第24話 告白
静まり返った室内には自分の呼吸音だけが嫌に響いた。暑くもないのに汗が背中を伝っている。
キール将軍は真っ直ぐに私を見て尋ねた。イリア・フェイトを知っているな、と――。答えに詰まってしまうこと自体が、もう認めてしまっているようなものだったが、私は答えられずにいた。この世界の私は処刑され、イリアを匿っていた女性も処刑されたのを目の当たりにした恐怖心からなのだろうか。
「ヴァレンシア」
突然名前を呼ばれて肩が上下した。
「正直に言うといい。……君は、イリア・フェイトを知っているな」
言えば私も処刑されるのだろうか?ここまでたどり着く間に、この国の思想や制度は身に染みて分かっていた。けれど、詰問するキール将軍の私を見据える目は何故か優しげな感じがした。
「私……」
唾を飲むとごくりと喉が鳴った。
「……イリアを知っています。私の……大切な友人なんです」
私は意を決して答えた。それは賭けだった。言えばそのまま処刑台へと連れて行かれるかもしれない。けれど私はキール将軍を信じた。女性が処刑されようとしていた時のあの悲壮な顔を。あれは本意ではないという顔を。
「そうか……」
キール将軍は一言そう言って立ち上がり、そのまま後ろを振り返りこの部屋から出ていこうとする。私は痛みをこらえて上半身を起こした。
「あのっ!」
声を張り上げた瞬間背中が酷く痛んだ。ドアノブに手をかけていたキール将軍は慌てて私の元へと戻ってきた。
「起き上がるなと言ったろう! 傷が開くぞ!」
キール将軍は声を荒げた。そしてそっと肩を支え、私の体を横たわらせた。その時の顔は本当に私の体を案じているかのように見えた。
「あの、キール将軍」
「何だ」
「私………処刑されますか?」
私に毛布をかけてくれていたキール将軍の手が止まった。
「あの女性の様に、私も裁判にかけられるのですか?」
キール将軍の吸い込まれるような青い瞳がこちらを向いた。あの時のような悲しげな顔だ。今度は私も目を逸らさない。暫くの沈黙の後、先に目を逸らしたのはキール将軍だった。
「いや……、処刑はしない」
再びキール将軍は立ち上がり歩き出した。そしてドアノブに手をかけドアを開けようとしたその時に口を開いた。後ろを振り向かずに。
「ただ――、協力はしてもらう」
「え……?」
そうキール将軍は言い残し、ドアが音も立てずに閉まった。足音が遠ざかってゆく。
協力――。一体私に何をさせるつもりなのだろう……。
私は今すぐにでもキール将軍を追いかけて話を聞きに行きたい衝動に駆られたが、体がいうことをきかない。一週間も眠り続けたという私の体には、未だ動くことすらままならない程の傷が残っているのだ。――それはイリアの【力】の凄まじさを私に痛感させた。そして同時に悲しくなった。
あの時私の声はイリアに届かなかった。あんなに近くにいたのに。もっと手を伸ばせば届くところにいたのに――!
