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第46話 矛盾


 あぁ、どうして思い出してしまったのだろう。この事実――真実を、私は背負わなければいけないなんて。


 全部、全部、夢だったらいいのに。この真実も、この世界も、イリアが手にした【力】も、全て。









「全部、思い出したわ」


 私の一言を静かに聞いていた目の前の少年は、うっすらと笑みを浮かべていた。その表情にも、私は見覚えがあった。あの時も、確かにこんな表情を浮かべていた筈だ。


「ふぅん、……そりゃ凄いや。思い出せる筈無かったのにな。どんな奇跡が起こったんだろ」


 嘲る様な口調で少年が答える。思い出せる筈無かった――その言葉も、あの時確かに私は聞いていた。


「俺の【力】は、あまり役にたたなかったみたいだね」


 くるりと振り返り、辺りを見回す少年。赤く染めあげられた平野を見回した後ろ姿から、小さなため息が漏れ聞こえた。


「まぁ、仕方ないね。不測の事態ってやつ? まさか、あんな【力】が現れるなんて誰も思わなかったし」


 一通り辺りを見渡し終えた少年は、でも、と静かに続けた。


「そのおかげで命を落とさずに済んだ、と思うんだけどな」


 少年が向き直り顔を上げる。エメラルドグリーンの瞳でじっと見据えるその表情も、あの時と――同じだ。私達が、初めて出会った、あの時と――。













 ――どうして泣いてるのさ?


 突然投げかけられた言葉。それを投げかけたのは、この寒々しい石牢の中、格子越しに冷めた様な視線を向けた少年だった。私と同じ、処刑されるのを待つ身である筈の少年は、乾いた笑みを浮かべ、そう尋ねた。


 答えない理由は無かった。ほんの数刻前、この場所にいる筈のない人が目の前に現れた事、そして目が合った瞬間、私を追って来てくれたのだと確信した事を、私は泣きながら少年に告げた。


 ――大事な人、なんだね。


 大事な、人。そう、だから嬉しかった。驚いたけれど、目が合った瞬間、胸の奥が熱くなった。けれど、すぐに私はそう感じた事を後悔した。だってそうだ、魔女として捕らえられた私を助けにきたという事は……。


 そんな私の心中をを察したのだろう、少年は視線を落とし、悲しげな表情を作った。静まり返った石牢に少年の声が響く。


 ――でも、助けに来たっていうなら、殺されるよ。反逆者、として。


 分かっている。私を助けようとするなら、【力】を持たないあの人も、同罪として裁かれるという事くらい。だから悔しいんだ。ただ処刑される事を待つしかない、この身が。死んでほしくない、と願う事すら叶わない、この現状が。


 ――助けたい? その人の事。


 少年がぽそりと呟いた言葉を繰り返す。答えの分かりきった自問自答。


 助けたい。助けられるものなら、声を大にして叫ぶ事だって出来るだろう。そんな術があるならどんなに。


 ――なら、俺の【力】、貸してあげるよ。どうせ俺だって、殺されるんだ。最期に、面白いモノ、見せてよ。


 まっすぐに私を見据えるエメラルドグリーンの瞳。格子越しに向けけられたその視線と言葉は、圧倒的な存在感と誘惑とを持って、私の耳に届いた。断る理由など、無かった。












「嘘を、ついたのね」


 私が呟いた言葉は、少年の耳に届いた様だった。少年は笑みを浮かべながら、何を、と尋ねた。その表情はその事が事実である事を物語っている。問いかける表情でないそれは、何も悪びれていないかの様に絶えず笑みを浮かべたものだった。


「今を渡る【力】だと、あなたは言ったわ」


 うんうんと頷き、視線を私に真っ直ぐ向けてくる少年。あの時、確かに少年は言ったのだ。


「今を渡る【力】を使って、別世界の自分に助けを求めればいい……俺はあの時、そう言ったね」

「数ある選択が存在する分、世界も存在している。だから、その中の一つの世界の私に助けを求めればいいいいのだと、そう言っていたわ」

「でしょ? それの何が嘘だって、あんたは言うんだ?」


 あの時は分からなかった。いや、分かるはずも無かった。時間も残されていなかったし、何より処刑されるのを待つ身でありながら平常心でいれた筈もなかったのだから。私は、少年の言葉を疑う事などしなかった。だから、その後に続いた少年の言葉に、何の疑問も抱かなかった。


「あなたは、続けたわ。急がなければ、と」


 私はあの時の少年の言葉を、その光景を脳裏に浮かべた。思い出した言葉を、頭の中で逡巡させる。



 ――でも、急がないと。処刑されてしまったら、目的を思い出せなくなってしまう。



 それは矛盾。今になってようやく気付く事が出来た、少年の【力】の真実。


「私のこの記憶は、何?」


 私は、この世界に呼ばれて来たのだと……そう思っていた。助けを呼ぶ声に導かれて来たのだと。けれど――。


「矛盾、しているの。この記憶が」


 私が、この世界に存在していた別の私に呼ばれて、この世界に来たというなら、あの時の少年と石牢でのやりとりの記憶は誰のものなのか。


 処刑される身である為の恐怖、助けに来てくれた人の姿を見た時の嬉しさ、けれどこのままでは反逆者として殺されてしまうという事実の悲しさ――あの時、確かに感じた沢山の思いを、今、私はこんなにも鮮明に思い出している。自分の記憶として。


