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第51話 心の闇


 見渡す限りの青空。降り注ぐ太陽の光。どこからかは鳥の囀りが。


 打ちつける波音。舞い上がる水しぶき。遠くに浮かぶ船から吐き出される白い蒸気。光を反射してきらきらと光る海面。頬を撫でる潮風。影を作る二つの墓標。


 目の前の墓標には、二人の名が刻まれている。救えなかった人、そして死なせてしまった人。本当だったらあの村で、あの質素な家で今も笑顔を絶やさず生きているべき人だった。俺などよりも、ずっと――生きるに相応しい人だった。


「チェリカ……、サラ……」


 俺は手に持っていた二輪の白い花を墓前に添えた。


 どこでこの花を摘んできたのか覚えてはいない。無我夢中だった。無我夢中に俺は逃げてきたのだ。


 何故あの父子の前から逃げる必要などあったんだ。自分の犯した罪から逃れられるとでも思ったのか。


 チェリカを救えずに沢山の人を殺め、サラに助けられた命で彼女を死なせ、再び人を殺めた。それに飽き足らず、国を創り直す名目で【力】を持たざる者達を数え切れない程――。


「……はっ……」


 なんて滑稽なんだろう。

 これが最善の道だと思い進んできた。【力】を持つ者達が幸せに暮らす未来を思い描いて、この【力】を使った。たとえこの手が血にまみれようと、彼等の為に【力】を使い続けようと決めていた。


「……はは……」


 最初から誤った道を進んでいた事に気付かず、胸の内に広がる感情を押さえ込んで、それでも前へ進んだ。


「……はははははっ」


 【力】を持つ者達の国を、持たざる者達の国を奪う事で打ち立てた。

 【力】を持つ者達の平穏を、持たざる者達の平穏を奪う事で手に入れた。

 【力】を持つ者達の命を、持たざる者達の命を奪う事で長らえさせた。


「はははっ……」


 全て繰り返しているだけだ。なにも変わってはいない。

 いずれ、また逆転するのだろう。【力】を持つ者達を憎む持たざる者達によって、また繰り返すのだろう。


「……っ……」


 今更涙など流して何になる――。

 後悔してどうなる――。







「イリア殿」


 突然、後ろから嗄れた声がした。その声の主を俺は知っている。俺は後ろを振り返った。


「ダリウス殿……」


 そこには白い衣と長い髭を風に靡かせるダリウスがいた。

 何故ここに、とは問わない。ここに来た理由など決まっている。俺を連れ戻しに来たのだろう。まだ打ち立てたばかりの国は脆い。いざという時はこの俺の【力】が必要なのだ。けれど――。


「俺の役目は、終わりました」


 もうこれ以上人を殺める事など出来ない。この感情を抱えたまま【力】を使う事は出来ない。


 目の前に立つダリウスが深く息を吐いて、ずいと一歩進み出た。


「我々には、貴方の【力】が必要なのです」


 懇願する様に頭を深々と下げるダリウスを見て胸が痛まないと言えば嘘になる。それでも、もうこの【力】を使いたくは無かった。

 俺はダリウスの窪んだ瞳を見ながら、首を横に振った。


「貴方がたの為に【力】を使うと言った手前、勝手だとは思っています」


 勝手な言い分だ。

 散々迷い、そして決断した筈だったのに、俺は後悔している。【力】など使わなければよかった、と。


「けれど――もうきっと、俺は役目を果たせないでしょう」


 あの時確かに感じた怒り、悲しみ。それが今、こんなに薄れてしまった俺は、なんて愚かなのか。


「我々には貴方しかいないというのに、それでも役目は終わりだ、と?」


 ダリウスが言う。

 俺は頷く。

 ダリウスはそんな俺を見て俯き、そうですか、と呟いた。


「すみません」


 謝罪の言葉を述べると同時に風が吹いた。その風に押されるようにダリウスが俺の目の前に進み出る。その足元に、風に吹かれ墓前から舞い上がった二輪の花が、ぽとりと落ちた。


