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第30話 前夜


「ヴァレンシア、君には和解の議に参加してもらう」


 それは私に下された、命令だった。反帝国組織とこの帝国との間で執り行われる和解の議に、私も参加しろとキール将軍は言うのだ。


「君を参加させる事は半ば諦めていたが、この際丁度良い。明日の和解の議、参加してもらうぞ」


 キール将軍が言うには、その場は本来であれば、私が眠っている間に設けられるものだったらしい。イリアが反帝国組織と結託した今、戦争を回避する為に少しでも早く和解の議は執り行われる筈だった、と。しかし帝国側の希望に反して、組織側はその日程を日延べにしてきたとキール将軍は言った。


「それが、明日……ですか」

「そうだ」


 早すぎる展開だった。まだどうすればイリアを助けられるか、何も思いついていないのに――。


「イリアも、来るんですね」

「恐らく。……君の役目は分かっているな? ヴァレンシア」


 キール将軍は鋭い眼光を光らせて私を見据えた。その逆らいがたい雰囲気に威圧され、私は萎縮してしまった。私の役目――イリアを説得し、戦争を回避させる事――でも、それだけじゃきっとイリアは捕らえられてしまう。そうすればイリアは今や反逆者だ、捕まれば殺されてしまうだろう。考えなければ、イリアを助ける方法を。早く、明日までに。


「……分かりました。それはどこで?」


 私の問いかけにキール将軍が答えた。


「ミュラシアだ」


 ミュラシア――確か聖堂のあった町だ。あそこでこの世界の【力】を持つ者達との和解の議が行われる。……なんて皮肉なんだろう。【力】を持つ者達を虐げる教えを発するあの場所で、その者達と和解する為の場が設けられるなんて。


「あの、キール将軍……っ」

「反論は聞かない」


 私の言葉はキール将軍に遮られた。目の前に立つキール将軍はそこでふっと表情を和らげた。


「君は君の言葉で、イリア・フェイトを説得すればいい。君とてこれ以上イリア・フェイトが民を殺していく様を見たくないだろう」


 言葉に詰まった。キール将軍の言う通り、私はイリアがこれ以上、人を殺す所なんて見たくない。だから考えなければいけない事は分かっている。けれど――気ばかり急いて何も良い方法が浮かばない。いくら何でも明日は早すぎる。


「明日の正装の用意は出来ている。君は帝国側の人間として、明日の和解の議に参加するんだ」


 先程一瞬見せた柔らかい表情を一気に凍てついたものへと変え、キール将軍は有無を言わせぬ強い口調で言った。もう私に残された道は無かった。私は明日、帝国の人間としてイリアを説得する、ただそれしか――。















 その日の晩、私は眠る事が出来なかった。明日の和解の議、イリアをどう説得するか、どうやってキール将軍の手から逃がすか、答えが見つからなかったのだ。


 見つからない答えに考えあぐねいていた時だった。カタン、とどこからか音がした。夜は既に更け、建物内は寝静まっている。しかしこんな立派な屋敷に鼠などいる筈もない。気になり出した今、それを確認しなければ、ただでさえ鈍っている思考がますます鈍化してしまうかも、そんな事を考えながら私は上体を起こした。


 辺りを見回す。月明かりが窓から洩れているだけで、何も特に変わった事は無かった。ふぅ、と一息ついて体を毛布にに再び沈めようとした時だった。何者かによって視界が閉ざされたのは。突如襲いかかる暗闇。突然の事態に息をのみ、そして助けを呼ぼうと開いた口に布が押し込まれる。


「んぐ……っ!?」


 何者かの手が体に触れる。出かかった助けを呼ぶ筈の声は、恐怖によって出す事が出来なくなっていた。体の震えが止まらない。ふっと何者かの息が耳にかかり鳥肌が立った。


「まだお前を会わせるわけにはいかないんだ」


 何者かの声が私の耳元で囁かれた。決して低くはない、寧ろ男の声にしては高い方であるその声はまだ幼さを感じさせた。そんな事を冷静に考えながらも、体を動かす事は出来なかった。恐怖のせいだけではない。腕が後ろ手に縛られてしまったのだ。加えて外されることのない目隠しと猿ぐつわが私の抵抗する気力を奪っていた。


 体が宙に浮いた。私は何者かに担がれているんだ――どこに、一体どこに連れて行かれるというの? 駄目だよ、明日は和解の議が、イリアに確実に会える唯一の機会がやってくるというのに!


