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第40話 訪れたその日


「ヴァレンシア……」


 覗き込む顔。ぼやけた私の視界に映り込んだのは、痛々しく体中に包帯を巻き付けたキール将軍だった。


「あれ……、私……」


 だんだんと視界がはっきりするにつれて、鮮明になってゆく記憶。そうだ、私怪我の手当てをして貰った後に――。


「気を、失ったんだ……」


 そう呟いた瞬間、視界の端に黒い影が映り込み、私はとっさに目を瞑った。同時に額にひんやりとした感触があった。目を開けると、そこにあったのはキール将軍の大きな手だった。その手は私の髪を撫で、そして頬を撫でた。


「キール……将軍?」


 私は恐る恐る見上げた。片手に接ぎ木を当て包帯で支えているキール将軍の片腕は折れているのだろう。体の至る所に巻かれている包帯からは、所々血が滲み出ている箇所もある。一見して動ける状態では無いことに、私はやっと気が付いたのだ。


「キール将軍! 動いちゃ駄目です!」


 しかし起き上がろうとした私をキール将軍が手を肩に当て制止する。私はキール将軍の顔を見上げた。優しく微笑む顔がそこにあった。微笑んだまま、再び私の頬を撫でた。


「君は……愚かだな」


 優しく、キール将軍は言った。その言葉に一瞬戸惑う私を見て、ふっと笑う。


「今なら、まだカラファに戻る事も出来る」


 それでも戻らないのか、と問いかけるキール将軍に、私は頷いて答えた。


「……愚かだ、本当に」


 そう言うとキール将軍は諦めたかの様に薄い笑みを浮かべ首を振った。


 確かに、私は他人から見れば愚かかもしれない。このまま進む事が命を落とす事に繋がる事をを知りながら、それでも進もうとしているのだから。


 けれど私は自ら死のうと思っている訳じゃない。目的を果たすための道が、たまたまここに繋がっていたというだけ。そしてこの道を外れれば、その目的は果たせない。だから私はこの道を進む、ただそれだけの事。


 キール将軍が立ち上がる気配がした。その動きはとてもゆっくりで、怪我の痛みがそうさせているのだろう事は明らかだった。若干乱れた呼吸も聞こえてきたことに、私は声をかけずにいられなかった。


「怪我は……大丈夫ですか」


 大丈夫な筈なんて無い。その事は、キール将軍を瓦礫の中から助け出した私が良く知っていた筈だった。あの怪我で動いている、いや、生きているだけで奇跡なのだから。


「あぁ、大事無い」

「……」


 青白く見える顔色も、きっと気のせいではない。キール将軍はこの体で私に先程の問いを聞きに来たのだろうか。そんな事を考えていた時だった。


「ヴァレンシア」


 部屋のドアに手をかけたキール将軍が私の名を呼んだ。


「……イリア・フェイト率いる反帝国組織は近々攻めてくるだろう。それまで英気を養っておく事だ」


 後ろを振り向かないまま続ける。


「諦めないのだろう? イリア・フェイトの説得を」


 キール将軍は私の答えを待たずしてドアを閉めた。その問いに答えなど必要無いのだ。カラファに戻らない事の理由を知っているキール将軍にとって、あれは問いではなく確認なのだろう。そう、私は諦めない。必ず、イリアを救う――。










「城の外壁の補強は終わったのか!?」


 キール将軍の声が響く。もう直ぐに、とそれに応える誰かの声。傷の手当てをミュラシアで終えた私は、キール将軍と共に帝都へと来ていた。カンカンと工具を壁に打ち付ける音がそこかしらで響いている。


 私が目を覚ましてから数日間、周囲は慌ただしく、そして緊張感が日々漂っていた。それも仕方ない。いつイリア達が攻めてくるか分からず、加えてここに集まる人々の多くは、イリアの破壊の【力】を目の当たりにしている。それに対する恐怖を取り払う為に、人々の気は張り詰めているのだ。


 一度ならず二度までも、イリアの【力】によって壊滅状態にされた帝都は、恐るべき速さで修復されようとしていた。それはキール将軍の手腕なのか、それとも人々の底力なのかは分からないが、その速さには目を見張るものがあった。


「武器の手入れを怠るな! 【力】を持たない私達が頼れるのはそれだけだ」


 体中に巻かれた包帯はいまだ取れる事無く、キール将軍は都中を闊歩していた。将軍の元、今まで武器を持った事すら無かった民衆達は、その扱いの指導を受け、この数日でめきめきと力をつけてゆく。即席ではあるが、それでも【力】を持つ者に対する怒りを原動力とした軍隊が完成しつつあったのだ。


 男達は武器を、女達はそんな男達を支える為、そのほかの細やかな仕事をしていた。例えばそれは、彼等の英気を養う為の食事の準備であったり、【力】を持つ者達の攻撃を最小限に押さえる為に、鋼の板を胸に打ち付けた胸当て作りだった。勿論私も例外ではない。ただ、怪我の具合を心配してか、比較的簡単な作業を任されることが多かった。