 がしり、と老人にしては力強い腕に掴まれ、俺の体は引き寄せられた。俯いたまま、俺の肩をまるで泣きじゃくる子供を宥めるかの様に叩くダリウス。その細い肩は震えている。


「貴方は優しいお方です。持たざる者達の事でさぞかし心を傷めている事でしょう」


 俺の肩を掴む手は痛い程の力が込められていた。その指先も小さく震えていた。


「我々は貴方を求めすぎたのかもしれません。貴方は我々の代わりに負わなくてもいい傷を負っていたというのに。……いくら年月が過ぎようとも癒えない心の傷を」


 時折嗚咽を漏らすその姿は小さくか弱い老人だった。

 俺はそんな老人を、まだ反乱の危険の残るこの世界に残そうとしている。それは、シィンを含む【力】を持つ者達をも、という事だった。


「ダリウス殿……」


 胸の内に、また違う後悔が押し寄せた。本当にいいのか、彼等を危険から守らなくていいのか、と。

 そして同時にそんな自分に呆れていた。何故殺してしまったのか、こんな【力】などいらなかった、と後悔する自分はどうした、と。


 迷い迷って、俺は何をしているんだろう。

 ダリウス等の様に国を創り直したいという確固たる意志も持たず、キール将軍の様に旧き国を守ろうという信念も持たず、ただ流されていただけではないか。


「……貴方には貴方の人生を決める権利があります。我々に、貴方を引き止める事は出来ない」


 結局、俺は弱いのだ。

 全てを破壊し尽くし、数え切れない程の命を刈り取る【力】を手に入れても、それでもこんなに弱い。

 自分に不相応な【力】を手に入れて、ただもがいていただけだ。


 自分の弱さに腹が立った。

 迷うばかりの自分に嫌気がさす。


「……イリア殿は、これからどうなさるのですか」


 ダリウスが尋ねたが、俺は答えなかった。

 これから、俺はどうするか?

 どうするつもりもない。ただ待つだけだ――朽ちてゆくのを。役目を終えた者の末路は、それしかないだろう。


 いまだ小刻みに震える手で俺の肩を掴むダリウスは、俯いている。


「イリア殿」


 ダリウスの声が波音を背に響いた。そして老人は顔を上げた。窪んだ目にうっすらと光るものが浮かんでいる。


「本当に……本当に、貴方には感謝しております」


 語尾が震えていた。それを聞いて、また胸が締め付けられた俺は、窪んだ瞳から目を逸らした。


「ただ……不安なのです」

「ダリウス殿……?」


 急にダリウスの声が変わった様な気がして、俺はダリウスに顔を向けた。窪んだ瞳が暗くかげっている様に見えるのは、気のせいだろうか。


「私はもう二度と、あんな思いなどしたくないのです」


 唐突に語り出したダリウスの話の意味が分からず、俺は困惑した。そんな俺を気にする様子も無く、ダリウスは語り続ける。


「支配される世界に生きるなど、耐え難いものはありません。またその様な事になる不安が、私には拭い去れないのですよ」


 一段と強く掴まれた腕を解こうとしたが、その力は思う以上に強い。枯れ枝の様な細い指が食い込み、痛みさえも感じた。


「貴方の【力】が、持たざる者達の手に渡れば……また元の木阿弥」


 ダリウスの瞳に一段とかげりが増した。

 俺には、ダリウスの言っている意味が理解できなかった。元の木阿弥――それはつまり、俺が彼等を裏切り、持たざる者達の元へつこうとしている事を危惧しているのか? だとしたら、それは大きな間違いだった。

 確かに俺は後悔している。多くの持たざる者達をこの手で殺めた事を悔いている。けれど、だからと言って、この【力】を罪滅ぼしに使うつもりは無い。


「ダリウス殿、俺は……!」

「貴方には、我々の側にいて頂きたかった。その命尽きるまで、我々の為に【力】を使って頂きたかった」


 聞く耳を持たないダリウスに、俺の言葉は届いていない様だった。ダリウスは一心不乱に喋り続ける。


「……貴方が、悪いのですよ」


 ダリウスが低く呟いた。深く腕に食い込んでいた手が放される。


「あと少し……それなのに貴方が我々を拒んだ」

「ダリウス……っ」


 ダリウスが一歩後ずさった。

 あぁ、ダリウスは勘違いをしている。あまりに理不尽な世界に長く生きていたせいなのか――この老人の心の闇は、俺には理解できない。それでもせめて、この誤解だけは解かなければ。

 そう思い、ダリウスの元へ近付こうとした瞬間だった。一歩下がった筈のダリウスが、前かがみに勢い良く進み出たのは。


「……貴方には、貴方の人生を決める権利がある、と私は言いました」


 体を密着させたダリウスが、俺の頭の下で小さく、そして低く呟いた。


「あれは、嘘です」


 そう言ってダリウスは俺から一歩離れた。

 離れたダリウスの白い衣が赤く染まっていた。枯れ枝の様な手も、同じ色をしている。


 どくん、と腹の辺りが脈打つのを感じ、俺は下を向いた。


 腹に埋まる短刀。

 そこから溢れ出した血が、ローブに染みを広げていた。




 刺されたのだと気付くのに、時間はかからなかった。



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