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第44話 邂逅


 あぁ、空が赤い。なんて綺麗な色なのだろう。


 真っ赤な太陽が今、地平線に沈もうとしている。けれど大地が赤く染まっているのは、そのせいだけではない。


 辺りに充満するのは、血の匂い。赤い景色を作り出しているのは、先程まで猛り吼えていた人間達が、切り裂かれ流した血。今はもう動く事のない、彼らの血だ。


「……寒い……」


 私の体は、地面に打ちつけられた後、うつ伏せたままだった。起き上がりたくても、起き上がれない。四肢に力が入らない。しかし不思議な事に、痛みを感じる事もなかった。ただ寒い、寒くて凍えそうだった。それに体が反応したのか、ぶるりと震えた。


「あぁ……」


 これ程、死を身近に感じる事など無かった様に思う。今はそれをはっきりと感じている。自分の命が消えゆく様を、揺らぐ命の灯火を。


「私、死ぬんだ……」


 思えば、なんて無駄な死に方なのだろう。何一つ私はこの世界で為してはいない。結局戦争は始まり、沢山の持たざる者達を死なせ、イリアを救う事も出来なかった。ただ、一人で走り回っただけ。


「何もかも……空回り」


 私が死んだら元の世界はどうなるのだろう。私が今まで生きてきた世界で、私の存在は消えてしまうのだろうか。たとえ私一人が消えたところで、世界は何の変哲も無く回り続けていくのだろうけれども。


 イリアは、心配しているだろうか。突然いなくなった私の身を案じているのだろうか。でも――探さないで、ほしい。この世界のイリアの様に悲しい【力】を手にしてほしくないから。私の事なんて、忘れてしまっても――いいから。


「イリア……」


 意識が飛びそうになる。目を閉じれば最後、きっと二度と瞼を開く事は出来ないだろう。結局私は自分の未来を変えられなかった。死にゆく運命からは逃れられなかったという事だ。


「……さよなら」


 私は静かに目を閉じた。覚めることの無い睡魔に身を委ねる。










 助けて……


 お願い……彼を……


 彼を……助けて










 暗闇の深淵へと落ちてゆく私の耳に届いたのは、あの時聞こえた声。助けを乞い願う私の声。私をこの世界へと誘った、始まりの声。


 瞼に力を込め開ける。まるで錆び付いてしまったかの様に重いのは、気のせいではないだろう。底の見えない暗闇に落ちてゆく私の目の前にいたのは、私。頭から落下する私と、まるで鏡合わせの様にして一緒に落ちてゆく、同じ顔。その顔は涙を止めどなく流し、私に語りかける。



 お願い……まだ、間に合うから



 目の前にいる私から声は発せられている筈なのに、その声はまるで遠くから聞こえるかの様に、暗闇内に反響した。



 彼を……イリアを……



 私の手が、私の顔に触れた。ひんやりとした感触と共に、感じた不思議な予感。何かを、大切な何かを思い出しそうな、そんな予感がした。



 助けて



 伏せたまま泣きはらしていた顔を上げた目の前の私が、言葉を紡ぎなから私の目を見つめる。瞬間、私の頭の中で何かがはじけ、その『光景』は流れ込んできた。同時にみるみるうちに晴れてゆく暗闇。辺りはそれだけでは飽き足らず、眩い程の光を満ち溢れさせてゆく。目の前の私は、溢れる光に同化する様に、細かな粒子となって、眼前から消えた。






 呆然とする私の体は、いつの間にか落ちることなく、その場に浮遊していた。指先が震えている。けれどそれは寒さのせいなんかではない。


「今のは――」


 何かがはじけた瞬間、私の頭の中に流れ込んだ『光景』。冷たい汗が背中を伝うのを感じながら、私はその『光景』を思い返していた。恐る恐る耳元に手をあてる。


「あぁ……!」


 そこにあるべきものは無かった。あの時確かに、指に当たった感触を今は感じる事が出来ない。私は、足元から地面が崩れ落ちる様な感覚に襲われた。信じていた全てのものに裏切られたそんな気持ち。そんな途方も無い感情に、私の思考が支配されてゆく。


「嘘……嘘……っ」


 嘘だと思いたかった。信じたくなかった。しかし頭に流れ込んだあの『光景』は、私がこの世界に来てからの、いや来る前からの辻褄を合わせてしまうものだった。嘘だと疑えば疑うほど、その『光景』は、私に真実である事を信じ込ませるのだ。


