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第47話 後悔


 かつては、願っていた。

 【力】があれば、と。


 ユナが発作を起こす度に。チェリカの【力】で、いとも簡単にその発作が治される所を目の当たりにする度に。


 なぜ、俺には【力】が無いのかと悩んだ事も、こんな自分に絶望していた事もあった。



 今、俺は【力】を手に入れた。

 ずっと願い、得たいと思っていた筈の【力】を。

 けれど――。
















「イリア……」


 白んだ視界に映り込んだのは、心配そうに眉を下げ、今にも泣き出しそうにも見える瞳を向けたシィンだった。

 一瞬、なぜ自分がそんな状況に置かれているのか分からず言葉に詰まったが、視界が晴れるにつれて、記憶にぼんやりとかかった霧も晴れていった。俺は、あの日倒れたのだ。


「……シ……ィン?」


 声が上手く出ない。喉に何かが絡んでいるかのような声が出たのに驚いた。一体どうしたっていうんだ――そう思うと同時に嫌な予感がよぎった。起き上がろうとした体には力が入らなかった。


「急に起き上がったらダメだ!」


 シィンが声を荒げて俺の肩を押さえた。声が震えている。肩を押さえる手も、震えていた。


「三日間も眠ってたんだぞ……」


 そのまま震える手に押し返される様にして、俺の体は横たえられた。嫌な予感は当たった。


「俺達……イリアに無理させすぎたんだ。ごめん……本当に、ごめん……」


 シィンが目を伏せた。瞳は潤んでいる。心配をかけてしまったようだ。肩を叩こうと腕を持ち上げると、酷く重く感じた。


「シィン」


 名前を呼ぶと、シィンはその潤んだ瞳を俺に向けた。その顔はとても幼く見えた。ふと、ユナの顔を思い出した。


「心配、かけたな」


 頬に触れた瞬間、その瞳から涙がこぼれ落ちた。自分の手が冷えていたからなのだろう、それはとても温かかった。


 それにしてもこの体のだるさは一体どうしたことだろう。三日間も眠り続けるなんて。シィンの言うとおり、慣れない【力】を使う事が、体に負荷を与えていたのだろうか。


「あ、俺ダリウスにも知らせてくる。心配してたんだ。ダリウスだけじゃない、みんなも」


 シィンは目元を拭うと、思い出したかの様にそう言い残すと、慌ただしく駆け出していった。その際、扉の縁に足をぶつけた音がしたが、段々と遠ざかるシィンの足音が止まる事は無かった。

 なんだかそれがおかしくて笑いが込み上げてくる自分がいた事に気付いたが、同時に思い出した、この胸にもやもやと渦巻く感情――後悔。


「……今更……」


 そう、今更だ。今更後悔しても何もかも遅い。俺は、武力を持つ者だけでなく、無力な女子供をも殺めた。この【力】を使って、数え切れない人々を殺めたのだ。この世界で、この馬鹿げた世界で【力】を持つ者達が平穏無事に生きる為に、迫害されるこの基盤を変える為に。


 それしか道は無いと信じ、それが最善の道だと、考えていた。旧き体制を排除しなければ、新しい思想は受け入れられないのだと。


 けれど、本当に――?


 あれほどにたぎっていた怒りは、一体どこへ消えたのだろう。チェリカやサラを殺され、ユナを傷つけられた時に感じたあの憎しみは、どこに行ったのだろう。


 後悔など、俺にする権利は無いのに。




「――っ」


 ふいに激しい吐き気を覚えて口元を押さえた。酸味がかったものがこみ上げてきたが、この場を汚してはまずいと思い必死に堪える。冷たい汗が背を流れるのを感じた。


「……はぁ」


 しばらくして吐き気が治まり、思わずため息をついた。


「ねぇ」


 その時、突然声がして、慌てて顔を上げると、そこには恐る恐る部屋の中を伺い見るアイリがいた。アイリはその場にじっと立ち尽くし、こちらをじっと見つめている。

 一体いつからそこにいたのだろうか。もしかしたら、見られたかもしれない。そんな考えが頭をよぎった瞬間アイリは口を開いた。


「具合、まだ悪いの?」


 どうやら今の様子をアイリは見ていた様だ。心配げに上目遣いで歩み寄ってくる。


「いや、そんな事ないよ」

「でも、今……」

「気のせいさ」


 アイリの言葉を遮る様にして、俺は否定した。

 子供に向かって大人気ないが、有無は言わせない。俺が大丈夫と言うのだから、アイリにも大丈夫だと思ってもらわなければ。


 そっか、とアイリは小さな声で呟いて、先程まで穴が開くほど向けられていた視線を、ふいと逸らした。渋々だが俺の言葉に納得したようだ。これ以上みんなに余計な心配はかけずにすみそうだ。