「イリア……」
頬を涙が伝った。ふっとイリアの姿を思い浮かべた。【力】を持たないばかりに住んでいた場所を追われ、私の住んでいた村の外れへと移り住んできた、私の世界のイリアの姿を。【力】があればと嘆き、そしてそんな自分を卑下していたイリアを。イリアは自分を迫害する周りの人々を決して恨んでなどいなかった。ただ嘆いていただけだった。イリアは優しいから――。
きっとこの世界のイリアも優しいのだろう。現にイリアは処刑台に立たされた私を大怪我を追ってまで救おうとし、最果ての崖近くに住む女性も助けようとした。自分の危険も省みずに。
どうしてイリアに破壊の【力】が現れてしまったのだろう。救おうと決めた人を救えなかった時に、現れた【力】がどうしてそれだったのだろう。もっと違う【力】……例えば人を救えるような【力】だったら、今はこんな事になっていなかっただろうに。
駄目だ。イリアにこれ以上あの【力】を使わせては。イリアには笑っていてほしい。あんな悲しい顔させたくない。
その時コンコンとドアをノックする音が聞こえた。私は慌てて涙を拭った。カチャリと音がして扉が開いた。そこから現れたのは意外な人だった。扉を開け恐る恐ると入ってきたその人の瞳からはぽろぽろとこぼれていた。
「チェリカ……お姉ちゃん」
その大きな瞳からは止めどなく涙が流続けている。
「ユナ……!」
それはイリアの妹、ユナだった。涙を流し続ける目は真っ赤で、ひっくひっくとしゃくりあげている。私はユナの小さな体を抱き止めたくて体を起こそうとしたが、やはり痛みが邪魔をしてうまくいかない。
ユナがぱたぱたと近寄ってくる。そしてその小さな手で私に触れた。いたわるように優しくそっと。そして涙に濡れた顔を毛布にうずめた。私は動かせる方の手でユナの頭を撫でながら聞いた。
「ユナ、どうしてここに……?」
ユナは顔を上げない。じっと毛布に顔をうずめたまま動こうとしない。私の問いに何も答えようとしない。時折鼻を啜る音だけが部屋に響いた。私は待った。それしか出来なかった。ただ頭を撫でてあげることだけしか。声をかけてやりたかったが無理に体を動かしたのが悪かったのか、声を出すどころか、呼吸をするだけで今は苦しかった。
どれだけの時間が過ぎたのだろう。ユナのしゃくりあげる声も鼻を啜る音も聞こえなくなっていたその時、顔を毛布にうずめたまま、ユナがぽつりと呟いた。
「チェリカお姉ちゃん」
私は顔を毛布にうずためたままの ユナの方を向いた。
「お兄ちゃん、皇帝陛下を殺したの?」
私はユナの頭を撫でる手を止めた。するとユナは顔を上げた。泣き止んだと思ったユナの瞳は真っ赤で潤んでいる。今にも大粒の涙がこぼれてしまいそうだった。
「お兄ちゃん、大勢の人を殺したの?」
ユナの声は震えている。真実を知ることを怯えるかのように。
「ユナ……」
「……否定しないんだね。やっぱりお兄ちゃんは、人を殺したんだね」
ユナの両目から大きな雫がこぼれた。その小さな手は毛布を強く握りしめていた。
「みんながお兄ちゃんを悪者だって言うの。皇帝陛下を殺した反逆者だって。罪も無い人を殺した冷徹な人間だって……。でも違うの。お兄ちゃん、本当は優しいの」
その言葉を皮切りにまたぼろぼろとユナは涙を流し始めた。私は痛む腕を精一杯伸ばしでユナの体を抱き寄せた。
「うん……、分かってるよ」
ごめんね。私のせいなの。イリアは私を助ける為に――。言おうとした言葉は声にならず、空気に溶けていった。
「お姉ちゃん……」
ユナは涙をこぼしながら私の腕を手にとり優しく抱えた。
「いっぱい、いっぱい怪我したんだね……。これも、お兄ちゃんがやったんだね……」
慰めたくても声が出せない。ユナの涙は止めどなく流れている。
その時再びガチャリとドアが開く音がした。ユナはびくりと体を震わせドアの方向を向いた。私も顔をそちらへ向ける。
「ユナ・フェイト、そろそろ戻るんだ。ヴァレンシアを休ませてやらなくては」
現れたのはキール将軍だった。扉の前に立つ将軍の言葉にユナはこくりと頷くと、私の腕を毛布の中へとおさめ、将軍の元へと駆け寄った。
待って、ユナをどこに連れていくの?ユナをどうするつもり?声を出せない自分がもどかしい。ユナはキール将軍に促されるまま扉の外へと消えていった。
「心配しなくていい。彼女にはどうもしない。イリア・フェイトの件で村を訪れた時に保護しただけだ。今日は君の怪我の事を知ってどうしても会いにきたいということでな」
キール将軍は私の心配事に、まるで心を読んだかのように答えた。
「とりあえず、何も心配せずに君は休むといい」
そう言い残しドアは閉められた。私は大きく息を吐いた。目を閉じると急激に睡魔が襲いかかってきた。まずは怪我を治さなくては――。
私はそのまま夢の中へと落ちていった。