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第37話 休息


 頬を柔らかい風が撫でていく。閉じている瞼の外が明るい。今日はいい天気だ。平穏で、退屈で、そしてそんないつもと変わらない今日が始まる。


 ――懐かしい記憶。ユナが朝食の支度をしている。そろそろ、起きてという声が響く頃かもしれない。そんな事を考えながら、俺はずっと瞼を閉じていた。開きたく無かった。それは儚い願望でしか無い事を、俺は知っているから――。


「朝……」


 いつの間にか部屋の窓が開け放たれ、そよ風がレースのカーテンをなびかせていた。既に真上まで登った太陽の眩しい程の光が部屋に降り注ぎ、子供達の戯れる声がどこからか聞こえた。外で遊ぶこちらの世界の子供の声か、それともシィンの【力】でこちらの世界に逃げてきた中の子供同士の声なのかは分からないが、そんな平穏な空気は俺の気持ちを安らかにさせた。


 しかし目覚めて気付いた事もある。体の調子はまだ元通りとは言えなかった。昨晩の様に咳や吐き気がするわけではない。けれど体に残るだるさはそのままで、動く事が困難だった。それだけを取れば、まだ昨晩の方が身動きをとれたような気がする。


「うぅ……」


 寝返りをうつのも一苦労だった。一体どうしたというのだろう。こんなに不調を感じる事など今まで無かったのに。いや、ずっと昔、あったかもしれない。けれどあの時は、チェリカがいた。チェリカが――。


「大丈夫?」


 突然、声がした。俺は首だけ横に向けるとベッドのすぐ脇に座り込んで、その大きな瞳を心配そうに俺に向けている少女の姿があった。一瞬ユナと見間違える所だった。けれど、違う。髪の色も、瞳の色も。何より、沢山の怪我を負わされ眠り続けるユナが、今、ここにいる筈が無かった。


「痛いの?」


 少女は焦げ茶色の瞳を真っ直ぐ俺の肩に巻かれた包帯に向けている。同じ色の髪が窓から吹き込んだ風に揺れた。確かこの少女の名は――。


「……アイリ、ずっとここにいたのかい?」


 アイリ・リノ。この組織の中に数人いる子等の中で確か一番幼い子だ。ユナより小さいかもしれない。そしてこの子もまた、他の子同様、親に捨てられた子だと、ダリウスは言っていた。


 俺の問いかけにアイリは小さく頷くと、うなされてたよ、と付け加えた。そしてその小さな手を俺の額に載せ、もう片方の手を自分の額に当てた。その手は温かい。


「熱、少しあるかも。怪我のせいかな」


 そう言うとアイリはそっと俺の肩の傷に触れた。恐る恐る、けれど優しく触れたその小さな手が何だか嬉しかった。そして同時に悲しくなった。【力】を持って生まれたせいでこの子は――。


「こんな時、お姉ちゃんがいれば――」


 アイリが大きな溜め息をついたその時、部屋の扉がガチャリと音を立てて開いた。アイリの言葉はその音にかき消されてしまった。


「アイリっ!」


 現れたのはシィンだった。アイリはシィンの声に驚きびくりと肩を震わせると立ち上がり、大きな瞳をシィンに向けた。シィンはどすどすと足音を立ててアイリに近付くと、立て膝になり視線を合わせた。幼い子に何かを諭す時にとる姿勢だった。


「駄目じゃないか、アイリ。うるさくしたらイリアの具合、良くならないだろ」


 ゆっくりとシィンは言い、アイリの瞳をじっと見据えた。アイリは少しだけ俯き、上目遣い気味に自分を叱るシィンを見ていた。何か言いたさげに口を尖らせている。しかし言いたかったであろう言葉は出さないまま、ごめんなさい、と呟いた。そのままアイリは深く俯いた。


「シィン」


 俺が名前を呼ぶとシィンは立ち上がりアイリの手を引き一緒に枕元までやって来た。


「ごめんな、イリア。うるさかっただろ? ゆっくり休んでてくれよ。本番は、これからなんだからさ」


 シィンはすまなさそうに詫びた。傍らにいるアイリは不服そうだ。確かに騒がしかったのは、どちらかと言えば、大きな足音を立てて現れたシィンの方だ。アイリはただ静かに俺の体調の具合を心配していただけだったのだから。


