第41話 希望への道
鏡に映る自分の姿を見る。身に纏った漆黒の服には裾に金の刺繍が施され、胸の部分には何か紋章らしきものが同じく金の糸で刺繍されていた。
「イリア殿」
コンコンと扉がノックされると同時に老人の声がした。ダリウスだ。入ります、という言葉と同時にガチャリと音をたてて扉が開いた。
「おぉ」
ダリウスは俺を見て感嘆の声を漏らした。俺自身、こんな立派に仕立てられた服を身に着けるのは初めてだったので、少し気恥ずかしい感じがした。
「よくお似合いです」
ダリウスは俺の姿をまじまじと見ながら近付いて来た。ダリウスの纏う衣は初めて会った時と同じ真っ白なもので、あの日と違うのは、やはり胸に俺と同じく紋章の様なものが刺繍されている所だった。
「ご気分の方は?」
「あぁ、もう大丈夫だ」
ダリウスは鏡の前に立つ俺の傍らにやってきた。和解の議からちょうど今日は一週間が過ぎた所だった。俺自身が決めた今日という日が、ついにやってきたのだ。
「皆はもう既にあちらの世界へ行っております。後は我等三人が彼の地へ赴くだけ」
その時、開いたドアの影からシィンが現れた。ぽりぽりと頭を掻き大きく伸びをしながら近付くシィンは疲労困憊といった様子だ。
「あ〜、疲れた。やっぱ一気にあれだけの人数運ぶのはキツいね」
シィンと目が会った。つかつかと俺の目の前まで進み出たシィンは俺の姿をまじまじと眺めると、白い歯を見せてにっと笑った。
「いいじゃん、俺もこっちの方が良かったなぁ……。だってほら見てくれよ、俺のはその他大勢って感じだろ?」
言いながら、心底羨ましそうな目でシィンは俺の衣装を見ている。それをダリウスは幼い子供をいなす様に、これ、と注意し軽く小突いた。確かにシィンの身に着けている服は同じ白色でもダリウスのものと比べて若干くすんだ様な色だし、胸の紋章の刺繍も金糸ではなく、黒糸でされていた。小突かれたシィンは、ちぇっと舌を鳴らしていた。
「シィン、皆の準備は出来ているのか?」
「はい、皆を今ミュラシアと帝都の中間で待機させています」
「そうか」
ダリウスとシィンは何やら話し合い始めた。俺はそんな二人を見ながら、今日今から俺がやるべき事を、為すべき事を頭の中で整理していた。ダリウスは何も気構える事は無いと言う。ただこの【力】を使うだけで、そして先導役として立つだけで、彼等の志気は上がるのだと。
「イリア殿、やはり帝都には軍の残党共と持たざる者達が待ちかまえいるそうです」
「数は半端無かったぜ。国中から戦い手を集めたんだ、きっと」
悪あがきだね、とシィンは続けた。その表情がなんとなく紅潮している様に見えるのは気のせいではないだろう。
帝都の手前では仲間達が待っている。彼等を先導し、持たざる者達が群れを成している帝都へと向かう。そこで俺は――【力】を使う。
今日が終われば、全て変わる。今まで【力】を持つ者達を虐げ、処刑してきた者達が繁栄させたこの歴史に、俺が終止符を打つ。もう馬鹿げた教えの犠牲となる人は出してはならないから――。
「イリア殿」
「イリア」
俺の名を呼ぶ二人の声が重なった。窪んだ瞳とエメラルドグリーンの瞳が俺を見据える。俺は目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、眩しい程の笑顔を浮かべたチェリカの姿と、優しく微笑みをたたえているサラ、そして元気に跳ね回るユナの姿。もう彼女等の様な犠牲者は、出さない――そう心に誓って、俺は目を開けた。
「行こう」
ダリウスとシィンは大きく頷いた。同時にシィンは両手を差し出し、片方をダリウスが取った。終わらせよう、とシィンはもう片方の手を俺に向け呟いた。俺はその手を取り、頷いた。終わらせよう、この国を――。その瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
目を開ける。眼前に広がっていたのは瓦礫の山だった。俺が一週間前に破壊した聖堂の残骸。血痕までもがいまだに生々しく残っている。よく見ればその余波を受けたのか、周囲の建物も今にも崩れてしまいそうな程の損壊を被っていた。
人の気配は無い。皆、帝都に移動し、俺達を討とうと画策しているのだ。そして俺達は、今その帝都へ向かおうとしている。
「さぁ、参りましょう」
前を歩くダリウスが声をかけてきた。俺は瓦礫に足をとられないように歩調を早める。シィンが隣にやってきて、いよいよだね、と語りかけてきたのを横目に頷いた。シィンは緊張しているのか、何度も深呼吸をしている。大丈夫か、と尋ねるとあどけない表情で、大丈夫さ、と返した。
緊張するのも仕方ないだろう。この国の行く末を、【力】を持たざる者達の未来を決める戦いなのだ。勝利すれば、迫害される事も、処刑される事もない、新しい国を築く事が出来る。そして、敗北は即座に死を意味する。国を脅かした大逆賊として――。これは負けるわけにはいかない戦いなのだ。
幼いシィンがその重圧に押し潰されそうになるのは当然な訳で、かく言う俺も、握り締めた拳には、滴りそうな程の汗をかいていた。
ミュラシアと帝都のほぼ中間に位置する平原、そこに【力】を持つ仲間達は待機していた。数にしてみれば、それは四十名にも満たない。それでもその数は若干ではあるが、俺がシィンに連れられて初めて彼等に出会った時よりは多くなっていた。恐らくはダリウスの【力】を使い、俺が伏している間も、仲間を増やす努力をしていたのだろう。しかし、戦いに特化した【力】を持つ者は少ない。
「イリア殿!」
その場に到着すると、それだけで歓声が上がった。皆の羨望の眼差しが向けられる。するとダリウスは、彼等に何か言葉をかけてやって下さい、と俺の背を押した。俺は前に進み出た。
目の前の彼等の表情に浮かぶそれは――希望だった。皆の瞳が輝いている。それは太陽の光が映り込んでいりからだけではない。新しくやってくるであろう明日に対して、皆思いを馳せているのだ。人間らしく生きられる、未来を。
前に出た俺の言葉を聞こうと耳を傾ける彼等から、次第に歓声は小さくなってゆく。
「俺は」
発すると同時に辺りはしんと静まり返った。聞こえるのは、今ここに集まった彼等の服が風でなびく衣擦れの音だけ。
偉そうな事を言える身分も立場もない。ただ、これだけは言おう。俺が心に誓った言葉――。
「この【力】を使って貴方達を――」
シィンが俺を見ていた。目が合うと、彼はにっこりと微笑んだ。
「必ず、安住の地へと導きましょう」
ダリウスと目が合うと、彼は窪んだ目を眩しそうに細めて俺に笑いかけてきた。同時に再び湧き上がる歓声。少ない人数ながらも、その歓声は空気を震わせている。彼等の心からの叫びが、澄み渡った青空に響いた。
「さぁ」
いつの間にか隣に進み出ていたダリウスが、歓声に負けない声を張った。
「参ろう、帝都へ!」
空が割れん程に響く歓声。太陽の光は、まるで希望へと繋がる道を照らすかの様に、俺達の行く道に降り注いでいる。
――この道を俺は先導しよう。たとえこの手が血にまみれ、拭い去れない程汚れてしまっても――。




