第22話 すれ違い
私は十字架にくくりつけられた女性が炎に焼かれながらも、懸命に訴えかけるのを聞いた。涙を見た。運命を受け入れ、希望を皆に託すのを見た。がくりと力が抜けた瞬間を見た。女性は死に、私は何も出来なかった。
キール将軍がいつの間にかいなくなっていたのに気付かず、私はただただその場から動けないでいた。
あの時確かに女性の言葉に耳を傾けていた人々は、歓喜の声をあげている。いつの間にか消えていた十字架の炎と一緒に、女性が託した希望も消えてしまった。
その時だった。異変が起きたのは。
歓喜し騒ぐ人々の声に混じって、兵士達の怒声が飛び交っていた。だんだんと人々の歓喜する声と喚き声、泣き声が小さくなり、罵声だけが大きくなっていった。何故か人々は十字架の前へと詰め寄っている。
「なに……?」
私も負けじと十字架の前へと進み出ようとしたがそんな隙はなかった。人々の罵声は耳を塞ぎたくなるほどの大きさになり、前へ前へと行こうとする人々の熱気は最高潮に達した。
一瞬、隙間から、黒いマントをつけた人の後ろ姿と、剣をかざし今にもそれを振り下ろしそうな兵士の姿が見えた。
どくん。
その後ろ姿を見た瞬間、心臓が大きく脈打つのが分かった。
あれは……。
イリア――……!!
見間違える筈がない。あれは、イリアだ!私は何とか前へ出ようと、人々を押しよけたがそのたびに他の人々に押し返された。
「イリア!」
声をふり絞るが、人々の罵声と怒号の前には太刀打ち出来なかった。私の叫びはざわめきの中に消えた。それでもめげずに私はイリアを呼んだ。お願い、私に気付いて……!
「イリ――」
言いかけたその時、突風が轟音と共に吹き荒れた。そして次の瞬間、十字架を囲んだ人々が内側から順に、何らかの衝撃を受け吹き飛んだ。まるで風で薙ぎ倒される草花のように、いとも簡単に。それは、一番外側にいた私も例外ではなかった。前にいた人が空中を舞った、そう思った次の瞬間だった。それは痛みを感じる事すら気付かないほどの一瞬の出来事。
宙を舞いながら見えたのは、この世界のイリアの姿。女性を抱き抱え涙を流していた。私はその顔を見たことがある。どこで?……あぁ、そうだ。夢……夢の中だ。白い何かを抱え泣いていた夢の中のイリア。あの白い何かは、焦げた白い服を着た女性の亡骸。
泣かないで……イリア。
地面に叩きつけられ一瞬息が出来ず、そのまま意識がとんでしまいそうになった私が辛うじて意識を引き止める事が出来たのは、イリアがいたから。すぐそこに。手を伸ばせば、声を張り上げれば届く距離にイリアがいたから。
でも手を伸ばすことが出来ない。声を張り上げることも、発することすら出来なかった。先程まで何も感じなかった体中に痛みが走った。目だけを動かし周りを見た。辺りには私と同じ様に倒れている人が数え切れない程いた。ある者は血の海の上にうつ伏せに倒れたままぴくりとも動かない。そしてある者は仰向けに倒れ、服の赤黒く染みの広がった部分に手をあて呻いている。地鳴りの様な音と、建物が崩れる音がした。近くで炎がごおごおと激しい音をたて燃え盛り、黒煙を吐き出していた。
途切れゆく意識、白んでゆく視界の中、私は手を伸ばした。そして呼んだ。泣いているその人の名を。
「……イリア――……」
そのまま意識は途切れ、暗闇の中へと私は落ちて行った。
真っ暗闇の世界。何も存在しない虚無の空間。これは夢なのだろうか。私は歩き出した。遠くにかすかに何かが見えた。更に足を早めた私が見たものは、大きな大きな十字架だった。辺りには何も見当たらない。その十字架の下には白い花がおかれていた。
