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第32話 疾走


 その日の朝、私の緊張はキール将軍の声で打ち破られた。用意された服に着替え、和解の議が行われるミュラシアヘ出発する直前の事だった。


 バタバタと廊下を騒がしくかける靴音。何かあったのだろうかと、外を確認しようとドアを開けようとした瞬間、扉が勢いよく開いた。私の手は空を掴み、酷く慌てた様子で入って来たキール将軍とぶつかった。


「ヴァレンシア……」


 突然現れたキール将軍は息を切らしている。一体どうしたのだろうか? その時初めてノックもせずに扉を開けた事に気付いたのか、キールは息も切れ切れに、すまない、と詫びた。


「どうかしたんですか?」


 キール将軍の顔色が心なしか青ざめているような気がするのは気のせいだろうか。キールは乱れた息を整えると、私の顔をじっと見てきた。その青い瞳には何かただ事でない様な色が浮かんでいる。嫌な予感が胸をよぎった。


「ユナ・フェイトが……」


 額に手を当て深く息を吐きながらキール将軍は言った。


「……消えた」

「!?」


 思わず立ち上がった拍子に椅子が倒れ、静まり返った部屋にその音が鳴り響いた。ユナが……消えた、ですって? 頭がぐるぐるとした。


「ど、どういう事ですか?」

「……昨晩眠っていた筈の部屋から、忽然と姿を消した」


 もしかしたら、もしかしたら――。先程感じた嫌な予感が胸の中で大きく渦巻いている。


「……部屋の窓が、開いていた。恐らく――」


 あぁ、どうして嫌な予感というものは当たってしまうのだろう。


「さらわれた、君をさらおうとしていた者に」


 昨日のあの騒ぎはあれで終わってなどいなかったのだ。私をさらうことに失敗したあの少年は、私の代わりにユナをさらっていったというのか――。


 胸に後悔の波が押し寄せた。あの時、私はさらわれそうになった事が未遂になって安心してはいけなかったんだ。もっとよく考えていれば予想出来ていた事態だったのに。和解の議を妨害する為に、何が起こるか、もっと深く考えなければいけなかったのに……!


「くそっ……!」


 キール将軍は頭を抱えたまま怒りを露わにしている。私と同じ思いでいるのかもしれない。


 和解の議に指定された時間は刻々と近付いてゆく。そろそろ出発しなければきっと間に合わないだろう。しかし、ユナの安否が心配だった。その時、暫く頭を抱えていたキール将軍は俯いたまま言った。


「ヴァレンシア、君は先にミュラシアヘ向かえ。間に合わなくなる」


 駄目だ、キール将軍の声明で和解の議を開く今日、私だけがその場にいるのは意味がない。この国の現在の代表と、反帝国組織の代表との話し合いの場なんだから。


「駄目です! キール将軍は行かなくては。ユナは……私が探します!」

「しかし、君にはイリア・フェイトを説得して貰わなければ」


 我が国民達の命は君にかかっているのだから、とキール将軍は続けた。


「和解の議を彼等の内の誰かが阻止しようとしている今、私一人では……。将軍でなくては駄目です! それに私だけでその組織に相手をされるとお思いですか」


 私の言葉にキール将軍は口を噤んだ。私の言葉は正しい。この国の代表であるキール将軍が行かなくては意味が無いのだ。私だけが行っても、和解の議は成立しないだろうし、悪ければその場に入る事さえも出来ないかもしれない。キール将軍の和解の議への参加は必要不可欠なのだ。それがあって初めて私はその場に存在出来る。


「さぁ、急いで行って下さい! 私もすぐに……!」


 キール将軍は顔をしかめた。恐らく不測の事態に一番慌てているのはキール将軍だ。計画的に事が進めば、その確率は低いながらも、戦争を回避出来ていたかもしれないのだ。


「……っ、表に馬を用意しておく。君もすぐにミュラシアヘ向かうんだ。いいな?」

「……はい」


 キール将軍はそう言い残すと、再び駆け出して行った。靴音は遠ざかり階下に消えていく。


 どうしよう、どうすればいいのだろう。ユナを探さなければいけない、けれどどこをどう探せば?静まり返った部屋で私は足踏みを踏んだ。早くミュラシアヘ行かなければならない、そんな焦りも手伝ってか、私の思考回路は混乱していた。


