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第59話 朝がきて

 一体どれ程の時間、こうしていただろう。






 山際がうっすらと明るい。鳥達も目を覚ましたのだろう、囀りが澄んだ空気に響いていた。



 私はずっとその場で、ただ呆然として動けずにいた。いや、動きたくなかったというのが、正しいのだろう。

 物言わぬ亡骸と化したイリアのそばから、離れたくなかった。


 イリアの腹部の出血から作り出された血だまりは、心臓が止まった今、乾きつつあった。

 あぁ、神様はなんて無慈悲なのだろう。


「……イリア」


 私は冷たくなったイリアの頬を撫でた。

 山あいから顔を出した朝日に照らされたその顔は、とても穏やかだ。怪我の痛みも、苦しみも何も感じていなかったかの様に。


 でも、私は知っている。イリアがとても苦しんでいた事を。何度も苦しみを乗り越え、悲しみを堪えても、幾度となく障害が訪れた事も。


 その結末が、これだなんて――。


「……酷い」


 イリアはきっと、私は生きていたのだと思ったのだろう。だからこその、あの最期の言葉だった。幸せに、と望んだ。でも、本当は――私はあなたにこそ、幸せになってほしかった。

 私は夢の世界の住人。幸せになれる保証どころか、これからこの世界で存在し続ける事が出来るかどうかも分からないのだから。


「……私、どうなるのかな」


 朝日に照らされたイリアの銀髪を撫でると、さらりと指の間を通り抜けていった。


 私の願いが叶う事はなかった。

 だとすれば、この願いの為にこの世界へとやってきた私はどうなるのだろう。このままここで生き続けるのか、それとも現実の私が存在しない今、消滅してしまうのか。


「……ふふ」


 今更、どう転んでもイリアが生き返るわけでもないのに、くだらない考えをした自分自身に、笑いが込み上げた。


 もう、どうなってもいい。もうこんな現実になど、いたくはない――そう思った。







「チェリカ・ヴァレンシア……」


 突然頭上から降ってきた声。

 けれどその事に今更驚きはしない。悲しみに満ちた、幼い声。その主を、私は知っている。視線を上げる事なく、私はその少年に言った。


「……間に合わなかったよ」


 うん、とか細い声を返す少年。私に【力】を貸してくれた少年、シィン。三度の邂逅を果たし、イリアを救うようここまで導いた張本人。


 じゃりと土を踏みしめる音がしたと同時に、細い腕が横から伸びてきた。見ると、シィンが跪きイリアの肩に触れていた。


「シィン……?」


 乾き始めた地面に、ぽたりと滴が落ちた。シィンの頬を伝うその滴は、涙。はらはらと涙を流し、唇を噛むシィンは、言葉を発する事なくただただ俯いていた。

 どうして、と思ってしまう私はきっと醜いだろう。もっと早くに知らせてくれれば、とかあなたも一緒に来てくれれば、と嫌でも思ってしまう私はとても――。


「……ごめん」


 シィンが呻くように言った。

 しかし今更、何を言っても遅い。いくら恨み言を呟こうが、戻れない過去をどう仮定しようとも、イリアは生き返りはしない。

 何もかも遅すぎた。間に合わなかった。


「ごめん……、イリアごめん……」


 シィンは繰り返し声を絞り出す。心底悲しんで涙を流すその姿は、とても切なかった。

 それでも、私の胸の内に広がる感情は消えない。


「どうして……そんな風に謝るの」


 膨らんでいく負の感情。今更何を言っても意味は無いというのに、それを我慢する事など出来なかった。


「そんな風に謝るくらいなら、あの時一緒に来てくれれば良かったのに。そうすれば、イリアは死なずにすんだかもしれないのに……!」


 ずるい。なんてずるい言い方。

 シィンを責める事で、自分の不甲斐なさを誤魔化す私はなんて醜いのだろう。間に合わなかったのは私自身だというのに。


 シィンは私に反論する事なく、ただただ泣いていた。


「あなたが、来てくれれば……っ」


 馬鹿げてる。今更責め立ててどうなるというの。分かっている、分かっている――それでも。


 シィンの涙を見ていたら、また目の奥が熱くなってきた。あれほど泣いたというのに、涙はまだ流れるらしい。

 小さく嗚咽を漏らしながらシィンが口を開く。


「ごめん……。ごめん、イリア」


 シィンは、何度も謝罪の言葉を呟きながら、自らの膝を叩いていた。そのこぶしには、一体どんな感情を込めているのだろう。そう思ってしまう程、力強く、何度も。


「……ごめん……」


