、軍に取り上げられたのだ。きっと捨てられてしまったのだろう。【力】を持つ忌むべき存在であった私の持ち物など。


「…………」


 ふと気付く。人の気配がない。

 静寂で包まれてはいるが、先程までは確かに見張りの気配があった。それが消えている。

 そして微かに聞こえてくる靴音と衣擦れの音。ゆっくりとその足音は近付いてくる。ここに、向かっている。


 足音の持ち主が目の前に現れた瞬間、私は驚愕した。同時に、収まりかけていた強い感情が沸々と胸に込み上げる。


「あなたは……!」


 華美な金糸の装飾を施されている白く長い衣を纏い現れたのは――。


「ダリウス……!」


 勢いよく格子の前まで飛びだそうとして、繋がれた鎖の短さにそれを阻まれる。手を伸ばしても鎖の長さは足りず、目の前に現れたダリウスに触れる事は叶わない。

 そんな私をあざ笑うかの様に、ダリウスは格子の目の前に立ち、微動だにしない。薄ら笑いすら浮かべている様にも見えた。


「……再び、この牢に捕らわれる気分はどうですかな?」


 嗄れた声で、ダリウスは私に話しかけてきた。長い髭をゆったりとした所作で撫でながら、窪んだ目を細める。


「そんなに睨んでも、イリア殿は戻ってこない。違いますかな? チェリカ・ヴァレンシア」


 ダリウスが私の名前を呼んだ。胸がざわりとむかついた。


「あなたが……イリアを殺したんでしょう!」


 私は、込み上げる怒りの感情を吐き出した。

 しかし、ダリウスは私の言葉を全く気にする様子も無く、ただじっと私を見据えている。

 そんなダリウスの姿に、悔しさが込み上げる。イリアにあんな傷を負わせておきながら、この老人は今、笑みすら浮かべている。そんな現実が許せなかった。


「勝手に、イリアの【力】を欲して……勝手に……無用だと判断して……」


 声が震えた。

 どうしようもなく怒りが込み上げる。


「イリアは、あなた達の為に……」


 精一杯鎖を伸ばして、格子に近付く。この声が、少しでもダリウスに届く様に。この怒りを、少しでもダリウスが感じる様に。


「あなた達の為に……っ!」


 それなのに言葉が続かない。言葉より感情が先回りしていて、頭が上手く働かない。そんな自分が、歯痒い。


 その時、ダリウスが牢に触れた。そして私の怒りなんて、これっぽっちも感じていない様な柔らかな笑みを浮かべて言う。


「……いくら騒いでも結構。人払いは済んでおりますからな」


 ふふ、とダリウスが声を出して笑った。


「何故来たのですかな? 姿を現さなければ、貴女を捕まえる事は無かったのに。本来であれば、貴女も我々の仲間なのですから」


 長い髭を撫でるダリウスの瞳が私を見ている。そこには憐れみが浮かんでいる。


「言ったでしょう、貴女には感謝していると。貴女の存在なしに、我々が破壊の【力】を得る事は出来なかった。貴女があの日処刑される事で、イリア殿に【力】が覚醒したわけですからね」


 そう、私のせいでイリアに【力】が目覚めた。恐ろしく凶悪な、そして悲しい【力】が。

 だから救いたかった。

 破壊の【力】を得て、身も心もボロボロになってしまった彼を、救いたかった。それなのに――。


「何故、イリアを……! 【力】を貸したイリアを……何故……っ!」


 この世界で迫害される彼等の為に【力】を使い、そして殺された。この老人の放った凶刃に倒れた。酷い、酷すぎる最後。


「何故、か……? 答える前に私も問いましょう、チェリカ・ヴァレンシア」


 ふっ、とダリウスの瞳が細められる。その視線の先は、私を通り越して、どこか遠い所を見ている様に見えた。


「イリア殿は私達の為に【力】を使う事を拒んだのですよ。自分が殺めてきた者達に対し、心を痛め、そして我らの元から去った。――何故? 何故イリア殿は我等にそんな仕打ちを……我等にはあの方が、あの【力】が必要だったのに」


 片手で顔を覆い、さめざめとダリウスが俯く。


「我等を拒んで……持たざる者達の元へと馳せない確証がありますかな? 己のした事を悔いていたイリア殿が、今度は持たざる者達の為に【力】を使わないと、言い切れますかな?」