「もう大丈夫?」


 そろりそろりとアイリがベッドに近付いてくる。


「あぁ。アイリにも心配かけたな。もう俺は、大丈夫」


 ベッドのすぐ脇に寄ってきたアイリの頭を、いまだにずっしりと重く感じる手で撫でた。アイリはくすぐったそうに目を細めている。


「シィン、すごい心配してたよ。毎日、様子見に来てたみたい」

「……そっか」


 もしかしたらシィンは、俺に【力】を貸してほしいと請うた事を気にしていたのかもしれない。

 気にする事は無いのに。【力】を貸すことを決めたのは結局俺自身なのだから。【力】を使い疲労して倒れたというなら、むしろその【力】を扱いきれていない自分に恥ずべきなのだ。それで、いらぬ心配をかけたというなら、なおさら。


「あっ、まだ起きちゃダメだよ!」


 アイリがシィンと同じ言葉で、起き上がろうとする俺を諫めたが、そのまま聞こえないフリをして腕に力を込める。まだあちこちの節々が痛む。けれど、先程よりはぐっと力を入れる事が出来た。

 上体を起こした俺の横で、アイリはおろおろとしている。大丈夫、大丈夫と言い聞かせるが、やはり落ち着かない様だった。


 ふぅ、と大きく息を吐き出し、床に足をつけた。小さな体でとっさに俺の体を支えようと前に踏み出したアイリを遮る。

 その時、バタバタと足音が近付いてくるのが聞こえた。


「イリアっ!」


 バタンと勢いよく開いた扉の向こうに現れたのは、息をきらせたシィンと、彼に連れられてきたダリウスだった。起き上がっている俺に目を丸くしながらシィンが近付いてくる。


「まだ無理するなよ……っ」


 その言葉には、忠告を聞かなかった俺に対する怒りなどは含んではいない。その代わり、懇願するかの様に切々と訴えかけてくる響きがそこにはあった。


 俺の身を案じてくれる事を嬉しいと感じる一方で、複雑な気持ちも拭えなかった。こんな俺の身を案じてくれる人がいる様に、俺が殺めた多くの人々にも、きっとそんな存在がいただろうと。

 そう思うと、素直に笑う事は出来なかった。いや、そんな事許されない様に思えた。


「イリア殿、どうかご自愛下さい」


 悲しげな表情を浮かべながら、ダリウスが近付いてくる。彼はシィンの肩に手を載せ言った。


「あなたの体は酷く衰弱しておられる。せめて、せめて今日一日はどうか」


 眉を下げじっと視線を向けるダリウス。シィンと並んでそんな視線を向けられると、何だかいたたまれなくなってくる。


「……分かりました。今日一日は休息をとらせて頂きます。ただ、……一つだけ教えて下さい」

「何でしょう?」


 ダリウスにゆっくりと背を押され、俺は再びベッドに腰掛けた。


「ユナは目を覚ましたでしょうか?」


 その問に対する答えは沈黙だった。俯くダリウスとシィン。アイリを見ると、不自然に目を反らされた。


「……そう、ですか」


 やはりユナはまだ目覚めていない。俺のせいで傷つけられ、昏睡状態にあるユナは――目覚める事を拒否しているのかもしれない。

 理不尽な暴力を受ける原因となった俺を受け入れたくないから。そして反逆者という汚名を着た兄を持つという事実よりも、夢の中の方が数段マシだと、そう思っているのかもしれない。


「今に、目を覚ますって。そんなに肩を落とすなよ」

「……そうだな」


 シィンが遠慮がちに言った言葉が、何の根拠も無いことは分かっていたが、今の俺にはその言葉を信じるしかなかった。そんな事しか出来ない自分に苛立ちがつのる。


 結局俺には何も出来ないのだ。

 旧き体制を打ち壊し、新しい国の基盤を作り出したなどというのは、所詮はきれい事。

 俺がした事は、ただの殺戮。この手は持たざる者達の血にまみれ、多くの屍の上に国を築いた。ただ、それだけ――。


「――じゃあ、妹が目を覚ましたら、真っ先に知らせにくるから」


 はっと我に返ると、シィン達は部屋を後にしようとしていた。何か言っていた様だったが、半分も聞いていなかった。

 アイリがひらひらと手を振るのを見送ってから、俺は横になった。


「あぁ……」


 何だか気分が悪い。吐きそうだ。

 思えばこの不調はだいぶ前からあった様な気がする。


「罰……か」


 ふと思い浮かんだ言葉。自分がしでかした罪に対する、罰。多くの人を殺めた俺へのしっぺ返し。


「……それもいい」


 目を閉じる。

 もう、俺の役目は終わった。


 彼等の元にいる理由は無い。否、これから新しい国を創造していかなければならない彼等にとって、俺は無用の長物なのだ。



 俺は再び起き上がり、靴をはいた。



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