 その記憶が指し示す事実――。


「私は――」


 言葉に詰まる。

 認めたくない。

 認めてしまったら私は――。


 目の前の少年の表情は崩れない。ただ静かに微笑んでいる。ただ、少年のエメラルドグリーンの瞳の虹彩が揺らめくのを私は見逃さなかった。


「……ところで」


 少年が口を開いた。今、私がここに存在する意義、そして認めたくない事実。少年はそれらを肯定する言葉を口にしたわけではない。まるで今までの話など、どうでもいい事であるかのように、唐突に話題を変えた。


「その怪我、何とかしよう。辛いだろ?」


 少年がにこりと微笑んだ。私は唐突に訪れた話題の変化に戸惑いつつも、自分の体に目を落とした。


 引き裂かれた服、服に滲んだ血、泥と血にまみれた体。立っている事さえ辛いのは事実だった。怪我を意識した途端に、痛みがまた激しくなった様に感じるのは気のせいかもしれないけれども。


「治してもらいに行こう」

「な……」


 少年が私の腕を自分の肩にまわす。


「今度は大丈夫。意識を失う事なんて無いよ」


 私の顔のすぐ横で、少年は白い歯をみせた。


「二度目だから、ね」


 瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。目の前に広がる赤い平野はいびつな地平線を作り出し、沈みかけた夕陽が残る空と混ざってゆく。私は体を少年に預けたまま、目を閉じた。歪んだ景色の残像が残る頭の中で、私は繰り返していた。



 二度目だから。



 少年が紡いだその言葉。 そう、これは二度目なんだ。私がこの手を取ったのは。あの時、レイヴェニスタ城の石牢で初めて出会った時、そして今。


 少年の【力】を使って訪れたこの世界で、再度その【力】を使う事。その事が意味するのは――。







「着いたよ」


 耳元をくすぐる声。目を開けると少年は笑みを浮かべている。そしてその背景には、レイヴェニスタ城を後ろに控えた丈の短い草を生い茂らせた平野が広がっていた。


「少し歩くから」


 そう言ってくるりと身を翻した少年は、私に向かって背を向け片膝を着いた。


「な、に……?」

「乗んなよ。歩けないだろ」


 少年は肩越しにこちらを向いて手招きをする。けれど、素直にその背におぶわれるわけにはいかない。少年の意図が見えないのだから。


「ほら、早く!」


 少し苛ついた様に少年が声を上げたが、私は動かなかった。一度は私をさらおうとした人間が、なぜ私を助けようとするのか。それが分からない今、私には少年の言葉を受け入れる事など出来なかったのだ。


「……早くしないと、間に合わなくなるよ」 


 少年は屈んだまま、首だけを後ろに向けた。私は心臓が一瞬大きく脈打ったのを感じた。真っ直ぐに私を見るエメラルドグリーンの瞳。そこには嘲りも、嘘も、何も無かったのだ。先程まで私に向けられていた意地悪そうな瞳は、今度は真摯な光をたたえている。何かを訴えかけている。


「どういう事……?」


 しかし、少年は私の疑問に答える事無く前を向いてしまった。


「ねぇっ!」


 踏み出した瞬間、足に痛みが走ると同時に、ぽたり、と鮮血が滴った。


「……っ」


 痛みは声にならなかった。意図せずその場に崩れる体。地面に落とした視界に影が映った。


「ねぇ、何をそんなに頑なになる必要があるんだよ? 怪我を治して、彼を助ける、それでいいんじゃないの?」


 夕日で大きく伸びた少年の影がゆらりと揺れた。逆光で表情はあまり見えない。


「彼を救うのが、あんたの願いだろ」


 少年の口の端が微かに動くのが見えた。けれど、それが困惑を意味するのか、ただ単に嘲笑しているのかまでは分からなかった。痛みに今にもどこかに飛んでいってしまいそうな中で、私はぼんやりと考えていた。


 ――私の願い。それはイリアを助ける事。その為に少年の手を取ったのだから。


「あなたは、何故、私を――」


 私を助けた意味。ただの気紛れなのか、それとも何か別の意図を持っているのか。


 目の前の少年は膝を折り、逆光に隠されていた表情が露わになった。

 微笑みを浮かべている。それは優しい笑みだった。


「……ただの気紛れさ。死ぬ前に、何か生きていた証を残そうとした」


 証を残す為。その為にあの日、あの冷たい牢の中で、少年は私に声をかけた。


「それなら、今度は?」


 少年は目を伏せた。長めの睫が影を落とす。


「……今度は、気紛れなんかじゃない。理由があるんだ」


 少年の手が私の体を持ち上げる。ふわり、と体が浮き上がる感覚を感じながら、私の朦朧とする意識は途切れた。


「まだ、あんたは――……」


 少年の言葉を最後まで聞き取る事は出来なかった。



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