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歴史 ---真実・5---

破壊の【力】を手にした若者シオン・グラントの軌跡を辿る物語。


歴史編 最終話

真実・5――この【力】は君の為に。泣かないでほしい、君には笑顔が似合うから。

 暗闇の中声が聞こえる。


 泣いている。


 何かを嘆いて、何かを後悔して、何かを喚いて、自分を責めている。


 泣かないで――泣き顔なんか見たくないんだ。いつもみたいに笑っててくれ。


 リリー……。













「シオン……」


 見覚えのある視界。真っ白な、天井。俺の部屋だ。あの日国を滅ぼしたあの時の様に、皆が顔を覗きこませている。誰もが青ざめ、女子供の中には瞳を潤ませている者もいる。すぐ側に、リリーがいた。


「みんな……」


 俺は皆の顔を見渡すと不自然に顔を逸らす者もいた。察しはついている。意識が途切れた瞬間――この部屋で血を吐いたあの時、倒れてしまったのだろう。静寂が辺りを包む中、リリーが口を開いた。


「ごめんなさい」


 予期しない言葉に一瞬返す言葉に詰まる。リリーは続けた。


「シオンが眠ってる間にお医者様に見て貰ったの。最近具合悪そうにしてたでしょ? だから――」


 リリーは潤んだ瞳を俺に向けた。今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうだ。ああ、やはり気付いてしまったか。俺のこの不調の原因に。


「お医者様は分からないって。……でも、まるで体内を何かに食い荒らされてしまっているかの様に、体の機能が低下してるって、言ってた」


 その時、温かいものか頬にぽたりと落ちてきた。リリーが泣いている。俺はそんなリリーの涙を止めたくて、笑ってみた。少しでも安心して貰える様に、上体を起こそうとしたがうまくいかない。体が軋み、咳が出そうになるのをこらえていると、リリーが言葉を発した。


「私達の……私のせいだね。私が【力】を貸してなんてお願いしたから」


 リリーの瞳からは止めどなく涙が溢れている。そんな事ない、と言おうとした言葉は声にならずに、咳へと変わった。慌てて壁際を向き咳込むと、おそらくリリーだろう、誰かの手が背中をさすった。服の上から感じるその手の感触は冷たく震えていた。


「シオンに【力】、無理して使わせたから」


 違う。これは、罰だ。自分の犯した罪を忘れて、生を謳歌していた事に対する罰だ。誰かにこの【力】を必要とされた事があまりに嬉しくて、仲間と呼べる人がいることがあまりに素晴らしくて、あの日の惨劇を頭の隅に追いやってしまっていた俺に対する、罰なんだ。


「ごめんね……ごめんね……」


 リリー、君のせいじゃない。謝る必要なんてないんだ。確かにあの時選択肢を与えられたけれど、決めたのは俺なんだから。【力】を使い、そしてこの世界で生きたいと願ったのは俺なんだから。


 泣いているのはリリーだけではなかった。初めてあの海岸の家で目を覚ました時の俺の言葉を叱咤した中年女性も、帝都に向かう途中の俺に追いつき、怪我の心配をしてくれた子供も、そして見渡すとあの屈強な男までも、その姿に似合わずほろほろと涙を流している。


 あぁ、俺は彼等に他に何もしてやれないのだろうか。かつて不能者と罵られ、【力】を手に入れてからは人殺しと呼ばれた俺の身を案じて涙を流してくれる彼等に何か――。




 その時、ある考えが浮かんだ。彼等をこれ以上泣かさない為の考えが。きっと今なら、まだ大丈夫。まだ【力】は使えるから。



「……リリー、……みんな、頼みがあるんだ」


 なんとか声が出せた。唾を飲むと血の味がした。俺の呼びかけに周りを囲む人々は顔を上げた。リリーが涙を拭い、赤く腫れた目で俺を見つめた。


「俺達が初めて会った、あの海岸へ……連れて行って、ほしい」
















 海はあの日と変わらず凪いでいた。心地良い潮風が頬を撫で、みゃあみゃあと鳴く海鳥が夕日に染まった空を飛び交っている。俺は両肩を支えられながらその風景を見ていた。綺麗だ、心からそう思った。両肩を支える手を振りほどき、ゆっくりと前へ進み出た。