「お墓……?」
誰の墓なのだろうか。そう思ったその時、ぼんやりとした人影が暗闇の中から現れた。
「イリア……!」
抱えきれない程の白い花を両腕いっぱいに抱え現れたのはイリアだった。イリアの瞳は私に向けられていない。思わず駆け寄った私の姿など見えていないかの様に、イリアは私の横を何も言わずに通り過ぎ、抱えていた沢山の花を墓の下においた。 白い花は暗闇の中で、まるで花自体が発光しているかのように、ぼんやりとその姿を浮かび上がらせていた。花を供えたイリアは、来た道を戻ってゆく。
「イリアっ!」
腕を伸ばし叫ぶがその声はイリアには届いていないようだ。私はその場に立ち尽くし、イリアが遠ざかってゆくのをただ見ている事しか出来なかった。
「……っ」
夢の中で真っ暗闇な世界にいた私の目は、現実の世界の眩しさに目が眩んだ。高い天井、眩しすぎる程の照明、肌触りのいい毛布。私はベッドの上に寝かされていた。顔を左右に動かし周りを見る。その場所に見覚えはなかった。大理石で出来た柱、床には立派な手織の真っ赤な絨毯、そして高そうな家具がそこには立ち並んでいた。
「ここは……」
上半身を起こそうとすると、一瞬息が止まりそうになる程の激痛に襲われた。たまらず起こしかけた体を横たえる。起き上がろうとして毛布から出した腕には、仰々しいくらいの包帯が巻かれていた。
あぁ、そうだ。私は広場で……。
だんだんと広場での出来事が鮮明に思い出されてきた。血と炎と黒煙だけが支配していた世界、横たわる人々、傷の痛みに呻く人、瞬時に命を奪われた人――地獄の様な風景。そしてそんな風景を造りだしたのは……イリア。あれがイリアの【力】。一ヶ月前に目覚めた破壊の【力】。思わず動かせる手で顔を覆う。
その時、扉の開く音が聞こえた。足音――扉の方を見る。
「気分はどうだ?」
「キール将軍……!?」
扉を開け現れたのはキール将軍だった。けれど服装はあの広場で会ったときのそれではなかった。キール将軍はゆっくりと近付き私が横になっているベッドに腰を下ろした。慌てて起き上がろうとするが、やはり痛みが邪魔をしてうまくいかない。
「起き上がらない方がいい。一週間も眠り続ける程のひどい傷だ」
起き上がろうともがく私の肩をそっとおさえながらキール将軍は言った。一週間……!私は一週間も眠っていたの!?
「あの……キール将軍が私を?」
キール将軍は頷いた。その顔には疲労が濃く浮かんでいる様に見える。
「多くの者が死んだ。殆どの者は一瞬で死んだ。きっと痛みを感じる間すらなかっただろう。」
大きなため息をつきうなだれたキール将軍は、顔を上げると何故か私に視線を向けた。吸い込まれるような青い瞳に、私は耐えきれず横を向いた。
「ここが何処なのか聞かないのか?」
「え……」
「私が何故君を助けたのか、聞かないのか?」
キール将軍は私に尋ねた。しかしその語気は尋ねる時のそれではない。何かに苛ついた様な語気には威圧的な雰囲気が醸し出されている。その威圧感に圧倒された私はうまく喋れないでいた。
「私と君とは、偶然、がよく重なるな」
キール将軍は偶然というところを強調しながら言った。
「イリア・フェイトの住んでいた土地で出会い、サラ・エレインを捕らえた現場で遭遇し、そしてその後行われた処刑の場で、私に取り止めるようにと懇願した。イリア・フェイトを追う私の前に、何度も君は現れた」
少しの間――。
「君は」
これから言われるだろう事を想像して、心臓がどくどくと脈打った。喉がごくりと鳴った。
「イリア・フェイトを、知っているな?」