「私――」


 私のいた世界が、ある程度差別があるにしろ平和だった理由。そしてこの世界に呼ばれた理由。助けを乞う私自身の声。全ての理由がその『光景』にはあった。


「あぁ……」


 その事に気付いた私が進むべき道はただ一つ。


「私は……まだ……」


 震える手を握り締める。


「諦めるわけには、いかない」


 そう自分に言い聞かせた瞬間、体中に走る激しい痛み。私は思わず体を押さえしゃがみ込んだ。しかし痛みはどんどん酷くなるばかりで、治まる気配は無い。痛みに呻きながら、体を押さえる手に目をやり、その手が赤く汚れている事に気付く。それはますます広がり、やがて両の手から溢れ出していった。


「ううぅ……っあぁ」


 ぽたり、と足下に滴ったそれは、瞬時に地面に広がり、鮮やかな赤い地平線を作り出した。赤い――血で彩られた大地。それはどこかで見た事がある景色だった。


「はぁはぁ……」


 膝の力が抜け、私の体はそのままうつ伏せに倒れ込んだ。べちゃ、という音と共に、粘着質な赤黒い液体が顔についた。瞼が酷く重い。意識していなければ今にも閉じてしまいそうだ。


 ほんの少し動かすだけで、切り刻まれたかの様に痛む手で、目を擦る。その時私は、若干ぼやけた視界に異変を覚えた。


「……帝、都……?」


 視界に映るのは、先程までの、あの場所ではない。遥か後方ではあるが、視界の中にあるその建物は、確かにレイヴェニスタ城。【力】を持つ者と持たざる者とがぶつかったあの平原に、私はいつの間にか戻ってきていたのだ。辺りに目を配ると、見覚えのある人々が、ぴくりとも動く事無く倒れ伏している。


「みんな……」


 イリアを止められなかった為に、死んでいった持たざる者達。ふいに涙が込み上げてくるのを感じた。だってそうだ、この戦いは誰もが犠牲者なのだ。こんなにも空しい戦いは、きっと無い。


 誰が一番初めに、罪を犯したのか。その答えを正しく導き出せる者は、いないだろう。けれど、私が思うことを敢えて言うのならば、この国の在り方自体が、既に間違っていたのだろう。旧き体制に乗っ取って国を治めた皇帝、君主を敬う兵士達、その体制の下で生活する人々。【力】を持つ者は悪で、持たざる者は正義――誰もそれを疑わなかっただろう。彼等にとってはそれが正しかったのだから。


 でも私は、知っている。それが間違っているという事を。その理由は私自身が【力】を持っているから、だけではない。


「……っ、ぅぅうあぁあっ!」


 私は渾身の力を腕に込めた。起き上がらなければ。その為に私は――呼ばれたのだから。


 力を込める度に、体中に出来た裂傷から血が吹き出た。しかし頭は冴えている。痛みのせいだという事は知っている。そして一緒にあの時感じた様な、途方も無い睡魔も跡形も無く消えていた。


 がくがくと笑う膝を押さえ、血塗れの大地に両足をつけて体を起こしてゆく。ゆっくり、ゆっくりとではあったが、なんとか立ち上がる事が出来た。たったそれだけの事に、酷く息が切れる。私は深呼吸も兼ねて、大きく息を吸った。


 上体を反らした時に見上げた空は、未だに燃えるように赤い。それ程時間は経っていないのかもしれない、そう思った。私はおぼつかない足を、帝都に向けて一歩一歩進めた。






「……まだ、諦めないんだ」


 後ろから声がしたのは、帝都まで、まだ半分の道程も進んでいない時だった。決して低くはない、幼い声がした方を、振り返る。そこにいたのは、あの時の少年――黒髪をつんつんと立たせ、エメラルドグリーンの澄んだ瞳をこちらに向けて、呆れた、といった表情で立っていた。


「あなたは……」

「やあ、二度目……ううん、三度目だね、こうして俺らが会ったのは」


 そうだ。和解の議の前夜に私をさらおうとした時、その後にリマオを出てミュラシアへと向かっていた時、そして――。


「……でも、こうして、まともに話すのは……、初めて会った時、以来だわ……」


 初めて会ったのは、暗い、暗いあの場所。なぜ今まで忘れていたのか。その理由すらも、今ならはっきり思い出せる。


「あ、思い出せたんだ。あの時の事」

「たった今……だけどね」


 少年は不敵に笑った。



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