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第36話 遭遇


「どうしても、行くのか?」


 男は私の前に立ちふさがったまま私に尋ねた。頷く私を見て大きなため息をつく。


「俺の話、聞いてたか」


 私は男の目を見ながら、再び頷いた。


「死ぬんだぞ」


 男は今度ははっきりと言葉を発した。このまま、イリアを探し続ければ私は死ぬと、そう言った。はっきり言葉で表された死という言葉に、私は思わず唾を飲む。この男の言葉にきっと嘘は無い。私が死ぬという未来が、この男には見えたのだろう。


「……それでも、行くのか」


 そう言って男は目を伏せた。私は一つだけ男に尋ねる事にした。


「一つ、聞きたい事があります」


 私の問いかけに男は視線を戻した。しかし表情は相変わらず陰ったままで、瞳は悲しげだった。


「あなたが未来を見てきた人の中で、その未来を変えた人はいましたか?」


 問に返される答えで、私が死を回避できるか否かが決まる。もし、未来を変えた人がいるのなら、私だって変えてやる。もし、いないのなら――。


 男は答える代わりに微笑んだ。悲しげな瞳に合わさったその微笑みは、悲壮に満ちた笑みだった。そんな人間はいなかった、それが問に対する答えなのだ。


「なら、あなたが未来を見てきた人の中で、私が初めての未来を変える人間になります」


 男は、そうか、と呟き小さく笑った。一体いつ、どこで、何故死ぬのか私は聞かなかった。聞けばきっと躊躇してしまうだろうから。イリアを救うという決意は揺らいでしまうだろうから。


 少しだけ足が震えた。死なない可能性は砂粒よりも小さいかもしれない。そんな死への恐怖が、私の不安を煽った。その時男の手が、私の肩に触れる。触れた者の未来を視る事が出来る男の大きな手は、私の肩にそのまま置かれた。うっ、と小さく声を漏らした男の瞳の焦点は定まっていない。


 雨音だけが部屋に響いている。肩に置かれていた手が、私の肩を強く掴む。それと同時に男は眉間に皺を寄せ、もう片方の手で顔を覆った。しばらく男はその体勢を保っていたが、瞳の焦点が合ったその瞬間、びくりと肩に置いていた手を震わせた。そしてそこでやっと目の前を阻んでいた男は横に避けた。


「なら」


 男は顔を手で覆ったまま言った。


「変えてみせてくれ、その未来。最後まで足掻いて、な」


 顔を覆っていた手を下ろした男の瞳は真っ直ぐ私に向けられた。綺麗な榛色の瞳だった。部屋を出ようとした時、初めて私は、自分を助けてくれたこの男の名前すらも知らなかった事に気付いた。


「あっ、あなたの名前は……」


 振り向き様に私は問いかけた。まさか今頃になって名を聞かれるとは男も思わなかったのだろう、一瞬驚いた表情を浮かべ、男はたじろいだ。しかしすぐに元の表情に戻り、そして言った。


「ロッシュ。ロッシュ・カートだ」


 未来を視るその男は少しだけ微笑んでいた。私は男に再度礼を述べた。


「あの、助けて下さって、本当にありがとうございました!」


 去り際に視界の端に映った男の顔は、優しげだった。







 リマオからミュラシアまではだいぶ距離がある。雨はいつの間にか上がり、夜明けを知らせるかの様に小鳥が群れを為して、囀りながら飛び交っている。私は長い道のりを、時折休みを挟みながら歩き進んでいた。体の痛みは治まる事は無く、ぬかるんだ道は体力を思ったよりも早く消耗させ、なかなかミュラシアまで辿り着く事が出来なかった。


 今ミュラシアはどうなっているだろう。あの時確かに、私は聖堂が崩れ落ちるのを見た。イリアの破壊の【力】だ。帝都で起きた様な事が、再現されてしまっているのだろうか。――キール将軍、彼は無事だろうか。いや、無事な訳が無い。あの【力】の凄まじさを私は実際目の当たりにしたのだから。


「キール将軍……」


 彼は確かにイリアを討とうとしていた。けれど、それと同時にこの国に住む民を救わなければ、と本気で考えていた。だからこその和解の議だったのに――。










 どれくらいの距離を歩いただろう。何度か休憩を挟んだものの、かなりの距離を踏破しただろう事は、ぱんぱんにむくんでしまった足からも伺う事が出来た。日は既に高く登っている。昨日の天気とは打って変わった晴天の空は、ぬかるみの残った地面を乾かしてゆく。しかし無理に歩き続けた事が祟ったのだろう、もう足は動かなかった。


「痛っ……」


 私はその場に座り込んだ。辺りに誰もいないのをいいことに、むくんだ足を投げ出しよく揉んだ。もうしばらくは歩けそうに無かった。まだ、ミュラシアは見えない。私は青く澄んだ空を見上げた。その色はとても綺麗だったが、どこまでも広がる空は私を不安にさせた。


