第25話 ごめんな
シィンと名乗った青年は俺の腕をぐいぐいと引いて歩いていく。墓標からはどんどん離れていく。
「おい、待て。どこに行くつもりだ」
「どこって、さっき言ったじゃん。みんなの所だよ」
俺は俺の手を引き足早に進むシィンに尋ねた。
「みんなの所って……、ここは」
「こっちにいるんだよ、みんな」
シィンは俺の言葉を遮って答えた。戸惑う俺を気にすることないその足取りは軽い。
みんなこっちにいる――ということは……。
そう考えている内にもどんどんとシィンは進んでいく。最果ての崖はもう遥か後方だ。水平線も見えなくなっていた。
前方に小さく家が見えた。やはりそれも、俺がここに連れられてくる前にいた世界のサラの家と同じだった。よく見ると家の煙突から煙が出ている。ふと淡い期待が頭をかすめた。もしかしたら――と。家が徐々に近付いてくる。そして家の正面近くに来たところで、シィンが足を止めた。
「会ってく?」
シィンはいきなり振り向き俺にそう声をかけた。
「知ってるよ、サラ・エレイン。あっちでは処刑されたよね。でもこっちではまだ――」
シィンがそう言いかけた時、家の扉がガチャリと開いた。中からは小さな男の子を連れた母親が出てきた。泣いているのか目をハンカチで押さえている。しかしその表情は明るい。そしてその母子と一緒に外に出て来たのは――サラ。サラが生きている。あの時と変わらない微笑みを浮かべている。
「サラ……!」
小さな男の子を連れた母親はサラに向かって何かを言いながら何度も頭を下げ、サラはそのたびに首を横に振っていた。男の子は母親のそんな行動に意味も分からずただキョトンとしている。そしてサラはしゃがみこみ男の子の頭を撫でるとにっこりと微笑んだ。
結局女性はその場から去る時まで何度も何度も頭を下げていた。俺達は、いや、俺はずっと見ていた。シィンはそんな俺をずっと見ていた。目の見えないサラはそんな俺達に気付くことなく、扉を閉めた。
「生きてる。サラが生きている」
声が震えた。サラが生きている。俺のせいで処刑されたサラが――。
「ここはあっちとは違うから。あっちではあの人は殺されちゃったけどこっちでは普通に暮らしてるよ」
「さっきの親子は――」
俺の問いかけにシィンは頭をぽりぽりと掻きながら答えた。
「多分、患者さんじゃないかな? あの人【力】あるもんね」
患者?サラは傷を癒やす【力】を使っているのか?他人に隠すことなく、その【力】を役立ているのか?
「こっちでは【力】は奨励されてるんだよ。だって、こっちの皇帝は【力】を持ってるし、その皇帝に仕えている人達もみんな【力】を持ってるんだよ」
「なっ……!」
皇帝が【力】を持っていて、しかもその【力】は奨励されている――。ここでは【力】を持つ者は処刑されることなく平穏に暮らしているのか。そんなことあり得るのか――。
「会ってくればいい。あ、肩の傷治してもらえば? まだ塞がってないでしょ」
シィンはマントに隠れている俺の肩を指差して言った。肩を庇いながら歩いていたことにこの青年は気付いていたようだ。しかし俺は進むことが出来ないでいた。
あっちの世界でサラは俺と関わったばかりに処刑された。ここは違う、そう頭の中では分かっていても、足は正直だった。不安、だった。関わればまた不幸にしてしまうのではないかと。そして理不尽な理由で殺された彼女はきっと俺を恨んでいると。
「ほら、行こうよ。傷、自分で手当てしたんだろ? 化膿したら大変だ」
そう言ってシィンは進もうとしない俺の腕を引いてずんずんと進み出した。
「ちょっ……待てよ」
そして家の扉の真ん前で立ち止まった。
「……彼女はあんたの事、恨んでないと思うけど」
そう言うと止める間もなくシィンは扉をノックした。すると家の中から、はーい、という返事が聞こえた。いつも聞いていた声と変わらない、高く澄んだ声だった。ガチャリと扉が開き、つい三日前まで当たり前のように見ていたサラの姿が覗いた。
「どなたですか」
サラは目を閉じていた。やはりこっちの世界のサラも視力を失っているのか。
「この人の怪我を治してやって欲しいんだけど」