「とりあえず……ユナの部屋へ」


 外から馬のいななきが聞こえたのを背に、私は扉も開けっ放しで走り出した。もしかしたら部屋に何か痕跡が残っているかもしれない。




 ユナの部屋は同じ階にある。

昨晩の騒ぎでユナは目を覚まさなかったのではなく、既に侵入者によってさらわれてしまっていたのかもしれない――そんな考えが胸を締め付けた。どうして、私は――! あの時、少年が上階へと逃げ去った事に安堵した自分を責めた。今更後悔しても遅い事は分かっていた。けれど後悔せずにはいられなかった。


「ごめんね、ユナ……」


 ユナの部屋のドアは開けっ放しだった。焦ったキール将軍が閉め忘れたのだろう。部屋はもぬけの空だった。荒らされた跡も、争った形跡もそこには無かった。靴だけがベッド脇にちょこんと行儀良く置かれていた。そしてそれはユナが自身で外へは出ていない事の証明だった。


 ふっと風が頬を撫でた。部屋にある窓のうちの一つはキール将軍の言っていた通り開いており、レースのカーテンがひらひらと舞っている。


「あぁ……」


 酷い事はされていないだろうか、怪我なんかしてないだろうか。大体、何故ユナをさらっていったのか? 私をさらおうとした少年は、まだ会わせる訳にはいかない、そう言っていた。それは誰に? 和解の議に参加する私が会うべきでない人――それはイリアだ。戦争を起こしたい彼等は、その主力であるイリアを説得されたら困るから。


「……っ!!」


 きっとあの少年は私をさらわなければいけなかった。けれど失敗した。だからユナを、さらいやすいユナに狙いを変更したの? 私を足止めするために――!


「行かなきゃ」


 私は走り出した。慣れない服の裾を捲り上げ、真っ赤な絨毯のひかれた廊下を走り、階段を駆け下り、外へ飛び出す。そこには馬が繋がれていた。勢いよく飛び乗り手綱を引く。高く嘶いた白馬は前足を高く掲げ、そして走り出した。


 私を乗せた白馬は土埃を舞い上げかけて行く。目指すはミュラシア――。早く、早く行かなくては。


 浮かぶのは嫌な想像ばかり。もしかしたらユナをさらっていったのはあの少年ではなく、反帝国組織にも全く関係無いのかも知れないのに。さらわれたのでもなく、ただ部屋から抜け出していて、いつの間にかひょっこりと顔を出すのかも知れない。心配かけてごめんなさい、と幾分決まり悪そうに姿を現すかも知れない。


 けれどそんな楽観的な想像はすぐに消えて行く。悪い想像ばかりが辻褄が合うからだ。全ては計算済みなんだ。私をイリアに会わせない為の――!


 お願い、間に合って!

 イリアに【力】を使わせないで――。




 馬の駿足は確実に私をミュラシアヘ近付けてくれている。ぶるんぶるんと呼気を荒くしているこの馬の速さだってこれが限界だろう。けれど、もっと早く、もっと――。でないときっと、取り返しのつかない事になる。


 空は私の心境を表しているかの様にどんよりとして、頬に触れる風は幾分湿気を含んでいる。鳥の囀りや虫の羽音さえも聞こえない。それはまるで、嵐の前の静けさの様だった。













 どれだけ馬上に揺られていたのか分からない。しかしやっとこぢんまりとミュラシアの全景が見えてきた。間に合った、まだ何も起きていない。もしかしたら全て私の杞憂で、和解の議は円満に行われている最中なのかもしれない。


 そうほっと胸を撫で下ろした瞬間だった。遠目に見えた聖堂が、もうもうと舞い上がる土埃と共に崩れ出したのは。


「……!」


 強い風が正面から私を乗せた馬を襲った。突然の突風に驚いた馬は、慌てふためき、前足を高くかかげ興奮してしまい、すっかり平常心を欠いていた。ミュラシアまであと少しというところで、私を乗せて馬はあらぬ方向へと駆け出してゆく。


「駄目っ! 戻って!」


 遠ざかってしまう。早く行かなければいけないのに――。


 その時私の体が予期せず宙を舞った。ぐるりと反転する景色。興奮した馬の背から落とされたのだ。


「あぅっ……!」


 地面に打ちつけられた全身に走る衝撃。痛みに一瞬息が出来ない。


「……はぁっ、はぁっ」


 早く行かなきゃいけないのに、体が言う事を聞かない。痛みに全身が悲鳴を上げている。朝整えた髪は振り乱れ、レイヴェニスタ帝国の紋章が刺繍された真っ白な服は土で汚れボロボロだ。涙が出る。私は――無力だ。


「……ユナ……」


 ミュラシアはすぐそこなのに。あと少しなのに。


「イリアぁっ……!」


 黒煙が吐き出されるミュラシアを見ながら、私は叫んだ。



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