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第38話 瓦礫の町

少し長くなりました。


 どれほど躓き、もつれ、そしてその度に踏ん張ったっだろう。苦労の末、私の眼前には今、ミュラシアの全景が広がっている。――けれど、それは以前訪れたミュラシアとは違う。


 町に近付くにつれ、私は息を飲まざるを得なかった。そこにはイリアの【力】の爪痕が色濃く残されていたからだ。


 町の象徴である、あの厳粛で、美しい聖堂は見るも無残な状態だった。壁面はもちろん、アーチ状の屋根も崩れ落ち、美しい色彩を誇っていたステンドグラスは粉々に砕かれていた。聖堂だけではない。近隣の住居ですら、その【力】の余波を受け、もうそこに人が住むことは出来ない残骸へと変わり果てている。


 辺りの空気はほのかに焦げ臭い。恐らくその殆どは雨によってかき消されたのだろうが、火事が起きたに違いなかった。辺りに散乱する、かつては住居を組み立てていたであろう木片が、黒く焼け焦げていた事がそれを物語っていた。


「酷い……」


 日が経っていない分、その有り様は帝都よりも酷かった。恐らく瓦礫の下敷きになっているのだろう、あちこちで懸命に瓦礫を退かそうと人々は動いている。そして死体が山積みになるその横では、怪我をした医師らしき人物が、同じく怪我をした人々を看て回っていた。


 かつて聖堂があった残骸部分に足を踏み入れる。そこには生々しい血痕が残っていた。よくよく見回すと、見覚えのある服を着た人間が、その瓦礫の下敷きになっている。レイヴェニスタ帝国の軍服だった。そしてそれは一人ではない。血にまみれた軍服が、掌が、見開いた恐怖に歪む目が、そこかしらにあった。


 私は胃が持ち上がる様な不快感に襲われた。酸味がかった唾液が口中に広がった。今すぐに吐き出してしまいたくても、血溜まりのその場所に座り込む事は出来なかった。


 その時、私の後ろ側にある瓦礫の残骸が音を立てて崩れた。その音に混じって、何かが――聞こえた。


「――」


 か細い、か細い呻き声。誰かが――生きている。私は確信し、辺りを注意深く見回した。しかし先程崩れた瓦礫によって舞い上がった粉塵で、視界は曇っている。私は唾を飲み込んだ。


「誰か、生きているの?」

「――……」


 そのかすかな呻き声は、私の呼びかけに応えた。私は粉塵の舞い上がる周りを目を凝らして見た。視界にレイヴェニスタ兵の死体が映る度に、また口中に酸っぱい唾液が広がる様な気がした。本当に沢山の兵が、死んでいた――それと同時に感じた、違和感。けれど今はそれを究明するより、生きている人を見つける方が先だ。私は奥へと進んだ。


「…………シア」


 今度は、はっきり聞こえた。私の名前を呼んでいた。聞き覚えのある声だ。その時、視界の端に何かが映った。私はそれを中央に捉える。瓦礫の下から血にまみれた腕がはみ出し、そしてその指先がピクリと動いていた。血まみれのその軍服に、私は見覚えがある。


「キール……将軍?」


 私は自分の体の痛みも忘れて走り寄った。今の声は、あの軍服は――キール将軍。生きていた、生きていたんだ。


「……っ!?」


 瓦礫の下敷きになっていたのはキール将軍だけでは無かった。更に数人の兵士の死体の下から呻き声は聞こえてくる。まずは瓦礫をどけようとその端を掴む。瓦礫は重く、持ち上げようとすると、体の痛みに拍車をかけた。けれど、諦めるわけにはいかない。


「うぅっ!」


 瓦礫はよける事が出来たが、更に積み重なる兵士達の死体は、瓦礫以上に重く感じた。思えば、この体でよくこんな力が出せるものだ。切迫した緊急事態が、私にいつも以上の力を与えている事を実感した。