 それは、迫害され続けた【力】を持つ者達の身勝手な言い分に聞こえた。

 せっかく手に入れた平穏を失うのが怖いが為に、その不安の根源を絶つ――イリアを殺す正当性を、今この老人は述べているのだ。そして問うとは言葉ばかりで、私に言っているのだ。それは必然であり、間違いはなかった、と。


「あの方は、優しい方でした。だからこそ……私には不安が拭い去れなかった。あの方を生かし手放す事が、どうしても出来なかった」


 ダリウスの声は震えていた。

 もしかしたら、これはダリウスにとって嘘のない心からの言葉なのかもしれない。


「馬鹿げた法の犠牲者である貴女なら、分かる筈でしょう」


 私には、目の前に立つ老人の不安を共有する事が出来る。【力】を持ち、この世界で生きてきた私には、この老人の心からの叫びを、理解する事が出来る。【力】を持つ者達にとって、以前の世界が如何に住みにくいのかも、常に付きまとう死への恐怖も、全部分かっている。


 ――それでも。


「私は――」


 私が声を発すると、ダリウスが顔を上げた。その目には涙が浮かんでいる。


「私はあなたを、許せない」


 救いたかった。

 生きて欲しかった。


「イリアを――殺したあなたを、許さない……!」


 ダリウス、あなたの言葉にいくら共感出来ようと、その気持ちが理解出来るものであっても、それでも、私のあなたに対する怒りは揺るぎない。

 許せる筈が、ない。


 睨む私を、ダリウスが見る。

 ダリウスは、憐れみにも似た色を浮かべ、ただじっと立ち尽くし、やがて大きく息を吐いた。


「……貴女が何と言おうとも、かまいませんよ。やっと、やっと……我等の大願が果たされるのですから」


 ダリウスの口元が歪む。


「明日、貴女がイリア殿を殺害したという罪で処刑される事によって、我等の世界は完成する。何者にも脅かされない、【力】を持つ者達だけの世界が」


 ふふ、とダリウスの口から洩れた笑みは酷く不気味だった。


 私は体を繋ぐ鎖をあらん限り伸ばし、ダリウスに少しでも近付こうとした。しかし、届かない様計算されているだろう鎖は乾いた音を発するだけだった。


「正直、貴女に来ていただいて、手間が省けました」


 ダリウスは格子に触れていた手を離し、踵を返した。私のこの怒りを置いてきぼりにして、優雅に、そして何の躊躇いもなく。


「ダリウスっ!」


「……我等の為に、そして我等の未来の為に、貴女には【力】を持つ者の中の、最後の犠牲となっていただきましょう」


 振り返る事なく、ダリウスが言葉を紡ぐ。遠ざかる足音を聞きながら、私は膝をついた。


 最後の犠牲――それは改革者であるイリアを殺害した罪で処刑されるという事。

 ダリウスは私を咎人に仕立て上げ、更にこの世界の【力】を持つ者達の結束を強固にしようとしているのだ。イリアが切り開いた彼等の世界を、彼等が――彼等だけが生きられる世界にする為に。


「そんな事……」


 再び世界は、誤った方向に進もうとしている。【力】を持つ者達の為の世界――それはかつて己を虐げてきた、【力】を持たざる者達を平穏から退けた世界だ。

 変われる筈の世界に変化を与えず、繰り返そうとしているのだ。


「そんな事、させない」


 ――そうだ。

 諦めないと決めたではないか。最後まで諦めないと、そう決意したではないか。

 もし、ここで諦めれば、イリアが基盤を築いたこの世界は、間違いなく元に戻ってしまう。弱者が、強者に虐げられる悲しい世界に舞い戻ってしまう。


 その時、格子の外を照らす松明の炎が揺らめいた。

 外気によるだろう事は分かっている。しかし私には、イリアの魂がまだ側にいて、私の言葉に頷いた様に思えた。


「まだ、時間は残されてる……!」


 消えてしまう前に。

 ……消えてしまうのなら。


 最後は思うままに。


 叶わない平穏の代わりに、イリアが願った私の幸せ。

 でも、私が望んでいたのは、心底願っていたのは――イリア、あなたの幸せ。あの時、自分の危険を顧みず、私の元へと来てくれた、優しいあなたに幸せになってほしかった。


 けれど、もうそれも叶わない。

 最後に残したあなたの言葉の真偽さえも、今となっては分からない。


 だからこそ、あなたが作り出したこの世界が変わる為の足掛かりを、絶対に無駄にはしない。


「……ダリウス、あなたの思う様には、させない……!」






 それが、私の幸せ。

 イリアが作ったきっかけを守ることが――私の最後の願い。




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