 ここが始まりの場所だった。彼等に出会い、この【力】を使い国を壊し、新しい国の基盤を築いた――まさかそんな運命が待ち受けていたなど、以前の俺には想像すら出来なかっただろう。


「……みんな」


 体の不調に気付いたのはいつだったろう。気付けば俺の体は食物を受け付けなくなっていた。無理にでも摂ろうとすれば、それは猛烈な吐き気となって返ってくる、その事に気付いたのは大分前だった様な気もする。


「俺は、みんなに……隠している事が、ある」


 辺りがざわめいた。後ろを振り返ると怪訝な表情を浮かべたリリーが目に入った。うまく、彼等に言わなければいけない。疑われてしまっては駄目なんだ。如何に言葉に真実味を持たせるか、それが俺に今与えられている課題だった。


「俺、【力】を制御出来ない」


 発した言葉に対する返事は返ってこない。周りを見渡すと、皆が皆、理解不能といった表情を浮かべていた。


「倒れたのも、そのせいだ。……あの日は【力】が、暴走しそうになって」


 言葉を慎重に、途切れ途切れになりながら続けた。数人が眉をしかめるのが視界に入った。


「無理に抑えようとした結果が、きっと医者の言う――体内を、食い荒らされた、という事だと思う……」


 人々の顔が暗く陰ってゆく。ただしそれは初めからの仲間ではない。皇帝を打ち倒した以後に集まった新しい仲間達だ。俺の【力】を実際に見たわけではなく、噂を聞きつけ集結し新たな国を創り直そうという考えを持った者達。彼等の瞳に俺に対する疑いの色が浮かんでいる。【力】を持つこの男を信用して、本当に大丈夫なのかと。


「今度いつ暴走するか、分からない」


 さざ波の打ち寄せる音と海鳥の鳴き声だけが響いていたその時、リリーが口を開いた。


「嘘」


 瞳に怒りの色が浮かんでいる。リリーは俺の言葉を信じていない。


「体内で【力】を暴走させるなんて、嘘だよ。私達に責任負わせない様にって嘘ついてるでしよ」


 リリーの意見に同意する様に、中年女性が頷いた。


「そうだよ! あんた、あたし達に心配かけない様に言ったんだろうけど……。嘘をつくならもっとうまい嘘考えなよ!」


 中年女性は今にも掴みかかって来そうな所を他の皆に止められていた。思わず笑いそうになってしまった。あの時と同じだ。あの日リリーの為に俺を叱咤していた女性は、今度は俺を思って鼻息を荒くしている。


 なんて素晴らしい仲間。ごめん、最後にこんな事になってしまって。そしてありがとう、仲間と読んでくれた事忘れない。


 もう――十分だ。


「……うぅっ!」


 俺はその場にしゃがみ込み大げさに咳をして見せると、数人が後ずさるのが見えた。警戒しているんだ。【力】が暴走しないかと。すかさずリリー達が近寄る。


「近づくな……っ! うぅ……ぅ」


 片手で口元を押さえ、もう片方の手でリリー達を制止する。悲壮な表情を浮かべた彼等の前で、俺は少しだけ【力】を使った。決して彼等を傷つけないように慎重に、けれど言葉に真実味を持たせるために激しく。


 ごぉっという音と共に砂が舞い上がる。悲鳴が聞こえた。この【力】に心底恐怖する声が。それと一緒にリリーの俺を呼ぶ声も聞こえてきた。


「シオンっ!」


 俺は聞こえないフリをした。俺は凶悪な【力】が暴走した人間でなければいけない。彼等にとって危険で、仲間ではなく敵でなければいけない。彼等に俺の事で後悔や懺悔などしてほしくはない。


 俺は、悪であればいい。見捨ててしまわなければいけない存在であれば。


「や、やっぱりこいつは敵だ!」

「【力】を持つ奴なんて、やっばり信用出来ない」

「殺されるっ!」


 辺りは騒然としている。舞い上がる砂粒、人々の悲鳴、数人はこの海岸を逃げるように後にした。飛び交う罵声。それを否定するリリー達の声が嬉しかった。けれど喜んでもいられない。この国の将来の為にも、彼等を仲間割れさせるわけにはいかないのだから。俺は再び、意識を集中した。