シィンはぐいと俺の手を引きサラの目の前に俺を立たせ、肩なんだけど、と言ってマントをめくり、隠れていた肩の傷を露わにした。
傷は手当てと呼べるような処置は施してはいない。ただ流れていた血を拭い、服の袖を破りそれで縛っただけだった。傷はなかなか塞がらず、布に血が滲んでいた。サラの手は空を探り俺の腕に到達した。ゆっくりと肩の方へとその手は移動し、止血する為に縛る布の部分に触れるとびくりとして、その動きを止めた。
「酷い怪我……。早く中へ」
サラは家の中へ入るよう促し先に室内へと消えていった。入ることを躊躇する俺の背中をシィンがぽんと押した。
「俺、外で待ってるよ」
人懐っこい笑顔でシィンは言った。俺は恐る恐る中へと進んだ。室内もあっちの世界のサラの家となんら変わりはなかった。レイヴェニスタ軍に破壊され、めちゃめちゃにされる前と同じ光景がそこにはあった。
「こちらへ」
立ち尽くす俺の気配に気付いたのかサラは俺に声をかけた。
「こんな酷い怪我、どうしてほうっておいたんですか」
サラが腕を縛っていた布を外しながら尋ねた。俺は答えなかった。サラの冷たい手が傷口に触れた。ふわりと温かい空気が肩に触れたような感覚が訪れた。するとみるみるうちに傷口が塞がり、傷跡すらもどんどん薄くなり、そして消えた。血の汚れだけがそこには残っていた。
「悪い菌が入っていなければいいですけど……」
そう言ってサラは予め脇に用意していた水の張った桶に白いタオルを潜らせ、それで肩に残った血を拭き取った。
「……ありがとう」
俺が礼を言うとサラはふるふると首を横に振り眩しいほどの笑みを俺に返した。
「私がしたくてしたことです。お礼なんて」
サラの微笑みは変わらない。優しく、楽しげで、神々しくもあった。あっちの世界では俺のせいで殺されてしまったサラ。分かっている、違うことは。目の前にいるサラは違う世界で、違う教えの下、平穏無事に過ごしている。……それでも、それでも言わずにはいられない。
「ごめん」
俺はサラを抱き寄せた。桶に張った水がユラユラと揺れた。
体中にできた火傷、煤けた顔、黒く焼け焦げた衣服、焼かれた熱を持ったままの体――全てこの左目が、この両手が記憶している。何の罪もないのに裁かれたサラ。――謝れなかった。罵られることも、責められることも、何もかも間に合わず死んでいったサラ。
「ごめんな……」
腕の中でサラは身動き一つとらなかった。ただじっと俺の腕の中にすっぽりと収まっていた。暫くそうしてから、サラを離すと俺は立ち上がり、呆然と立ち尽くすサラを残して、この家を後にした。
外ではシィンが所在なさげに待ちぼうけていた。外に出てきた俺をそのエメラルドグリーンの瞳で捉えると、片手を挙げて近付いてきた。
「お帰りー」
シィンは俺のマントをペラッと捲ってさっきまで傷のあった肩を確認してにっこり笑った。
「よかったよかった。バッチリ治して貰ったね。じゃ、行こうか」
そして再びシィンは俺の腕を引き歩き始めた。
それは歩き慣れた道のりだった。日は沈み、静けさが辺りに広がっていたが、そこは何度も俺が訪れたことのある場所だった。
目の前にはあっちの世界と同じように大聖堂が仰々しくそびえ立っていた。そう、辿り着いた場所はミュラシアだった。
「ここだよ」
そう言ってシィンは大聖堂の扉の前へと進み出ようとした。扉に手をかけようとした瞬間、その大きな扉は重厚な音をたてて開いた。中から漏れ出る賛美歌。それと一緒に現れたのは、見事な白髪と、長い髭をたくわえ、白い裾の長い衣を着た老人だった。
「お帰り、シィン」
その老人は扉のすぐ真ん前に立つシィンに声をかけた。その声は優しげだが威厳を感じさせる声だった。シィンは深々と礼をする。この老人がシィンの言うみんなの中の一人なのだろうか。
「只今戻りました、ダリウス」
シィンにダリウスと呼ばれた老人は頷き顔を上げると、俺にそのくぼんだ目を向けた。何かを確かめるようにじっと。そして何を思ったのか、その長い衣を地べたにつけ跪いた。深々と頭を垂れて俺に向かって言った。
「……お待ちしておりました。改革者よ」