「見付からないって、言ってたな」


 あの男は私がイリアを見付ける事は出来ないと言っていた。未来を視ることが出来るあの男は確かに、そう言っていたんだ。――なんて広いんだろう。なんて広い世界なのだろう。こんなに一生懸命探しても、イリアの姿を確認出来たのはたった一瞬だけ。言葉を交わした訳でも無い。イリアも私に気付いていなかった。


「イリア……」


 不意につんと鼻の奥が痛くなった。目頭が熱くなっていくのが分かる。私は慌ててもう一度空を見上げた。溢れそうになった涙はなんとかまだその場に留まっている。


 もし――このままイリアを見付けられなかったら、この世界はどうなるのだろう。キール将軍の心配していた通り、【力】を持つ者と持たない者との間に戦争が起こり、イリアはまたあの【力】を使うのだろうか。また沢山の人を殺めてしまうのだろうか。


「駄目だよ……そんなの」


 留まっていた涙は目を閉じた瞬間こぼれた。脳裏に浮かぶのはイリアの泣き顔。イリアを匿っていた女性が処刑された時に見た、あの悲しい表情。もう泣いて欲しくないのに、このままだときっとイリアはまた涙を流すだろう。【力】で人を傷付けて、自分の心にも癒えない傷を負わせるのだろう。


「立ち上がらなきゃ……っ」


 思い立って目を開けた瞬間、目の前には幼い女の子の姿があった。全く気配など感じなかった。いや、怪我の痛みで私の周囲の気配を察知する感覚が鈍くなっていたのかもしれない。突然現れた女の子を見た驚きは声にならず、私はただ目を大きく見開いていた。女の子は座り込んだ私を覗き込むように凝視している。


「びっくりしたぁ……。な、なぁに?」


 腰ほどの長さの焦げ茶色の髪の毛を二つに結わえたその子は何も答えない。ただじっと、髪と同じ色の瞳で私の事を見ていた。


「何か、付いてる? 私に何か御用?」


 何故こんな所に、こんな小さな子がいるのだろう。ユナと同じくらい、もしくはユナよりも年齢は低いかも知れない。そんな子供が一人、リマオとミュラシアの中間にいるなんて――おかしい。迷子だろうか。もしかしたらミュラシアから逃げてきて親とはぐれてしまったのだろうか。


「ねぇ、お母さんは? 一緒じゃないの?」


 女の子はただじっと私を見つめるだけで何も喋ろうとはしない。私は痛む足をさすりながら立ち膝になりその子と目線を合わせた。


「迷子かな? どこから来たの?」


 私が言い終えた瞬間、女の子の視線が横に逸れた。何かに気付いた様だった。


「シィンっ」


 初めて口を開いた女の子は私の後方に向かって大きな声で言った。その視線を追って私は後ろを振り向いた。そこには、女の子同様何の気配も感じさせずにいつの間にか男が立っていた。少し離れた場所からこちらに向かい歩いてくる男の姿は華奢な体つきだった。


「アイリ! 勝手に先に行くなよ! 見つけたのか!?」


 華奢な男が私の目の前にいる女の子に向かって叫ぶ。その声に私は何か引っ掛かりを感じた。


「この人……」


 アイリと呼ばれた女の子は私を指差し足踏みをしている。一体何だと言うのだろう。男は太陽を背に近付いてくる。しかし男は私の数歩前で立ち止まり近付こうとしない。顔は逆光でよく見えなかった。


「アイリ、駄目だ」


 男は突然慌てだした。声の感じはまだ幼い。目の前に立つ女の子に向かって手招きをし、自分の元へ女の子を引き戻そうとしている。


「でも――この人」

「いいから! 早く来い! ミュラシアに戻るぞ」


 その慌てぶりは異常だった。そして今、ミュラシアに戻る、と確かに言った。イリアの【力】で崩壊した筈のミュラシアに、戻ると。


「……せっかく見つけたのに」


 考えを巡らせていると、 目の前にいた女の子はそう呟いて、とたとたと走り去ってゆく。掴もうとした手はするりと抜けていった。立ち上がり後を追おうとしたが、足がもつれた私はその場に倒れ込んだ。急いで立ち上がろうと顔を上げた瞬間、傍らに立つ女の子の手を取る男の姿が視界に映る。


「――!!」


 しかしその姿は一瞬にして煙の様にかき消えた。目の前には男の姿も、女の子の姿も無かった。私はただその場に座り込んでいた。目の前にいた人間がいきなり消えたのに驚き、腰を抜かした訳では無い。


「今、の――」


 見覚えがあった。今思えば声を聞いた時に感じた違和感も、その為だったのかも知れない。あの男――。



 あの、少年だった。

 さらわれそうになった時、一瞬だけ見た――あの時の少年だった。



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