 吹き荒れる突風と共に人々の間を縫うように衝撃が走る。ある者は恐れにおののき、ある者は悲鳴をあげ、ある者は腰を抜かしている。皆、直接は俺の【力】を見た事の無い者ばかりだ。リリー達はどうにかして俺に近付こうと、俺の名を叫びながら様子を窺っていた。その時だった。


「――っ」


 突如猛烈な吐き気と目眩とが、俺に襲いかかった。それはあまりに突然で、あまりに強烈だった。砂上に崩れ、咳込むと口元を押さえる手の指の間から赤黒い液体がこぼれ落ちた。


「きゃあっ……!」


 途切れそうになる意識は、その瞬間聞こえた悲鳴でその場に止まった。俺は流れる冷や汗を拭うことなく顔を上げた。今の悲鳴は――リリー。


 目に飛び込んだのは、一瞬集中力を欠いた為に暴れた【力】に襲われたリリーの姿。倒れたリリーに皆が駆け寄った。砂粒が赤く染まってゆく。その瞬間空気が変わったのが、分かった。


「リリー!!」

「どうして……!」

「シオンさん……本当に……?」


 視線が突き刺さる。意図せずリリーを傷付けた事が、彼等に衝撃を与えたのだ。今、【力】の暴走は事実になった。胸が、痛い。こうなるよう望んだのは、仕向けたのは自分なのに。悪でなければならないと、自分で決めたのに――。


「はぁ……、……ぐ……っ」


 咳と目眩は依然として治まらないが、すでに【力】は完全にその勢いを失っていた。リリーは皆に囲まれたまま気を失っている。ごめん、リリー。君を傷つけるつもりなんてなかった。君はあの時俺を必要としてくれた。殺す【力】ではなく、生かす【力】として使う意味と術を教えてくれた。その微笑みを、その優しさを与えてくれた。


「みん……な、逃げてくれ。また、【力】が……」


 再び辺りがざわめいた。実際【力】によって傷つけられたリリーを見て皆の恐怖が増大したのだろう。


「シオンさん、本当に……?」


 しかし、最初からの仲間達はまだ困惑している。俺はたった今この【力】を使いリリーを傷つけた悪であり、同時に彼等にとって国を創り直すための立役者であるから――けれど確実に彼等の思考は前者へと移行しているだろう。 その瞳にはこの【力】に心底恐怖している様な色が浮かんでいた。


「……行け、早くここから……逃げろ」


 もしここで彼等にまだ粘られたら、まだ【力】を使わなければいけない状況が続けば危険だった。こんな体の調子でこれ以上【力】を使えば、リリー以外も傷つけてしまうかもしれない。けれど、それは杞憂に終わった。


「逃げましょう、ここにいたら【力】の暴走に巻き込まれる!」

「ナナイさん! あいつはやっぱり敵なんだ。リリーさんを傷つけた」

「リリーさんを連れて城へ戻りましょう!」


 その言葉は、迷い躊躇していた者達の背を押した。彼等は俺を、悪と見なしたのだ。リリーを抱きかかえ、悲鳴をあげながら、人々はこの海岸から去ってゆく。視界に映る、かつて仲間と呼んでくれた皆が、小さくなり消えた。海岸には静寂が訪れた。


「げほっ……げほっ……」


 呼吸が苦しい。息をする度に喉がヒューヒューと鳴った。口元を抑えていた手からぼたぼたと血が溢れる。四つん這いになっていた腕の力を抜き、砂上へ倒れ込んだ。もう動けない、動く気力も無い。また、全て失った。いや、元の自分に戻っただけ――事実を思い出しただけ。


「……はぁ、はぁ」


 沢山の人を殺めた俺は彼等と共に生きられる筈もなかった。


「……終わらせよう……」


 あの日捨てたはずの命、今日まで長らえさせてしまったこの命、今――終わらせる。


 思えば色々な事があった。不能者と罵られていた俺が破壊の【力】を手に入れ故郷を滅ぼした。そしてリリー達に出会い仲間として迎え入れられ、皇帝を倒しこの国の基盤を築く事が出来た。――幸せだった。ほんの僅かだけれど、新しいこの国の一員として生きられた事。


 一つだけ気がかりな事、この【力】で傷つけてしまったリリーの事だ。怪我は大丈夫だろうか。跡に残ったりしないだろうか。


 うつ伏せに倒れ込んだまま、目だけを動かして辺りを見渡した。日が水平線まで傾き、海鳥の鳴き声はいつの間に消え、潮騒だけが俺の耳に届いた。


「あぁ……」


 視界がぼやけた。俺は泣いている。涙が次から次へと溢れ、止まらない。拭おうとして目元に持ってきた手は自分の血で酷く汚れていた。


 赤黒く染まった手を握りしめた。俺に後悔する、悲しむ、死に恐怖する資格なんて無い。あまりにも沢山の命を奪った俺には――。じゃあこの涙は何だ? 人々を殺した事を後悔しているのか? 仲間達に見限られた事を悲しんでいるのか? 死ぬ事が怖いのか?


