第60話 奇跡の代償
手違いで同話を削除してしまい、再投稿です。全く同じ、ではありませんが、話の内容に違いはありませんので、引き続き読んで頂ければ幸いです。
「行かせない」
私の前に立ちはだかったのは、シィンだ。帝都を背に、両手を大きく広げ、目の前に立つシィン。
「帝都に行ってどうする気? イリアを殺したダリウスを、殺すのかい?」
はっ、と嘲る様に笑ってシィンが続ける。
「無駄だよ。……ねぇ、今まで起こしてきた数々の奇跡を、棒に振るの?」
シィンがイリアを背負い立ち止まる私に、シィンが一歩近付いた。腕を軽く伸ばせば届く間合いで私達は向かい合っていた。
「俺の【力】は、その時、その場所の夢の世界へ移動する【力】」
真剣な面持ちで、シィンが言う。
それは自らの【力】の真実の告白だった。静かに、淡々と、シィンは言葉を紡いでいく。
「この意味が分かる?」
シィンが手を伸ばす。その細い指先が、私の髪を撫でた。髪を通してシィンの体温が頬に伝わる。
あぁ、この感じを私は覚えている。
あの日――私とシィンが初めて出会ったあの日、レイヴェニスタの石牢の中で、同じ様にシィンの手は私に触れた。【力】を私に使う為に。そして――。
「思い出してごらんよ。あんたはどこで目を覚ました? そしてそれはいつだった?」
急激に靄が晴れていくような感覚に襲われる。そうだ、もしシィンの言う事が真実ならば――。
「私……」
覚えている。
確かに、覚えている。
あの日、私の声に呼ばれ、私はこの世界にやってきた。
しかし私の家は何者かにボロボロに荒らされ、不安に駆られた私は、イリアの元へと走ったのだ。けれど、そこにイリアはいなかった。いたのはユナ一人。
「ユナに言われたわ……」
ユナは私を見た途端、号泣した。無事だったのかと、歓喜し涙していた。
その時、私はその涙の意味を解する事は出来なかった。だから尋ねたのだ、何故泣くのか、と。そしてユナは答えた。
「……一カ月も前に、私は帝国軍に連れていかれたって」
だからこそユナは涙した。一カ月もの時を経て、再びカラファの地へと舞い戻った私の無事を喜んだのだ。処刑される為に帝都へと連行された筈の私が戻ってきたから。
でも、それならば、おかしい。
シィンは自分の【力】を、その時、その場所の夢の世界へと移動するものだと言った。
ユナが涙ながらに発した言葉も、嘘とは思えない。
「ねぇ」
シィンの声で、はっと我に返る。顔を上げると、目の前にいるシィンが柔らかく微笑んで、口を開いた。
「あんたはレイヴェニスタの石牢で、俺の【力】を使ってから一カ月もの間、何をしていたんだい?」
「え……」
いつの間にか高くまで上っていた太陽が、じりじりと肌を焼く。
私はシィンの問いに答えることが出来なかった。答えようにも、何も覚えていないのだから。
「俺は、嘘なんかついていないよ。もちろん、あんたが一カ月という時と、場所を越えて目を覚ました事も、まぎれもない事実」
シィンは微笑みを絶やす事なく、けれど淡々と続ける。
「加えてもう一つ。……本当はあんたは消える筈だった」
「……どういう意味」
よく考えてごらんよ、とシィンが上目づかいに私を見た。微かな風がシィンの黒髪を揺らす。
「あんたは俺の【力】で行き来が出来る夢の世界の住人。その夢をみたのは誰か分かるよね? 現実の世界のチェリカ・ヴァレンシアだ。……そして彼女は死んだ」
私は夢の世界の住人。分かっている。それが、認めなければならない現実だという事は、分かっている。
だからこそ、思い出した。帝都で処刑されたあの日の事を、自分の記憶として。
シィンのエメラルドグリーンの瞳は私を映し続けている。揺るぐ事無く、ただじっと。
「それなのに、夢の世界の住人であるあんたは、自分を想像した現実のチェリカ・ヴァレンシアの存在無しに、自らの意思を持って動いている」
そこにあるのは矛盾。
何故あの石牢の中で目を覚まさなかったのか。
何故一カ月もの空白があるのか。
何故――私は、今ここに存在出来ているのか。
――分からない。覚えていない。いや、それとも――。
「何故か、分からないだろ? 今俺が言ったのは全て事実だけど、矛盾にまみれてるから。でも、もう一つの事実を繋げれば、きっと全てに納得がいく」
「もう一つの、事実……」
私はシィンの言葉を繰り返す。今まで自分の身に起きた事を初めから思い返す。
軍に捕らわれ、レイヴェニスタの石牢でシィンの【力】を借りた私は、一カ月の時と場所とを超えて、この世界にやって来た。
「…………記憶」
ぽつりとついて出た言葉は――記憶。
その瞬間、気付く。もう一つの事実に。現実世界の記憶がぽっかりと抜け落ちていたという、紛れもない現実に。
「うん」
シィンがゆっくりと頷いた。