「あなた、旅行者なんでしょう? 運が悪かったのね、ミュラシアの件に巻き込まれるなんて」


 それはその日の夕食のスープの具材となる野菜を洗っていた時だった。一人の女性が私に話しかけてきた。短い栗色の髪と、淡い緑色の瞳を持った小柄な女性だった。歳は私と同じくらいかもしれない。よく見ると腕に包帯を巻いている。


「あ、これ? ふふ、私もツイて無かったの。あの日私もミュラシアにいたのよ。聖堂に行ったのは前日だったけれども」


 そう言って女性は私の野菜洗いを手伝ってくれた。女性はネルと名乗ると、凄い勢いで自分の事を語り始めた。自分の住んでいた村は【力】を持つ者によって焼き尽くされた事、それからは転々と各地を放浪し、巡礼に訪れたミュラシアで、あの事件を目の当たりにした事。


「あなたの名前は?」


 ネルは私に尋ねた。聞き役に徹しすぎて一瞬質問された事に気付かなかった私は、一呼吸おいてから名乗った。


「チェリカよ」

「チェリカ?」


 名乗った瞬間ネルの眉が一瞬しかめられる。しかし、それは本当に一瞬の事で、直ぐに表情は元に戻った。


「チェリカ、お互いがんばりましょう。この国を、存続させる為に」


 ネルはにっこりと笑いながら言うと、洗い終えた野菜を私に手渡して、手を振り去っていった。




 今、この場にいる人達は、大事な人を奪われ、その敵を討つ為に、そして今在るこの国を守る為に、イリアと戦おうとしているのだ。逆に私はそのイリアを救おうとしている。その事は、私に良くしてくれているここの人達への裏切りになっている――そんな気持ちがもやもやと広がっていた。


 いっそこれが全て夢だったなら、どんなにいいだろう。この世界の制度も、イリアが多くの人を殺めた事も、今まさに戦争が始まろうとしている事も、全部夢だったなら――目を覚ました私の目の前には優しく微笑むイリアがいて、その隣にちょこんとユナがいる。


「でも、これが――現実」


 辺りを見回す。イリア率いる反帝国組織の襲撃に備えて補強された城壁、鋭い刃を持つ武器の手入れをする男達、次々と集結する【力】を持つ者を憎む人々。


「……諦めちゃ駄目」


 私は濡れた手で自分の頬を叩いた。少しだけ、このどんよりとした気分が晴れていく、そんな気がした。







 戦争なんて始まらなければいいのに――。









 けれど、私のそんな思いも虚しく、その日は突然やってきた。


「大変だ!」


 いまだに大きなクレーターを残した広場に響く男の声。それは毎日偵察として帝都の付近を見回りに出ている男の声だった。普段であれば昼前に出発し、日が沈む頃に戻って来る筈で、まだ日が高いその時間に戻って来た事は、広場にいる人間達に緊張を走らせた。


「……何事だ」


 肩で息をする男に、ほぼ改修を終えた城壁から広場に向かってきたキール将軍が言った。表情は暗い。その言葉は問いではなく、確認なのだろう。今、私達にとって大変な状況はたった一つなのだから。


「奴らだ……」


 男は興奮してはいるが、その表情は青ざめている。キール将軍が大きく溜め息をつくのが見えた。


「奴らが……ミュラシア方面の平原に……!」


 男の言葉に辺りはざわめいた。向かってくるキール将軍に男は駆け寄り、詳しい事情を話した。


 反帝国組織は、帝都とミュラシアの大体中間辺りの平原に、突如として現れたと、男は言う。三十人程の集まりで、その中には女もいた、と続ける男の話を聞き、無言で頷くキール将軍。次第に静まり返って広場に、神妙な表情を浮かべたキール将軍の落ち着いた声が響いた。


「レイヴェニスタの民よ……、長きに渡りこの国に繁栄をもたらしてきた同朋達よ。ついに、この国の行く末を決める日がきたようだ」


 誰しもが不安な気持ちを隠せない中、キール将軍は続ける。


「【力】を持つ者達にこの国は今まさに、蹂躙されようとしている」


 将軍の言葉に、男達は、持っていた工具を、手入れをしていた武器を、その手で握り締めていた。女達も身を寄せ合い、張り詰めた表情をしている。


「これは国を守る為の戦いだ。亡き皇帝陛下の愛した、そして私達が愛するこの国を守り通す為の」


 キール将軍の言葉が戦意を刺激したのか、人々の感情が高揚していく気配がした。


「レイヴェニスタの民達よ」


 キール将軍の威厳に溢れた声が響いた。


「私に、続け!」


 発されると同時に人々の怒号が大地を揺らした。各々が高く掲げた武器の刃は、太陽を反射して眩しく光っている。






 人々の怒号が帝都中に響く中、私は固唾を飲んだ。


 ついにこの日が来た。多くの血が流れるであろう決戦の日が。




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