「……ぐっ……」


 再び激しい吐き気が襲いかかってきた。苦しい――でも俺が殺めた人達の苦しみはこんなものでは無かったろう。リリーも傷つけてしまった。目覚めたらリリーはここを訪れるだろうか。自分を傷つけた男を思い出すのだろうか。仲間としてではなく、裏切り者としてその記憶に刻まれているだろうか。


 目を閉じ脳裏に浮かぶのはリリーの笑顔。眩しいくらいの笑顔を浮かべたリリーは俺の名を呼んでいる。何だか本当にリリーの声が聞こえてきそうだ。シオン、といつもの様に親しみを込めて呼ぶ優しい声が。


「……さよなら、リリー」


 俺は脳裏に浮かんだリリーに別れを告げ、意識を集中した。――もう、いっそこの場所ごと無くしてしまおう。俺とリリーとの出会いを消そう。そんな思いで俺は【力】を放った。


 轟音が響くと同時に砂が舞い上がった。うつ伏せになっている体に冷たい海水が触れた。砂浜は俺の【力】によってえぐられ、その下に隠れていた岩盤を露わにした。そこに流れ込んだ海水は激しい勢いで渦を巻き、俺に襲いかかる。口から、鼻から海水が入り、息が出来ない。共に渦に巻き込まれた岩や砂が体に当たり、周りの海水が赤く染まった。目の前が暗くなってゆく。




 沈んでゆく、深く、深く――。



















 彼女が目覚めたのはそれから四日後だった。【力】によって負った傷が深かったのではない。問題は衝撃で倒れたその場所に岩が剥き出しになっていた事だった。頭を強く打ち付けた彼女は三日三晩眠り続けたのだ。仲間達はそんな彼女を見守りながら、理由を探していた。あの海岸にこの国の基盤を築いてくれた若者を置いてきた理由を。【力】が暴走して危険だった、そんな理由を認めるような彼女ではない事を皆知っていたからだ。


 しかし幸か不幸か目覚めた彼女は、覚えていなかった。【力】を持つ若者の存在がぽっかりとその記憶から抜け落ちていたのだ。仲間達は彼女に彼の事を教えるか迷った。しかし迷った末に彼等は彼の事を教えることにした。そうでなければどうしてこの国を変えることが出来たか理由が見つからなかったからだ。彼は裏切り者であったと、【力】を暴走させて仲間を傷つけた悪だと、そう教えた。


 彼女は仲間達の言葉を信じた。【力】を持たない彼女がその仲間達を信じるのは当たり前で、彼との思い出を失った今、【力】を持っていたという彼をかつて彼女が知っていた彼として信じる事は不可能だったのだ。彼女の記憶の中の彼は裏切り者として固まった。



 そのまま、時は過ぎた。
















 彼女は年老いていた。そして子供達に、孫達に見守られながら今まさに最期の時を迎えようとしていた。


 彼女は夢を見ていた。夢の中で彼女は見覚えのある砂浜の広がる場所に立っていた。


 すぐに彼女はこれが夢だと気づいた。何故ならば、今もう砂浜は存在しないからだ。突然の地盤の沈下により砂浜は海中に沈み、その影響で露わになった岩盤によって今その場所は切り立った崖になっている事を彼女は知っていたからだ。どうしてこんな場所に? そんな疑問が彼女の心に広がった。夢の中なのに頭部の古傷が痛んだ。後頭部を押さえ、彼女はしゃがみ込んだ。その瞬間――声が聞こえた。


「リリー!!」


 悲鳴と共に目の前でどさりと音をたて倒れたそれは――自分。記憶にないその光景は鮮明に、生々しく彼女の眼前に広がっていた。倒れた自分の名を呼ぶ仲間達。倒れた自分は起き上がる気配はない。そして目の前にいたその男は――シオン・グラント。ぜぇぜぇと息を切らし、口元からは血が溢れている。