「消えるはずだったのに、消えていない。その代わりにあんたは、現実で生きた記憶を失った。まるで――消えない為に、死んだという記憶を手放したかの様に」
「消えない為の――代償」
そう考えるのが一番しっくりくるだろ、とシィンが私の目を真っ直ぐ見据えたまま言った。
確かにそう考えれば、一連の事実に筋が通る。しかし、シィンの言葉に頷きかけてから、違和感を感じた。
夢の中の存在である私。
その夢を想像した現実世界のチェリカ・ヴァレンシアは死んだ。
そして消えない為に手放した、死んだという記憶。
「私……」
けれど、私は、思い出している。
帝都へと連行された時の事。牢の中で出会ったシィンとのやりとり。そして、自分が死んだという事も。
嫌な汗が背を伝うのを感じた。
目の前のシィンも、そんな私に気付いている。
「代償として手放した筈の記憶。でもあんたは再びその記憶を手にした、一部を除いて、ね」
シィンの手が、私の頬に触れる。嫌に冷たいその指先が、私の輪郭をなぞり、下におろされた。
「全部思い出したら、あんたは消えるよ」
そして発したその一言。
それは、今までの話を繋げた上で分かった、私に待ち受ける事態。 代償として手放したものを、再び手にする事への警鐘。
「全て思い出せば、あんたは消える。あんたが起こした奇跡が無駄になるっていうのは、そういう事さ」
イリアの体を支える腕の力が抜けそうになるのを、私は懸命に堪えた。
「……これ以上、前に進むのは止めなよ」
シィンが悲しげに瞳を伏せ、ぽつりと呟く様に言った。
「……イリアは死んだ。あんたは間に合わなかったんだ。でも、だからってあんたまで消える事無いだろ? せっかく、今ここで生きているのに」
くるりと踵を返し、私に背中を向けると、シィンは間近に見える帝都へとその指先を向けた。
「都はあんたにとって、終焉の地であるとともに、始まりの地でもある。そこに向かう事で、ダリウスと対峙する事で……全て思い出すかもしれない」
レイヴェニスタの都。
現実世界の私がその生を終えた場所。 そして、シィンと出会い、私という存在が生まれた場所。
今度こそ、全て思い出すかもしれない。そしてそれは、私の存在の消滅を意味してる――。
「ねぇ、悪い事は言わない。帝都に行くのは止めて、そうだな……カラファに戻りなよ。きっと――」
言いかけて、シィンは言葉を詰まらせる。私に背をむけて、シィンは今一体どんな顔をしているのだろう。
「イリアも、そう望んでるよ……」
シィンが空を仰ぐ。
どこまでも青く、どこまても澄んだ空を見上げている。
イリアは、平穏な日常を願った。でもそれが叶わないと知った時、今度は私の幸せを願った。自分は幸せだったから、今度は私に幸せに、と。
私は間違っているのだろうか。
イリアの願いを反故しようとしているのだろうか。
でも――。
「そうかもしれない。……でも」
私が返した言葉に、シィンの背がぴくりと揺れた。
これ以上、前に進めば全て思い出すかもしれない。消えてしまうかもしれない。進まなければ、諦めてしまえば、私はこの世界に存在し続けられるかもしれない。イリアも……それを願うかもしれない。
「でも……私は――」
たとえ、何をしても変わらないとしても。
たとえ、待ち受ける未来が消滅でしかないとしても。
たとえ――それをイリアが願っていないとしても。
「――進むわ」
シィンの肩が、後ろ姿だけでも分かるくらい、がっくりと落とされる。そう、と小さく呟いた声は、酷く聞きづらかった。
「あなたが、指導者であるダリウスをかばいたい気持ちは、分からないでもないわ。私が知らないだけで、あなた達【力】を持つ者同士の絆や繋がりが、あるんでしょうから。……でも」
イリアの体を支え、私は一歩進んだ。地面を踏みしめる音が響く。
「私にだって、譲れない事があるの」
一歩、一歩と足を進め、シィンの横を通り過ぎる。シィンが動く気配はない。
何を言われても、何が待ち受けているとしても、この歩みだけは止めるつもりはない。
イリアを、大事な人を失った私のこの気持ちを、ダリウスにぶつけるまでは止まれない。諦めて、後悔したくない。
「消えたって、かまわない」
小さく呟いた。
ふと、イリアの白い横顔に目をやる。
安らかなその顔は、私の決心を受け入れてくれた様な、そんな表情にも見える。
「シィン……あなたに私は止められない」
私の言葉に、シィンは何の言葉も返さなかった。
私達の距離は、どんどん広がっていく。
一度はイリアを救うべく、邂逅を果たして隣に立ち、奔走しようとした事もあった。けれど、今は決定的に立場が違う。
私はイリアに致命傷を与えたダリウスを恨み、シィンはその人を指導者と敬う。
縮められない、距離。
仕方がない、現実。
でも、もう止まらない。
最後の最後まで――足掻いてみせる。