「はぁはぁ……」


 いつの間にか私は血みどろになっていた。私の血ではない。全て、ここで死んでいる兵士達の流した血だ。


「キール将軍……」


 折り重なる様に倒れ死んでいる兵士達の体を、汗だくになりながらそこからよけた時、私は体力を消耗はピークにきていた。やっとの事で、瓦礫と死体の中から傷だらけの体を現したキール将軍は、呼気荒く私の名前を呼んだ。


「ヴァ……レン……シア、か」

「キール将軍っ、喋らないで下さい!」


 キール将軍は目を開けた。しかし額から流れる血が視界を遮っているのだろう、焦点は定まっていない。


「今、助けを呼んできます!」


 出口へ向かおうとした足は思った様に動かない。もつれた私は血溜まりに転がった。目の前に、恐怖に顔を歪めたまま死んだ兵士の体に恐れおののいた。


「す……まない」


 キール将軍のかすかな声がした。私は振り返る。


「私では、イリア・フェイトを……止める事は……出来なかった」


 体を圧迫していたものが無くなったからなのか、キール将軍の呼気の荒さは幾分ましなものになっていた。思って見れば、怪我の状態も辺りで死に絶えている兵士達よりは軽かった様な気がする。しかしそれはあくまで他の兵士達に比べての事であって、怪我の深さは相当である事は変わりないのだけれど。


「キール将軍……」


 すまない、ともう一度詫びた後キール将軍は言った。


「ユナ・フェイトは……私の考えを、良しとしない者達の……仕業だった」

「え……」


 キール将軍は語り出す。途切れ途切れになりながら、その時の事を吐き出した。和解の議は成功間際の所で、皇帝を心酔し、【力】を持つ者たちとの共存を皇帝に対する背信行為であると考える兵士達によって妨害された事。それにユナが利用された事。そしてイリアが、血を流す戦いを起こすと決意した事。


「そんな……」


 私は顔を押さえた。泣きたかった。やはりこの世界で【力】を持つ者と持たざる者達との共存は不可能なんだ。そんな虚しさが込み上げてきた。もう、戦争は回避出来ない――。


「陛下の……影響力は、亡くなられた今でも……凄まじい」

「……キール将軍」


 うぅ、とキール将軍は傷が痛むのか呻いた後、続けた。


「言わなければ、ならなかったのだ……。陛下の元に仕えていた私は……。間違っておられると……もっと、早くに」


 力なく開かれていた掌が、固く握られる。その拳は震えていた。


「共存の道を、選ぶには……遅すぎた」


 大きなため息をつくと同時にキール将軍の拳が開く。咳き込んだ後、キール将軍は私の名前を呼んだ。


「君は……カラファの出身だったな。もう、戻るといい。……この大陸から、離れた方が、いい」


 そう言うと、キール将軍は腕に力を入れ体を起こそうとした。それが無理だろう事は明らかだ。体の至る所にある裂傷から血が吹き出している。


「キール将軍、今、人を呼んで来ますから……」


 私の言葉にキール将軍は耳を傾けようとはしない。しかし、どこにそんな力が残っていたのか、キール将軍は自らの力で上体を持ち上げ、そして立ち上がった。


「キ、キール将軍っ!?」


 立ち上がったキール将軍はよろめき、崩れた壁面へと勢いよくぶつかった。それを支えに体を起こすその姿は、見ている方が辛い。何故そこまでして立ち上がるのだろう。もういっそ――。


 はぁはぁと息を切らしながら将軍は、袖で顔を拭い辺りを見渡した。無惨にも死に絶える兵士達の姿を将軍は、恐らくよく見えていないだろう瞳に焼き付けているのだ。やがてその視線は、将軍の上に積み重なる様にして死んでいた兵達の元に注がれる。目を伏せ、唇を噛み締める将軍の横顔が見えた。


