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第54話 イリアの願い


 神様はなんて酷いのだろう。

 やっと会えたのに。

 探して探して探し続けて今、やっと会えたというのに。

 あくまでも、私の願いを叶えてはくれない気なの?



 私の膝の上で青い顔をして酷く咳き込むイリア。その口元は、手は、腹部は赤く染まっている。

 腹部の傷からは、イリアの心臓の音に合わせて、どくんどくんと血が溢れ出してくる。イリアの命が流れ出している。傷を押さえる手に力を込めても、それは止まる事を知らない。


「……チェリカ」


 イリアが腕を伸ばし私の肩に載せた。

 服の上から伝わる冷え切った手の感触。冷たい指先。

 私はそのまま引き寄せられるままに、体を預けた。


「チェリカ……」


 イリアが耳元で囁いた。イリアの顔がすぐ近くにある。苦痛に顔を歪めながらも、その顔は真っ直ぐ私に向けられている。


 涙の浮かぶ褐色の瞳は充血している。

 呼気は荒く苦しそうだ。

 銀色の髪は冷や汗で額に張り付いている。

 口元を赤く染める赤い血は未だ乾いてはいない。


「イリア……」


 嫌な想像ばかりが浮かぶ。

 こんな状態のイリアを目の当たりにして、最悪の事態を思い浮かべない方が無理だ。


「あのね、私シィンに聞いたの」


 この怪我で、この出血で、私の【力】は、役にたつのだろうか。ただ病を癒やすだけのこの【力】で、イリアを救う事は出来るのか。


「イリアのその【力】病気だって。だから……」


 もしそれが出来なければ、私がしてきた事は無意味となる。ここに辿り着くまでの数々の苦難も、悲しみも、全て何の意味も為さなくなるのだ。


 胸の内に悪い予感ばかりが募っていく。助けられないかもしれない、と。

 そんな思いを悟られないように私はイリアの胸に顔を埋めた。腹部の傷口に当てる手に力を込めながら、溢れる涙を拭う。心臓の音がだんだんと弱まっていくのを、肌で感じた。


「今、治すから」


 私は【力】を使うべく意識を集中させた。病を癒やすだけの【力】だとしても、ほんの僅かな希望に賭けたかった。


 死んでほしくない。

 お願い。どうか、どうか彼を、イリアを助けて――。







 顔を上げる事が出来なかった。今、イリアはどんな顔をしているのか見る事が出来なかった。私の【力】は効いたのか、確認する事が怖かった。怪我をし、大量に出血するイリアを、私の【力】だけで救えるのか不安だった。