「んんっ……!」


 私は初めて抵抗をした。私を担ぎ走っているだろう男の上で足をバタつかせる。怖い、けれど逃げなければ。明日は――。


「あ、こら……! 暴れるなっ」


 男が小声で言い私の足を押さえつけようとする。静かに捕らえる事の出来た女がいきなり暴れ出し動揺したのだろう、私の体は男の手からずるりと落ち、大きな音を静まり返った通路に響かせた。


「うぅ……っ」


 落ちた拍子にズレる目隠し。すっかり暗闇に慣れた目は、私を床に落とした男の姿を映し出す。それは……少年だった。私を担ぐだけの力が一体どこにあるのか、そんな疑問が頭を掠める様な華奢な体つきだ。黒髪をツンツンと立たせているのが特徴的だった。その少年と一瞬目が合う。同時に階下から私の名を呼ぶキール将軍の声が聞こえた。


「くそっ」


 少年が吐き捨てる。そしてそのまま身を翻し通路を駆け抜けていく。私はうつ伏せに倒れ身動きがとれないまま、その少年が更に上階へと登って行くのを見ていた。


「ヴァレンシア!」


 暗い廊下に声が響いた。階下から現れたキール将軍が私の元へ走り寄ってきた。うつ伏せに倒れ動けない私の猿ぐつわと縛られていた腕の紐を解くと、キール将軍は私の体を抱き起こした。


「大丈夫か……?」


 その声は優しい。それまで張り詰めていた緊張の糸が解けたのか、目頭が熱くなっていくのを感じた。私はそれを見られまいと横を向いた。それに気付いたのかキール将軍は私の腕に残っていた縛られた跡を優しく撫で言った。


「……すまないな」


 その声があまりに優しくて、私は結局泣いてしまった。そんな私をキール将軍はいたわるように髪を撫で、落ち着くまでずっと抱きしめていてくれた。その腕の中はとても暖かかった。




「……明日の和解の議、君は参加しなくてもいい」


 泣き止んだ私をベッドまで運んだキール将軍が開口一番に言った言葉だった。月明かりのさす窓辺に立ち、外を眺めたままキール将軍は言った。


「恐らく君をさらおうとしたのは、反帝国組織の一人だろう。独断なのか、彼等の本意であるのかは分からないが……彼等は戦を起こしたいのだろう。イリア・フェイトがいれば、勝てる戦だ」


 体を起こそうとする私の気配を察して振り返り、それを制止するキール将軍。私は起こしかけた体を再び毛布に埋める。あの時目の合った少年――彼もその組織の一員だというのか。


「……それ程までに、我ら持たざる者は彼等を虐げてしまった」


 キール将軍は悲しげにため息をついた。そして振り返ると私を見て、自嘲する様に小さく笑った。


「我等の自業自得だ」


 確かに間違っていただろう。同じ人間同士【力】の有無で区別し、更にはその一方を虐げ、処刑するなど許される事ではない。けれど、だからってその報復に戦争を起こしたって何も変わらない。今度は【力】を持たない者達を【力】で押さえつけて、そしてまた虐げていくの? そんな事に協力してしまっていいの、イリア――。


「キール将軍、私、行きます」


 会って伝えなければ。戦争なんて間違ってるって。繰り返すだけだって言わなければ。


「……何が起きるか、わからんぞ」


 キール将軍はちらりと私の腕に未だ赤く残る縛られた跡に目をやる。その目は優しい。いたわり、私の身を案じて心配してくれている。そんな気持ちが嬉しかった。キール将軍はイリアを捕らえようとしている。けれどそれはキール将軍の本心ではないのかもしれない。国を守る為、民を守る為の苦渋の選択なのかもしれない。


「それでも、私は――イリアを」


 みすみす殺させたりしない。絶対に。


「……そうか。ならばもう何も言うまい」


 キール将軍は目を伏せると、そのまま何も言わずに歩き出した。ドアに手をかけた時、動きが止まった。


「ヴァレンシア」


 キール将軍は決して後ろを振り向こうとしない。そして振り向く事の無いまま言った。


「明日は……頼む」


 一言だけ残しキール将軍は扉を閉めた。カツカツと廊下に響く靴音は段々と遠ざかってゆく。


 本来ならば帝国の将軍でもあろう人が、私の様な一市民にあの様な言葉をかけるなど有り得ない。背に腹は変えられないほど、私の役目は重大で、そして【力】を持たない者達の命運がかかっているのだ。そんな事実が私の肩に重くのしかかった。


「失敗は……出来ない」


 説得に失敗すれば、多くの【力】を持たない者達の命を奪われる事になるだろう。そんな事をイリアにさせてはいけない。そしてイリアを処刑されるわけにもいかないんだ。


「絶対――」


 信じてくれるだろうか。私の声を、私の姿を、私の言葉を――イリア……。




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