 彼女はその男を知っていた。いや、正確には教えられていた。何故ならば彼女は彼という存在を忘れていたからだ。若かりし頃に負った頭部の怪我はシオン・グラントという男の存在を彼女の記憶から消し去っていた。そして彼女は仲間達に教えられた。彼は彼女に怪我を負わせた張本人であり裏切り者であると。その男が今、彼女の目の前にいた。


 それは幻だった。けれどもそれは、彼女が失った記憶でもあった。


「シオン・グラント――」


 彼女は彼の名前を呟いた。虚ろな瞳で仲間達の去ったのを見届けていた彼に、彼女の声は届いてはいない。そのまま彼女の目の前で彼は崩れた。彼女は裏切り者の末路をそのままじっと見ていた。さざ波の打ち寄せる音だけが辺りに響いている。沈みかけた夕日に照らされた彼は、彼女の目には酷く儚げに映った。


 その時だった。彼の瞳から涙が溢れ出したのは。彼女は胸が痛むのを感じた。止めどなく流れる彼の涙を見てどうして胸が痛むのだろう、その答えを彼女は模索していた。そして彼に触れた。


「……さよなら、リリー」


 触れた瞬間彼は呟いた。彼に彼女の姿は見えていない。けれどその言葉は、まるで自分に触れた彼女に話しかけているかのようなタイミングで発された。一瞬どきりとして彼女は手を引っ込めた。頭がずきんと痛んだ。


 そして彼は何かを決したかのように目を閉じると、その瞬間突風が吹き荒れた。舞い上がる砂塵、それとほぼ同時に鳴り響く轟音。砂浜が陥没し海水が流れ込む。巻き込まれる、と思った瞬間彼女は目を閉じた――が、彼女は巻き込まれなかった。当然だった。これは幻、彼女の見る夢だったのだから。


 彼女の体はふわふわと宙に浮いていた。彼女は上空から彼が海に飲み込まれるのを見ていたのだ。裏切り者の最期を、失われていた過去を、今その目に焼き付けていた。彼に一瞬だけ触れた手が熱かった。


「シオン・グラントは……こうして死んだんだ……」


 海に飲まれた彼の姿はもう見えはしない。ただ大きな渦と激しい水しぶきの上がる様が眼下に広がっていた。


 その時――。


 彼女は何かが頬を伝うのを感じた。決して舞い上がった水しぶきではない。彼女の褐色の瞳から流れ落ちるそれは――涙。彼女は泣いていた。


「うぅ……っ」


 それに気付くと同時に、彼女は激しい頭痛を覚え、頭を抱えた。彼女には自分の流す涙の理由も、頭痛の意味も分からなかった。ただその涙に困惑し頭の痛みに悶えるだけ。彼女は、思い出しかけていたのだ。失った記憶をその目で見る事によって、頭の奥底に眠る真実が呼び覚まされていたのだ。


 彼女の脳裏に海岸に打ち上げられた青年を見つけた時の記憶が蘇る。大怪我を負い死にたいと願っていた彼。そんな彼に対し深い憤りと悲しみを感じた自分。【力】に翻弄され絶望にくれる彼に彼女は希った。【力】を貸して欲しいと。


 彼女の脳裏に彼が初めて【力】を使った時の記憶が蘇る。海が裂け、水柱が立ち上った時のあの衝撃。抱いたものは【力】を持つ彼に対する、ほんの少しの恐怖と強い憧れ。


 彼女の脳裏に海辺に佇む青年を見た時の記憶が蘇る。その時感じた、もしかしたら青年はそのまま自害してしまうのではないかという焦り、不安。そしてそんな気持ちを吐露した時の彼の優しい笑み。


 彼女の脳裏に一人帝都へ向かう彼に追いついた時の記憶が蘇る。【力】を持たない彼女等を足手まといだと言い捨て、怪我の直り切らぬ体を引きずり歩く青年の姿。そして彼女等が追いついた時のあの青年の表情。