「シィン、アイリはうるさくしてなんかいない。心配してくれていただけだ」


 俺の言葉を聞いてアイリは顔を上げた。不服そうにへの字に曲がった口は元通りになっていた。


「ありがとう、アイリ」


 俺は具合を心配してくれたアイリに礼を告げると、照れたようにはにかんでから、パタパタと駆け出して行ってしまった。部屋には俺とシィンが残された。


「もしかして俺のがうるさかった?」


 シィンはやっとその事に気付いたらしく気まずそうな顔をして、ごめん、と頭を下げた。俺はそんなシィンをただ、見ていた。何だか頭がぼうっとした。アイリが言った通り熱があるのかもしれない。軋むようなこの体の痛みもそのせいかもしれない。


「イリア。大丈夫か?」

「……あぁ」


 眉間を押さえて大きく息をついた。目を開けるとシィンが心配そうに覗き込んでいた。


「ほら、もう休んだ方がいいって。熱あるんじゃないか?」


 シィンのひんやりとした手が額に乗せられた。やっぱり、とシィンは呟いた。


「……そんなに心配してくれなくても、本番はしっかりやるさ」


 言った瞬間、シィンは悲しげな顔をし、俯いてしまった。別に悪意で言った訳では無かったが、今の言い方は良くなかったかもしれない――俺はぼんやりとそんな事を思った。


「ごめん、そんなつもりじゃ無かったんだ。ただ、本当に体調が良くなさそうだったから」


 俺は詫びて出ていこうとしたシィンの上着の裾を掴んだ。そのまま出ていかせるのは良心が痛んだからだ。とっさに怪我をしている右肩を動かしてしまった為、鋭い痛みに襲いかかられたがシィンは気付いていない様だった。シィンは驚き振り向いてエメラルドグリーンの瞳を俺に向けた。


「悪い」


 シィンは瞳を丸くした。


「言い方が、まずかった。そんなに心配してくれなくても、俺は大丈夫。大丈夫だから――ありがとう、シィン」


 まさか礼を言われるとは思っていなかったのだろう、シィンは始め、ぶんぶんと首を振ったが、やがて満面の笑みを浮かべ目を細めた。それは年相応の少年らしい笑顔だった。


「シィン、お前に家族はいないのか?」


 俺はぼうっとする頭に浮かんだ質問を、よく考えもせずシィンに投げかけた。シィンの笑顔は固まった。そしてその表情のまま、シィンは答えた。


「……いないよ。ずっと昔に、死んだ。両親も、兄貴も。ダリウスに会うまで、俺はずっと一人だった」


 笑顔のまま吐き出された言葉は、胸に突き刺さった。笑顔で、そんな表情に似つかわしくない事を言うシィンの姿は悲しく、痛々しい。家族が死んだ理由は聞けなかった。


「ダリウスは、一人ぼっちになった俺に手を差し伸べてくれた。道を指し示してくれた。本当に感謝してるんだ」


 シィンにとってダリウスは、親であり、新しい国を創り出す仲間でもある。きっとそんな存在なのだろう。痛々しい笑みも、ダリウスの事を話している時だけは幾分マシなものになっている様な気がした。


「だから、俺は――」


 そこまで言ってシィンは急に何かを思い出したかの様にはっとして口を閉ざした。


「ごめん、また俺一人でうるさくしてた。もう、行くよ」


 シィンは踵を返して、部屋を後にした。それはあまりに唐突で不自然だったが、声をかける間も無く、シィンの足音は小さくなっていった。俺はシィンの先程の表情を思い出していた。悲しみの入り混じった笑顔――あんな顔、させてはいけない。


「……早く体調を戻さなきゃな」


 窓のカーテンがふわりと揺れ、柔らかい風が入り込んだ。明るい日差しはそのままだが、いつの間にか子供の声は聞こえなくなっていた。


 その時、俺は視界の端に、何か揺らめくものを捉えた。錆び付いた音がなりそうな首を動かし、それを視界の中央に寄せる。


「花びら……」


 それは白い花びらだった。恐らく死者を悼む際に用いるあの花の花片であろうそれは、窓から入り込んだ風を受け、地面で踊っていた。一体、どこから入ってきたのだろうか。


「……シィン、かな」


 シィンがどこからか付けてきたのだろうか。短い期間に多くの死者を出した、あちらの世界はきっとあの花で埋め尽くされているだろう。その世界を行き来出来るシィンなら、いつの間にか体に付いていてしまってもおかしくない。それがさっき、体から落ちたのだろう。それだけだ、きっと。


「チェリカの墓に備えた花も、もう枯れているだろうな……」


 全て終わったら、もう一度最果ての崖へ行こう。あの崖を沢山の花で埋め尽くしてやろう。チェリカとサラが眠る、あの場所を――。



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