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第34話 先を視る男


 また、届かなかった。

 あと少しの所で、私の手はまた、空を掴んだ。

 いつも、いつも掠めたと思うと、するりとそれは逃げてゆく。


 まるで、見えない何かが、邪魔をしている様に――。













「イリア……」


 目を開けると見慣れない天井が広がっていた。一瞬何が起きたのか分からず混乱する頭を抱え、辺りを見渡す。キール将軍の屋敷とは違い、その造りは質素で、辺りにはものが散乱し、お世辞にも綺麗な部屋とは言えなかった。


「あぁ、そうだ……」


 私はミュラシアに向かう予定だった。イリアのいる反帝国組織と帝国との和解の議が開かれている筈のミュラシアへ。その途中、私を乗せた馬が突風に煽られて。そう、落馬して体が動かなくなって……。


「……っ!?」


 部屋の窓の外は暗い。よくよく耳を傾けると雨の音が聞こえた。私は慌てて体を起こそうとすると、全身に鈍い痛みが走った。


「うぅっ!」


 その時、ガチャリと部屋の扉が開いた。痛みで身動きをとれない私の耳に、おい、と低い声が届いた。大きな足音をたててその声の主は近付いてくる。私は顔を上げた。


「大丈夫か」


 無精髭を生やし、片手に酒瓶を持って現れた男に、私は見覚えがあった。どこかで見た事がある。よろよろと覚束ない足で歩くこの男をどこかで――。


「無理しない方がいい」


 男はドカッと私の横になっているベッドの脇に腰をかけ、話しかけてきた。その息は酒臭い。


「あの、あなたが私を……?」

「あぁ」


 男は酒瓶に一度口をつけてから答えた。時折しゃっくりをしながら答えるその様子は完全な酔っ払いだ。この人が私を助けてくれたのか。取り敢えず、お礼を言わなくては。


「あ、ありがとうございます」


 私が礼を言うと、男は若干赤らんだ顔を私に向け、充血した目でじっとこちらを見てきた。何も言わず、ただじっと見つめるその視線が何だか不気味で私は目を逸らした。沈黙と酒の臭いが部屋中に漂っていた。


「だから言ったろ」


 沈黙の中、突然男は口を開いた。ひっく、としゃっくりをしながら、唐突に言うこの言葉の意味を、私は始め理解出来なかった。そんな私を後目に男は続けた。


「帝都には近付くなって」


 その言葉を聞いた瞬間、この男の記憶に対してかかっていたもやが急速に晴れていくのが分かった。


「あ……!」


 男は酒を仰ぎ、ひっく、としゃっくりをしながら私を見る。思い出したか、と呟くこの酔っ払い――そうだ、リマオで私に『帝都に行くな』と忠告してきた、あの酔っ払いだ。確かあの時は無精髭までは生えていなかった様な気がしたが、この顔、この声、何よりこの酔っ払った姿は間違い無い。


「まぁ、初めてあったオッサンの言う事なんか信じねぇわな」


 ははっと男は乾いた笑い声をあげ、瓶に口をつけた。しかしもう空だったのだろう、男は瓶から口を離し逆さまにして底を覗き込むと、ちっと舌を鳴らした。


「……取り敢えず、命が助かって良かったな。もう危ねぇ事に首突っ込んでんじゃねぇぞ」


 そう言って男は立ち上がった。


「ま、待って!」


 私は、部屋のドアに手をかけた男を呼び止めた。つい勢いで動かしてしまった腕に、肩に痛みが走る。男は、思わず顔をしかめた私に気付いた様だったが、眉間に皺を寄せ、無理するな、と言い残し部屋から出て行ってしまった。私は一人、静まり返った部屋に残された。


 聞きたい事は沢山あったのに。ここはあの男の家なのだろうか。だとするとここはリマオ――わざわざあの男がリマオからミュラシアまで? 窓から外を眺めれば、自分のいる場所くらいは確認出来る筈だったが、体を動かせない今、その術は絶たれていた。


「イリア……」


 あの突風はイリアの【力】だ。あの時と、帝都であの女性が処刑された時と同じ……破壊の【力】。


 また間に合わなかった。私は、なんて無力なんだろう。目頭が熱くなるのを感じた。目の前にしてまたもや逃した再開と、自分の無力さがあまりに悲しかった。イリアに会えなかったばかりがユナすらその安否は知れない。その上動く事すらままならない私は、ただ泣くしかなかった。







 雨はなかなか止まない。どれだけの時間、私はこうしていたのだろう。泣いても何の解決にならないのに。――そうだ、こうしていても何の意味も無い。そればかりか、こうしているうちにまたイリアが【力】を使ってしまうかもしれない。和解の議が恐らく失敗した今、戦争はいつ始まるか分からない。


「決めたんだ」


 上体を起こす。痛みが体中を駆け巡る。でも、今動かなくては。今が動かなければいけない時なんだから。


「私は」


 夢で何度も見たイリアの泣き顔。あんな顔してほしくないから。人々を傷付けて苦しむのはイリアだから。だから――。


「イリアを助けるんだ……!」


 痛む体を無理に動かす。もともとまだ治りきっていなかった傷に加えて、落馬した時にあちこちを打った体は動かす度に悲鳴をあげた。ベッドから降りるにも一苦労だ。特に背中を強く打ったらしく、立った姿勢を保つ事が難しい。すぐに崩れ落ちそうになるのを、私は必死でこらえ、歩いた。