 私も将軍を見習い、瓦礫の壁を伝い立ち上がる。将軍の怪我に比べれば、私のこの程度の怪我で出来ない筈が無いのだから。


 足に力を入れ、やっとの事で立ち上がる。既に将軍は傷ついた体を引きずりながら歩き出していた。血が足跡を作り出す。私はふらつきながら、その足跡を追う。視線の先には一心不乱に歩みを進めるキール将軍がいる。酷い怪我を追っているにも関わらず、なかなか追いつく事が出来ない。


「キール将軍っ!」


 私は先に進むキール将軍の名前を叫んだ。丁度出口にさしかかった、その時だった。キール将軍は歩む足を止め振り向いた。右手で左肩を押さえ、肩で呼吸をするキール将軍の青い瞳と目が合った。


「ヴァレンシア……」


 キール将軍は、ふぅ、と大きく息をつく。


「君に、詫びよう。利用しようとした事を……しかし」


 何かを言いかけたが、思い直したかの様にキール将軍は目を閉じ、かぶりを振った。血の流れる口角を上げ、微笑む様な表情を浮かべる。


「いや……止めておこう。……言い訳をするわけにも、いくまい」

「キール将軍」


 私は一歩、また一歩とキール将軍に近付く。もし人がキール将軍の今の表情だけを見たなら、まさか体にあんな大怪我を負っているとは、夢にも思わないだろう。それ程、その微笑みは優しかった。


 いや、キール将軍は優しいんだ。帝都で大怪我を負った私を、屋敷に連れ帰り手当てし、無理に動こうとする私を叱咤し、連れ去られそうになった私に、そんな状況を作り出した事を詫び、安心するまで側についていてくれた。そして今も、今まさに戦争が起ころうとするこの大陸から逃げるよう促した。私の身を案じ――。


「私は……民を守る。たとえ、今この世界の……制度が間違っていようとも、むざむざ民達の命を、奪わせる訳には……いかないからな」


 キール将軍が咳込むと、血の固まりが地面に吐き出された。はぁはぁと荒い息づかいが聞こえる。


「……民達が悪いのでは、ないのだ。全ては誤った道を進む陛下を、諫められなかった私の……業」

「そんな……! そんな事っ……」


 キール将軍は天を仰いだ。屋根が崩れて落ちているその場所からは、青く澄み渡った空がよく見えた。


「もっと早くに――」


 そう言いかけた時だった。突如として数多くの靴音がこちらに近付いてくる。キール将軍がはっとして後ろを振り向いた。


「キール将軍!!」


 近付く足音の持ち主の一人が高らかに声を上げた。瓦礫を踏みしめ現れた人間達に私達はぐるりと囲まれた。それは数多くの人々だった。中にはレイヴェニスタ帝国の軍服を纏う者もいたが、その多くは一般人と思われるその人々は、私達を囲んだまま大きな人だかりを築いている。


 だれも言葉を発さない。一体何が起こるのかと、えもいわれぬ不安で心臓がどくどくと脈打つのが聞こえた。怖い、そう思い目を閉じたとき、集まった誰かの安堵する声が響いた。


「よくぞ、ご無事で……」


 それを皮切りに人々の歓声が轟いた。空を見渡せる天井をぬけた人々の歓声はきっとこの破壊された町中に響きわたるほどの大きさだ。私達を囲む人間達の中から一人の男が近付いてきた。


「奴らと戦うのでしょう、私等も戦わせて下さい」


 人々の歓声が止み、辺りはしんと静まり返った。そして誰もが男に同意するかの様に頷いている。キール将軍は状況を掴めないからなのか、それとも怪我が痛むからなのか、一瞬顔を歪め言った。


「君達は……」


 男は笑った。


「ここに住んでいた者や、この町の警備にあたっておった者です。かく言う私も、聖堂のすぐ近くのあのパン屋で店主をしておりました」


 そう言って男はかつてはパン屋であったろう建物を指差した。しかし建物は半壊し、普段であれば白い煙と香ばしい香りを吐き出す石造りの煙突さえも、その跡形を残していなかった。