 彼女の脳裏に城が崩れ落ちた時の記憶が蘇る。激しい地鳴りと吹き荒れる突風、それと共に鳴り響く轟音、崩れる城壁。それは確かにシオン・グラントの破壊の【力】。


 彼女の脳裏に玉座の目の前で倒れる彼を見つけた時の記憶が蘇る。あの時の衝撃。血の海で横たわる彼は死んでしまっているのでは、という悲しみ。触れた時に感じたぬくもりと鼓動、その嬉しさ。そして目を覚ました時のあの言葉――生きたいと、私達と共に生きたいと願った彼。


 彼女の脳裏に彼の体の不調に気付いたいた時の記憶が蘇る。食事に手を付けず、すぐに自室へと戻る彼。顔色は優れず、幾分痩せたかの様に見えた彼。問い詰めた時の言い訳に似た言い分と、儚い笑顔。


 彼女の脳裏に自室で血を吐き倒れている彼を見つけた時の記憶が蘇る。ドアを開けた瞬間のあの背筋が凍り付くかの様な緊張感。目を覚まさない彼。そして辿り着いた結論。


 彼女の脳裏にあの日の海岸での出来事の記憶が蘇る。悲壮に満ちた表情で彼女等に逃げる様叫ぶ彼。暴走する【力】に巻き込まれてしまうと心配していた彼。そして――。







 ――彼女の頭痛が治まってゆく。先程までの痛みが嘘であったかの様に、痛みはいきなり、そして跡形もなく消えた。彼女は思い出す。仲間達の言葉を。彼は裏切り者だと、【力】を使い仲間を傷付けた悪だと言っていたその言葉を。


「違う……」


 彼女は信じていた。仲間達の言葉を信じ、彼は皇帝を倒した後、裏切ったのだという事が事実であると信じていた。けれどそれは、真実ではなかった。


「シオンは……違う」


 彼女の瞳からはとめどなく涙が流れ落ちる。それは後悔の涙だ。あんなにも尽力してくれた、最後まで彼女等を思ってくれた彼を忘れ去っていた事を悔やむ涙。


「私……忘れちゃいけなかったのに」


 余りに分かりやすすぎる嘘――それは彼の優しさであり、決別する意志だったのだ。その事に気付き、思い出した彼女は泣き続ける。悔やんでも悔やんでも、意味は無い。彼はもう、とうの昔に死んだのだから。これは幻なのだから。


「ごめん……ごめんね……っ」


 足元で荒れ狂う海を見下ろしながら彼女は叫ぶ。海の底に沈み、消えていった彼に届く様に叫び続ける。涙は波に飲まれ、声は激しい水音にかき消されても尚、彼女は叫び続けた。


「シオン――っ!」





















(声だ。声が聞こえる……)




(リリー、泣いているのか?)




(後悔してくれているのか?)




(俺を思って、泣いてくれているのか?)




 消えゆく意識の中、リリーの鳴き声が聞こえた。泣いてくれている、俺の為に。――泣いている、俺のせいで。



(泣かないで、リリー)



 一瞬、脳裏に浮かんだリリーの笑顔。そうだ、君には笑顔の方が似合ってる。いつもみたいに笑ってほしい。どうすれば笑ってくれる? ――ああ、そうか。【力】を使えばいい。【力】でリリーの中の俺の記憶を破壊すればいい。



(いつもみたいに笑ってくれ)



 赤く染まる水底に沈みゆく体、消えかける意識の中、集中する。拳に力を入れる。――これが、最後だ。この【力】は君の為に――。




(俺の事なんか忘れてくれていいんだ、リリー)




(そして笑っていてくれ)




(君には笑顔が似合うから――)





















「破壊の【力】はいずれ世界を滅ぼす。神から奪った【力】は使っていけなかった」


 後世残るこの言葉はシオン・グラントのものではない。誰が残したか定かでないこの言葉に二つの意味があることは誰も知らない。何故ならば二つの意味に取ることが出来るのはシオン・グラントの真実を知る者だけだからだ。


 その肉体に不相応な大きすぎる【力】を得、それを暴走させ仲間を傷付けた、という悪の側面しか知らない者に分かるはずもない、その意味は――。




 大きすぎる【力】は体を蝕み、死に至らしめる。その真実に気付き、二度とその様な者を現す事なき様、その言葉は残された。




 それはあの時、確かに真実に気付いた者がいたという事。




 シオン・グラントを信じていた者がいたという事実。



今回でシオン・グラントを主人公とする歴史編は終わりです。


次回から本編に戻ります。

チェリカとイリアの物語、読んでいただけたら嬉しいです。

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