「チェ、リカ……」


 イリアの胸に顔を埋めたままの私の耳に届いた声。その声に、私は胸が高鳴るのを抑えきれなかった。

 その声は先程までの、弱々しい掠れたものではない。確かにそれは、かつてのイリアの声に比べたら、まだ遠く及ばない瀕死の重傷者のものだ。でも、確かに――違う。


「イ……リア」


 私は恐る恐る顔を上げた。

 褐色の瞳は充血したままだ。

 青白い顔色も変わらない。

 伝う涙も、口元を流れる鮮血も、まだ乾いてなどいない。

 けれど――微笑んでいる。


「チェリカ……」


 その瞳を私に向けて柔らかく微笑んでいる。


「イリア……!」


 息は少しだけ荒い。

 でもこの笑顔は、私が覚えているイリアの笑顔だ。間違える筈など無い。私はずっとこの笑顔を見たかったのだから。


 【力】が効いたのだ、と私は確信をした。先程までのイリアの苦痛に歪む表情は嘘の様に消え失せていたのだから。

 目を細め微笑むイリアは、私がよく知っているその人だった。


 今になって両腕が、体が震えた。

 それはきっと不安で強張る体が解放されたからだ。

 震えは止まらなかった。


「良かった、良かった……イリア!」


 涙は滝の様に溢れ出した。止められなかった。


 唐突に、涙でぼやけた輪郭をしたイリアの腕が私の肩に回された。そのまま私の体は――きつく、きつく抱きしめられた。


「イ……リア!?」


 息が苦しくなる程の抱擁。

 指先まで赤く染まった腕に、私は包まれた。

 その手はとても冷えていて、心臓の音も未だに弱々しくて。それでも力強く、私を抱き締めるイリアの腕。


「チェリカ……」


 イリアは腕に込めた力を抜いて、冷たい指先で私の頬に触れた。両手で私の頬に触れ、なぞり、そして褐色の瞳に浮かべていた涙をこぼした。


「本当に、チェリカなんだな……」


 青白い表情で、私を凝視するイリア。もしかしたら私の存在を確かめているのかもしれない。この世界で私はイリアの目の前で絶命したのだから。


 ごめんね。ごめんね、イリア。

 こんなに時間がかかってしまって、こんなにもあなたを苦しませて。

 もっと早くにあなたを見つけられたなら、負わなくていい傷もあったのに。


 イリアの指先が私の涙を拭った。

 未だ褐色の瞳からこぼれ落ちる涙が、赤い地面に染み込んでいく。

 腹部の怪我からは依然として血が溢れていた。


「イリア、お医者様の所に行こう。早くその怪我、みて貰わないと」

「……あぁ」


 早くしなければいけない。病は治せたのだとしても、この出血を放っておいては取り返しのつかない事になる。時間がない事には、変わりないのだ。


「立てる?」


 私は先に立ち上がり、手を伸ばした。それが酷な事であるのは、誰が見ても明らかだろう。これ程の重傷を負った人間を歩かせるなど、普通なら考えられない。

 でも今は、これしかないのだ。そして一刻も早く帝都へ戻り医者にみせなければ。


「……っ」


 イリアは腕を伸ばし私の手を掴んだ時、一瞬だけ苦痛に顔を歪めた。無理も無い。立ち上がる為には腹に力をいれなければいけないのだから。


 立ち上がったイリアの腕を肩にまわす。ずしりとイリアの体重が私の肩にかけられた。出血のし過ぎで貧血を起こしているのか、時折力が抜け崩れ落ちそうになるイリアの体を、私は懸命に支え歩いた。


 日は沈もうとしていた。

 いつの間にか姿を消していたあの老人は再び私達の前に現れる事なく、私達は一歩一歩進んでいた。

 時折崩れ落ちそうになるイリアの体を支えながらも、刻一刻と迫る命の期限に間に合う為には、この歩みを止めるわけにはいかなかった。


 道のりは遠い。でも、今までの様な先の見えない道を進んで来た事を考えると、足取りは軽かった。










 遠い目的の地。

 一体どれだけ歩いて、どれ程近付く事が出来たのだろう。


 空にはいつの間にか月が出ていた。

 ここに至るまで、私は何度もイリアに話しかけた。

 怪我の痛みで朦朧とした意識のイリアに、目を閉じてほしくなかった。閉じた瞼が二度と開かなくなってしまう事が怖かったのかもしれない。


 俯きはっきりと見て取れはしなかったが、月明かりに照らされたその顔色がとても青白く見えたのは、怪我のせいでもあったのだろう。

 かく言う私も、かなり私もだいぶ息があがっていた。イリアの体を支えての長距離の移動でも、足が悲鳴を上げている。

 それらを紛らわす為にも、私はイリアに話しかけるのを止めなかった。


「イリア、怪我が治ったらどうしたい?」


 それは、そんな中の一つの問いかけ。

 私は、それを特に深くは考えずに口にした。


「……そうだな……。もし、叶うなら――」


 一歩、そして一歩と進みながらイリアが答える。私はその言葉に耳を傾けた。


「カラファへ……、ユナと、チェリカと、三人で……戻りたい」


 続いたイリアの言葉に、胸が痛んだ。


 イリアの願い――それは人は願いとは呼ばないかもしれない。

 皆が当たり前に享受している日常を、彼は求めているのだから。


「……うん。そうだね……」


 胸の痛みをこらえ、思う。


 イリアの願いを叶えたい。

 かつての日常へと、連れ戻したい。


「……チェリカ」

「なあに?」


 ううん。私が、必ず――。


「……いや、何でもない」


 日が沈み、ぼんやりと浮かぶ月が暗い道を照らす中、私達の取り留めのない会話はそこで途切れた。


 私は、満月が浮かぶ空を見上げながら、涙を堪えるのに必死だった。


 かつての日常に戻りたいと願うイリアの姿が切なかった。叶うならと仮定しなければいけない事実が悲しかった。





 ねぇ、イリア。


 私がその願い、叶えるから。




 あなたの事は私が必ず救ってみせる。

 あなたの望む日常に戻してあげる。




 でも、一つだけ。

 私はきっと――そこにはいない。


 ごめんね。



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