「家族は、死にました。妻は家の下敷きに、まだ四つだった息子も……聖堂近くの歩道で息絶えておりました」


 男はでっぷりとした腹をさすりながら俯いた。みんなもそうです、と呟いたその姿は悲しかった。


「奴らは……和解の場を与えてやったにも関わらず……、こんな、仕打ちを」


 男の肩は震えていた。涙していたのではなかった。体側で握られた拳が震えている。


「奴らは血も涙も無い人殺しです!」


 彼等は知らないのだ。ユナが、イリアの妹がレイヴェニスタ兵にされた酷い仕打ちを。怒りに震えるのも無理は――ない。


「帝都にも私等と同じ境遇の者達と、皇帝陛下に仕えていた方々の生き残りがいる筈です。彼等と――」


 けれど――。


「共に奴らを滅ぼしましょう、キール将軍。その手伝いを、させて下さい」


 男が言うと同時に周りを囲む人々が頭を下げ懇願し始めた。お願いします、とそこかしらから上がる声は、私の心中を複雑にした。


 私はイリアを助けたい。それは私の気持ちである事は変わらないし、それが私がこの世界にいる理由。けれど、身近な人を奪われた彼等の気持ちだって、痛いほど伝わってくる。帝都で会った息子を失った女性、母親を失ったレオンくん、そして今目の前にいる人々。みんな大事な人を奪われた。どうして恨まないわけがなかろう。私だって彼等の立場ならきっと――。


「すまない……私が、不甲斐ないばかりに……」


 そこまで言ってキール将軍の体がぐらりと傾いた。私が駆け出すよりも、辺りの人々が駆け寄る方が早かった。キール将軍は人々に支えられながら、咳き込んだ。


「将軍が謝られる必要などありません。あなたは私等この国の民を思って和解の場を設けた、そしてそれを奴らは踏みにじった。それだけなのですから」

「…………」


 キール将軍は目を伏せた。


「さぁ、怪我の手当てを致しましょう。皆はまだここに生き残りがいないか探してくれ!」


 再び歓声が上がり人々は二手に別れた。その内、聖堂内の生存者の捜索側に別れた中の一人が私に駆け寄ってきた。


「あなたも怪我の手当てを。可哀想に、こんなに傷だらけで」

「あ、私は……」


 女性が私の手を引き促す。それを見ていたのか前を支えられながら歩くキールが言った。


「その娘は、旅行者だ。たまたま聖堂近くに居合わせ……怪我を負った。手当てが終わったら……ラスツールまで送ってくれ」

「あ、はい!」


 私の体を支えながら大きく返事をした女性は、もう大丈夫よ、と悲惨な現場に居合わせた運の無い旅行者に優しく励ましの言葉をかけた。


 優しい人々、自らの命を賭してまで民を守ると言い続ける将軍、大切な人を奪われた怒る【力】を持たざる者達。そしてこの国の在り方に絶望し、その【力】で多くの人を殺めたイリアと迫害され続けてきた【力】を持つ者達。そんな二つの軍勢がぶつかろうとしている。


「キール将軍……っ!」


 私は前を歩くキール将軍に聞こえる様、大声を上げた。くるりと振り向いた将軍の顔は今にも倒れてしまいそうな程、憔悴仕切っているように見えた。


「私は、帰りません。私は……」

「馬鹿な、事を……。もう、君の手に……負えはしまい」


 荒い呼気と一緒に吐き出される言葉は小さく聞き取りにくい。けれど私の言葉は届いている。そして私の言おうとしている事にも、キール将軍はきっと気付いている。


「私も――」


 キール将軍の視線が刺さる。でも、私の意志は――変わらない。


「――一緒に、行かせて下さい」


 私は、決めたから。必ずイリアを救うと――。



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