第28話 望まぬ役
本編再開です。
お楽しみ下さい。
「戦争――!?」
あまりに聞き慣れないその言葉に思わず声がうわずってしまった。ユナが不安げな顔で見上げる。キール将軍は静かに頷くと、神妙な表情で続けた。
「今まで反帝国組織が世に明るみにならなかったのは、その【力】の決定打にか欠けていたからだ。恐らく一人一人の持つ【力】は微力なものなのだろう。しかし――イリア・フェイトの【力】は違う」
キール将軍はユナと私の顔を交互に見て言った。
「彼の【力】は国を滅ぼす事が出来る」
ユナの顔が歪む。その事実を受け入れたくないという気持ちが表情に現れていた。
「ち、ちょっと待って下さい。イリアが……そんな組織になんて、確かなんですか?」
私は声高に言った。しかしキール将軍はそんな私の問いを予め予想していたかの様に、間髪入れずに答えた。
「確かだ。彼等の中に密偵を放っているからな。間違いない。……彼等はイリア・フェイトに接触し、そしてイリア・フェイトは組織への参入を快諾した」
「そんな……っ」
ユナが泣き出した。その小さな体で事の重大さを感じ取っているのだろう。薄い肩を震わせ、小さな手で私のスカートの裾を掴む。私は屈んでそんなユナの体を抱き締めた。窓辺に立つキール将軍はじっと私達を見ている。何かを言おうと躊躇い視線を逸らして、口を開いた。
「ユナ・フェイト、部屋に戻りなさい。私はヴァレンシアと話がある」
ユナの肩がびくりと震えた。独りで部屋に戻す事に不安を覚えたが、私はユナを部屋に戻るよう促した。話――それはイリアの事なのだろう。そしてユナには聞かれたくない話なのだろう。ユナはとぼとぼと歩き出し不安げに一度後ろを振り返り、そしてパタンと扉を閉ざした。
沈黙が訪れた。私はその場に立ち、キール将軍は窓から外を眺めている。一言も言葉を発さないその背中に私は不安を覚えた。
「君は」
最初に沈黙を破ったのはキール将軍だった。後ろを振り返ることなく、静かに言った。
「イリア・フェイトの、友人だと言ったな」
その声には、私達がここから逃げ出そうとした事に対する怒りは込められていなかった。ただ、静かに、淡々と、言葉は紡がれてゆく。
「ここまで追って来るくらいだ、余程大事な友人なのだろうな。君にとって、イリア・フェイトという男は」
ここでやっとキール将軍は振り向いた。その表情が悲壮に満ちている様に感じるのは気のせいだろうか。答えは聞くまでもないからなのか、それとも聞いても続く言葉は変わらないからなのか、私の答えを待たずにキール将軍は続ける。
「だが、私は私の務めを果たさなければならない。皇帝陛下亡き今、私がこの国を守らなければならない」
カツカツと足音をたてキール将軍が私に近付いてくる。ひらりと白いマントを翻しながら近付くその姿に圧倒され、私は一歩後ずさる。大きな歩幅であっという間に目の前に立ちはだかったキール将軍は、私の目を真っ直ぐ見つめ言い放った。
「私はイリア・フェイトを倒す」
やはり――と思った。安易に予想出来た事だ。キール将軍は亡き皇帝に仕えていた忠臣、それは当たり前の言葉だった。それなのに、手が震える。冷たい汗が背中を伝う。予期していた言葉なのに、その事実は私の心中を深く抉った。
「でも、キール将軍……【力】を使われたら……」
たった一筋の希望の言葉を私は述べた。【力】を持つ者と持たない者とのその戦力の差は歴然、もしかしたら諦めてくれるかもしれない、そんなちっぽけな希望にすがって私は言った。
「確かに破壊の【力】を使われればひとたまりもないだろう。だからこそ――」
キール将軍の表情が陰った。その暗い瞳に見つめられたまま、私はその先に続く言葉を予想していた。心臓がどくどくと脈打つのを感じた。
「君がいる」
手段を選ぶ事は出来ない、と付け加えてキール将軍は目を逸らした。
「君にとって大事な友人であるならば、彼にとっても同様なのだろう」
目を逸らしたまま続けるキール将軍の前で、私は立ち尽くしていた。――あぁ、私は人質なんだ、イリアの【力】を削ぐ為に利用されるんだ――そんな悲しい事実に愕然として。嫌だ――私のせいでイリアを傷付けてしまうかもしれないなんて。
