第21話 悲しき決意
いつもと変わらない一日が始まる筈だった。俺は一人でミュラシアに来ていた。何も珍しい事ではない。外に出る事に慣れた俺は一人で聖堂に行く事も増えていた。異変に気付いたのは、聖堂から出て帰路につこうとしている時だった。
「レイヴェニスタ軍が動き出したらしいわよ」
フードで顔を隠し俯き歩く俺の耳に突然飛び込んできた言葉に一瞬どきりとしながら、その言葉の聞こえた方向に目を向けた。話しているのは中年の主婦らしき数人の女性達だった。俺はその女性達のすぐ近くに待ち合わせのフリを装いながら近づいた。女性達の話に耳を傾ける。
「見つかったの!? アイツ……イリア・フェイト!」
「そうみたいよ。どうも最果ての崖近くの家に住む女に匿われてたとか……」
「やだ……! 悪党を匿うなんてどうかしてるわ」
女性達は交互に口を開きながら、そのたびに苦虫でも噛み潰すかの様な表情を浮かべた。
「もうそろそろ、戻ってくるんじゃないかしら?」
「皇帝陛下のご無念も晴れるでしょうね……」
冷たい汗が背中を流れた。心臓がどくどくと他人にも聞こえてしまいそうな程、大きく、早く脈打ち始めた。俺は走り出した。視界の端に、突然冷や汗を流しながら走り出す俺を、訝しげに見る女性の姿が入ったが関係無い。
サラ……!!
俺は走った。帝都までは遠い。走って走って走り続けた。もう連れてこられてしまっているとしたら、果たして間に合うのか――いや、間に合わなければいけない。
都が視認出来る距離まで来ると、煙が立ち上っているのが見えた。嫌な予感がした。走り続けた足は棒の様になり今にでも止まってしまいそうだ。心臓の鼓動は体から飛び出してしまいそうな程大きく、肺は速すぎる呼吸についてこれていない。見えない右目が疼いた。それでも走り続けた。
サラを助けたい――ただそれだけの為に。
人々の罵声、奇声、歓声。ある者は笑いながら罵り、ある者は泣きながら訳の分からない言葉を喚き、そして他の者は喜びを声高に叫んでいた。
笑い、泣き喚き、歓喜する人々をかき分け進む。一ヶ月前のあの悲劇の場所へと。
俺の視界に飛び込んできたのは、かつてサラであったと思われる体。十字架にくくりつけられているその体は黒く焼け焦げていた。手足の皮膚は炎に焼かれ、ただれている。サラの顔は煤に被われ、髪の毛も焼けてしまっていた。火はすでに消えていたが、木片はぶすぶすと燻っていた。
おれは――また、間に合わなかった――……。
呼吸が乱れ、手足がガクガクと震え始めた。決して走り続けたせいではない。辺りが一瞬にして暗闇に包まれた。何も見えない。騒ぎ散らしていた人々の声も聞こえなくなった。見えるものは焼け焦げた十字架と、それにくくりつけられた サラの痛ましい体のみ。一歩一歩足を踏み出しそこに向かう。
十字架にくくられていたサラの体を外し抱きかかえそのまま横たえた。顔の煤を拭い頬を撫でた。ぴくりとも動く気配は無い。
「サラ……」
見る事さえはばかられる程痛ましく焼け焦げた手をとり額に近付けた。異常な熱がその手には残っていた。サラはどんな思いでいたのだろう、そう考えると目の奥が熱くなった。
俺のせいだ……。
俺を匿ったせいで……サラは――。
お前は何も悪くはないのに。ただ願っただけなのに。誰もが手を取り合い生きていけたら、と――。
「イリア・フェイト!」
その時初めて俺は多くの人々に、そして兵達に囲まれている事に気付いた。フードはいつの間にか脱げ、顔を隠すものがなくなっていた。兵士達が剣を向ける中、人々は交互に口を開いた。
「のこのこ出てきやがったな!」
「この人殺しめ! 私の妻を返せ!」
「仲間の敵!」
「私の息子を返して……!」
最初に言葉を発した兵士を皮切りに人々は罵りの言葉を投げかけた。誰かが投げた石が顔に当たり温かいものが一筋流れた感触があった。投げかけられた言葉にも投げられた石にも怒りなどは覚えない。多くの人々の命を奪ったのか事実、生きて背負うべき俺の罪――。でもサラは……違う。
「その女も馬鹿だな。貴様なんかを匿ったせいで死んじまうんだからな……何が共生だ! 馬鹿女がっ!」
兵士の一人が剣を振りかざし向かって来るのが見えた。その切っ先が肩に突き刺さった。その瞬間兵士と人々の大歓声があがった。
「【力】を使わないぞ! 今だ、殺れーー!」
誰かの号令と共に兵士達が一斉に刃を振り上げ向かって来た。
サラ……。
お前の願いは叶わないよ。こんな奴等にはお前の願いは届かないんだよ。
皆【力】が恐ろしいのか?自分達に無い【力】を持つ者達が?だから殺すのか?
だったら【力】を持つ者が処刑されるように、俺は【力】を持つ者に害を為す人々を――……。
殺す。
そう考えた瞬間、爆風が吹き荒れた。
そして次の瞬間、広場の周りの建物が大きな音をたてて崩れ始めた。
地面がひび割れ逃げ惑う人々の悲鳴が響いた。温かい液体が雨の様に顔にふりかかった。それを手で拭いサラの体を抱え立ち上がった。辺りはいつの間にか火の海となっており、足下には一ヶ月前と同じ様に沢山の人々が横たわっていた。兵士も女も子供も俺の【力】に引き裂かれ血を流していた。痛みに苦しみ呻く人々。広がる火の海。立ち上る黒煙。あの時と一緒だ、と俺は思った。一ヶ月前の、チェリカを失ったあの日と。
一瞬チェリカが俺の名を呼ぶ声が聞こえたような気がした。でも俺は、それが気のせいである事は分かっている。一ヶ月にチェリカは死んだのだから。
憎いんじゃない。ただ悲しいだけ――。
人々にサラの願いが届かないのなら、またチェリカの様に殺されてしまう様な事が起きるくらいなら……。
俺が変えてみせるよ。こんな世の中。根底から変えてみせる。
誰に憎まれようと構わない――。