 やがて力尽きたかの様にがっくりと肩を落としたシィンは、震えていた。


「ねぇ」


 涙を流し泣きはらすシィンに私は声をかけた。俯いたままではあったが、私の言葉に耳を傾けた気配がした。


「……あなたにとってイリアはどんな存在だったの」


 俯いたままのシィンを見る。膝を叩いていたこぶしは、その上で固く握られている。その体勢のまま、苦痛に歪めた様な表情を浮かべていた。


「俺にとって、イリアは――」


 シィンはそこで大きく息を吸った。しかし続く言葉はいくら待っても出てこない。結局、再びシィンは黙り込み、沈黙が訪れた。


 日が昇り、辺りを照らす。

 今日も、空は意地悪な程澄んでいて、太陽は残酷な程輝いていた。私の心中はこんなにも、荒れすさんでいるというのに。


 今まで歩いてきた道、そして向かうべき場所へと続く道を眺めた時、その場所があとほんの少しだった事に気付く。


 街の喧騒さえも容易に想像出来る、それ程の距離だった。そこまでの距離を私とイリアは歩いてきたのだ。既に地平線の先にある最果ての崖から、今、この場所まで。深手を追ったイリアにとって、ここまでの道のりは、一体どれ程の苦痛を伴うものだったろう。


 それでもイリアは私に笑顔を向け、優しい言葉をかけてくれた。幸せだと言ってくれた。でも――本当にそれは本心からだったのだろうか。もしかしたら私の為についた優しい嘘だったのではないか。


 もしそうであったなら、なんて悲しい現実。


 あぁ、今なら分かる。

 イリア、あなたの悲しみ、憤りが。そして、大事な人を失わせたものに対する憎しみが。


「シィン、教えて」


 鳥の声を背に、先に口を開いた私に、シィンが顔を向けた。


「あの人は、誰?」


 イリアに致命傷を負わせた人物。死に至らしめる原因を作った、白い衣を纏ったあの老人。得られない【力】など無用だと切って捨てたあの人は――。


 シィンの瞳の虹彩が揺らめく。しかしそれは一瞬の事で、一旦目を伏せ大きく息をついた後に上げられたエメラルドグリーンの瞳は、揺るぎなく私を見据えていた。


「彼は……」


 シィンが口を開く。声が震えていた。


「……ダリウス。俺達の、指導者だよ」


「指導者」


 私はシィンの言葉を繰り返した。

 つまり迫害され処刑され続けていた【力】を持つ者達を導いた人間、それがあの老人なのだ。

 ダリウスという名の老人は、イリアに破壊の【力】を使うように請うた人間の一人であった筈。それなのにイリアをその手にかけたというのか。手に入らないなら、とイリアの腹に刃を埋めたというのか。


「……酷いわ」


 シィンはそのまま黙り込み再び俯いた。シィンがあの老人の仲間である事は分かっている。けれど私の言葉に反する事も、表情に出す事も無いという事は、少なからず私の言葉に頷けるからなのかもしれない。


「あの人は、帝都にいるの?」


 私は腕に力を入れた。途端に体中に痛みが走り、声が漏れた。そんな私を見たシィンが慌てる様にこちらに向けて手を差し出した。


「何を」


「会いに行く」


 シィンの手を振り払い、言葉を遮る。

 痛む腕にもう一度力を込める。がくがくと笑う膝を奮い立たせ、大きく息を吐いた。


 立ちあがれ。痛みになど負けてたまるもか。


「会って、どうするつもりなんだよ」


 振り払われた手を大きく広げ、シィンが声を荒げた。


 会ってどうするつもりなのかなんて、私にも分らない。けれど、この体は、二本の足は動き出そうとしている。


「分からない……でも」


 私は、横たわるイリアの腕を肩にまわした。しかしイリアの体は地面に根を張ったかの様に重く、この道のりで支えてきたその比ではなかった。

 腕に、痛みが走った。それでもイリアをこんな所に一人残していくわけにはいかない。


「私はっ」


 息を吐きながら、イリアの体を一気に引き上げた。膝を伸ばし前を見据える。


「行くわ……!」


 眼前の帝都。イリアが創り出した、【力】を持つ者達が平和に生きられる世界の都。そしてそんなイリアに刃を向けたあの老人がいる場所。


 すぐ横にあるイリアの白い顔を見つめた。

 長い睫にはまだ微かに涙が残っていたものの、その表情はまるで眠っているかの様に穏やかだ。けれど、冷たい肌に触れるとやはり実感してしまうのだ。


 込み上げる涙を堪え、空を見あげる。

 青い空を颯爽と飛んでゆく鳥がいた。




 まだ、私は終われない。

 まだ、終わるわけにはいかないんだ。


 

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