「……はぁはぁ」


 ベッドから部屋のドアに辿り着くのに息が切れた。やっとの事で、ドアノブに手をかけた時、それがガチャリと動いた。あの男が再び現れたのだ。


 男は私の事をギロリと睨んだ。その手に今度は酒瓶は持たれていない。幾分時間が経過したからなのか、赤らんでいた顔色も正常に戻っていたる。男は前に立ち塞がり動こうとしない。


「どこに行く?」


 男が口を開く。それは厳しい詰問口調だった。向かう場所は決まっている。きっともうそこには誰もいないだろう。けれどイリアに関して何の情報も無い今、そこに何かしらの可能性を見出すしかない。


「……ミュラシアへ」


 私が言葉を発した瞬間、男の表情は陰り俯いた。


「そこを、どいて下さい」


 男は依然として、私の前で仁王立ちをしている。俯いたまま、動こうとしない。


「……今度は、怪我だけじゃ済まない」


 男は言った。俯いていた顔を上げ、焦点が定まっていないかの様に見える視線を私に向けて。断言するその言葉は妙に説得力があった。私はそんな男の姿を見つめた。男は一瞬、その場を退けようとしたが、首を振り躊躇すると、やはり駄目だ、と呟いた。


「イリア・フェイトを探すのはやめろ」


 男の前ではまだ一度も口にしていない筈のその名を、男は言った。そして、どうせ見付からない、と続けた。やはり、この男は――。


「……あなたはもしかして、視えるのですか?」


 男は私の問いかけには答えない。その代わり、自嘲するかの様に小さく微笑んだ。それは問に対しての肯定の意味としての笑みなのか、それとも否定を意味する笑みなのか、私には分からなかった。


「……俺にはな」


 仁王立ちのまま男はいきなり喋り出した。口元には薄く笑みを浮かべたままだったが、視線は私を通り越してどこか遠くを見ている様だった。


「妻がいたんだ。こんな俺になんかもったいないくらいの、いい女だった」


 唐突にこんな話をされて、どう反応すればいいか戸惑う私を気にすることなく、男は淡々と続けた。


「よく気が利いて、明るくて、優しい女だった。なんの申し分も無かったんだ。体が弱いってとこ以外は」


 男の表情が陰った。その瞬間私は気付いた、これは悲しい話なのだと言う事に。


「子供が出来た時、妻は喜んだが俺は内心複雑だった。体の弱い妻に、出産に耐えられる筈が無い事など分かり切っていたからだ」


 ふぅ、と男はため息をついた。


「それでも、妻は願った。産みたい、と――」


 男の表情が苦悶に歪む。体側に下ろされた手は強く握られている。


「俺は知っていた。出産は妻の命を脅かすと。けれど、その願いを無下にする事も出来なかった」


 私は苦しげに言葉を吐き出す男をただ、見ていた。続く言葉を予想し、胸が痛んだ。


「子供を産めば、妻は死ぬ。けれど――俺は妻に望み通りにしろと言った。出産を諦めれば、肉体よりも先に心が死んでしまうと、そう思ったからだ。妻は、微笑んだ。母となるべく優しい笑みだった」


 けれど――、男が呟く。


「妻は母となる事は無かった。俺が視た通り、だった」


 やっぱり、この人は視えるんだ。人の未来が――。そして、奥さんの未来を視た。子供を産み、命果てる未来を。それはなんて残酷な未来なんだろう。子供を産めば死ぬ、けれど生まなければ先に心が死ぬ。そんな二択を、この人は迫られた。


「俺には妻の未来しか見えていなかった。触れた者の事しか分からないんだ。……だから」


 男は俯き目を伏せる。


「生まれた子供が産声を上げる事は無い事も、知らなかった」「え……?」


 思わず聞き返した私に、男は乾いた笑いを見せた。それは、私が想像していた事よりずっと残酷な事が事実として起きたという事を意味していたのだ。


「死産だった。俺は……妻も、子供も一気に失くしたんだ」


 言葉が出なかった。この人は奥さんの心を生かす為に、出産に賛成した。けれど命を賭けて生んだ子は生きてはいなかった。自分が止めなかったせいで――。もし、私がこの人と同じ立場だったなら、後悔してもし足りない。あの時、止めていれば、と。


「俺はな、もう――後悔したくねぇんだよ」


 男が私の肩を掴んだ。真っ直ぐに私を見つめている。


「俺達は赤の他人同士だ。血の繋がりも無い、交友があるわけでも無い、まともに言葉を交わしたことすら、今が初めてだ」


 早口で男は続ける。その真摯で真っ直ぐな視線から、私は反らすことが出来なかった。


「けれど、見えちまった。あの時、この町でぶつかった時に、偶然に」


 男の言葉の意味を噛み砕きながら、頭の中で逡巡させる。怪我の痛みに邪魔をされながらも、これだけは分かる。


「立ち止まれ。前に進むな。でないと――。」


 男の悲しげな瞳が目の前にある。前に進むな、と忠告している。肩を掴む手に力が入る。男の視線が言っていた。このまま、イリアを探し続ければ――。



 私は、死ぬと――。



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