「キール将軍、私は……っ」
私が言いかけるとキール将軍は私の言葉を遮り、強い口調で言った。
「君に選ぶ権利は無い」
それは逆らう事を許さない軍人の将して相応しい迫力だった。私は言いたかった言葉を飲み込み俯いた。そんな私の様子を窺っているのか、キール将軍も以降口を閉ざしてしまった。重苦しい沈黙が流れる。その間に私の頭の中では色々な考えが巡っていた。不安、虚しさ、後悔――ありとあらゆる感情が渦巻いていた。
「キール将軍」
私は思い切って口を開いた。聞かなければ。私が何をしなければいけないのかを。キール将軍の深い青色の瞳が私の目と合った。
「私は、何をさせられるのですか?」
キール将軍は青い瞳でじっと私の目を見据えるが、なかなか口を開こうとしない。言いにくい事なのだろうか、不安だけが膨らんでゆく。そして沈黙に耐えきれず思わず目を閉じたその時だった。
「帝国側の交渉役として赴いてもらう」
「交渉役……?」
私が帝国の交渉役としてイリアを説得しろと、そういう事なのだろうか。けれど私に出来るだろうか――未だ会った事の無いこの世界のイリアを説得するなんて。イリアはこの世界の私の死で【力】を発現させたのに、死んだ筈の私が前に現れて果たして信用してくれるだろうか。
「戦を起こされる前に先手を打つ。君にはイリア・フェイトの居場所に赴き、直接説得してもらう。イリア・フェイトさえ組織に協力する事がなければ、反乱者を平定することはたやすいからな」
「私、一人で……ですよね」
「勿論だ。戦意を見せてはいけないのだからな」
戦争が起きてしまうかどうかの重要な役目、そんな役目を私に負わせてしまっていいのだろうか。もし、私が――。
「君には断る権利は無い。そして、この役目を途中で放棄することも」
心臓がどくんと脈打った。キール将軍は一瞬よぎった私の思惑を見透かしているんだ。
「ユナ・フェイトが私の手の内にある事を忘れない様にな」
私はイリアを止める為に、ユナは私をつなぎ止める為に、その為に私達はここにいるんだ。利用されるんだ。
でも――私にとっても都合がいいのかもしれない。どこにいるかも分からないイリアの行方を当てもなく一人で探すより、どんな形にしろ、国という強大な力を借りて探す方が早いに決まってるのだから。どうせやらなければいけないのだから考えなくては、その後の事を。イリアをキール将軍の手からどうやって逃がすかを。
「分かりました、キール将軍。私、協力します」
私の返事を聞いてキール将軍は頷き、そして少しだけ微笑んだ。その表情は先程までの険しいものとは打って変わって、優しく、そして悲しげだった。そんなキール将軍の表情を私は見た事があった。イリアを匿っていたというあの女性が処刑されようとしていた時だ。将軍はきびすを返し部屋を去ろうとする。
「キール将軍……あのっ」
私は思わず声をかけた。キール将軍はドアに手をかけたまま動きを止めた。私が何か言うのを待っているのかもしれないが、続く言葉を考えていなかった。ガチャリとドアが開く音が静かな部屋に響く。キール将軍はそのまま一言も発せず、この部屋を後にした。
「あぁ……」
私は勢いよくベッドに倒れ込んだ。怪我が少し痛んだが、痛みにうずくまる程ではない。仰向けに寝転び、天井を見上げた。
「どうすればいいんだろう」
キール将軍に対する返事は決まっていた、いや、決められていた。ユナの命を保証する代わりに、帝国側の交渉役として、私はイリアの元へ赴かなければいけない。始まろうとする戦争を回避する為に、イリアを――。
「私はこんな事の為に――」
私はその為にこの世界に呼ばれたのだろうか。この世界で私を救えなかったせいで【力】を暴走させたイリアを倒させる為に――。
「ううん、違う」
きっと違う。あの声は、私を呼んだ私の声は、きっとイリアを救う為に――私のせいで【力】を暴走させてしまったイリアに、これ以上罪を重ねさせない為に私を呼んだんだ。だから――救わなければ。
「考えよう」
イリアを救う方法を。戦争を起こさせない様イリアを説得し、キール将軍に怪しまれずにユナを逃がし、そしてイリアを殺されないですむ、そんな方法を。
私は助ける。
イリアを絶対に殺させは、しない。