第19話 懺悔
「ミュラシアに行きませんか?」
そうサラに言われたのは早朝突然の事だった。
「どうしたんだ、いきなり」
サラは早くもマントを手に取り俺に近づいてきた。気が早い。
「聖堂に行った事ありますか? あそこの聖堂は素晴らしいんです。一緒に行きましょう」
そういえばサラはミュラシアにもよく行くと言っていた。聖堂に行く為だったのか。でもこの国の教えは、【力】は非難し排除すべきものだという意識が根幹にある。その教えを広める聖堂になんか行っても、請いたい教えなど俺にはない。
「関係ありませんよ。教えなんて」
まるで心を読んだかのようなタイミングと発言だ。
「教えなんて人間が後付けしたものですよ。私だってそんな事を信仰している訳ではありません。私はただ祈りに行くだけです。早く人々が手を取り生きていけるように」
サラは相変わらずの理想主義者だった。でも本当は俺だって、世界がそうであれば、と思う。そうすればチェリカは殺されなかった。ただ【力】を持っているだけで処刑されるなんて馬鹿げてる。俺みたいな【力】の使い方をしてしまったら何も言えないが、チェリカは、ただ人々の為にその【力】を使っていたのだから。
「フードかぶればわかりませんよ」
そう言いながらサラにマントを手渡された。
初めて訪れたミュラシアは帝都に次ぐ人の多さだった。ただ、所々に手配書が貼られていて俺を動揺させた。
「大丈夫ですよ、ただの巡礼者に見えますから」
サラはくすりと笑ってそして歩き出した。俺はその数歩後ろからついて行った。もし、今ここで俺が手配されているイリアだとばれたらサラはどうなるのだろう。そんな不安がよぎって、また俺はサラから数歩分遠ざかった。それに気付いたのか、いつもならすぐ喋りかけてくるサラも、ただ黙々と聖堂までの道のりを進んで行った。
たどり着いた聖堂は圧巻の一言だった。思わず足を止め見上げる俺を見て、サラはまた少し微笑んだ。
「行きましょう」
そういってサラは扉を開けた。開けた瞬間から聴こえてくる賛美歌、ステンドグラスから差し込む色とりどりの日の光。幻想的なその雰囲気にのまれそうになった俺の手をサラが引いた。
聖堂の中には中央に構える祭壇の前には絶えず微笑み続ける親父の他に、もう既に数人の人が祈りを捧げていた。こんな朝から一体何を祈っているのだろうか。
でも不思議だ。ここにいると全てが許されるような不思議な感覚に陥る。勿論それはただの錯覚だ。俺の犯した罪は許されない。でもこの場にいると、きっといつか誰もが手を取り合い生きていける、その中に俺も入っていける――そんな途方もない錯覚に陥る。ふと、そんな考えを巡らせて笑いがこみ上げてきた。
「無理に決まってる」
小さく呟いた声は賛美歌にかき消された。
しばらく何かを祈り続け動かなかったサラが俺のマントの裾をくんとひっぱった。
「ちょっと待ってて下さい、すぐ戻ります」
そう小声で俺の耳元で語りかけたサラは聖堂から出ていった。俺は一人で待つことになった。辺りを静かに見渡した。誰も俺が手配書に載る人物である事に気付いていないようだ。誰もが、目を閉じ手を組んで祈り続けている。そして神父はそれを優しい顔で見守っていた。
こうしていると、この国の教えがチェリカを、そして【力】を持つ者の処刑を促していることなど、嘘の様に思えてくる。こんな穏やかな空気の流れる場所なのに、その教えは【力】の排除なのか……。
「……外で待とう」
そう思い歩き出した時、何か教えを説いてもらっているのか、ほんの一瞬だけ神父と話し込む女の後ろ姿に目を奪われた。
その後ろ姿は、チェリカに見えた。そんなはずないのに――。
サラが戻ってきたのはそれからすぐだった。俺が中で待っていると思っていたサラは、聖堂の外で待っていた俺に声をかけられて一瞬驚いて、そしてすぐ微笑んだ。
「びっくりしました。外に出てらしたんですね」
「あぁ」
サラの腕には何か小さな包みが抱えられていた。それが何なのかは分からなかった。
日が真上に登った頃、俺達は帰路についた。
「どうでした? イリアさん」
サラは相変わらずの笑顔で尋ねてくる。
「聖堂は……素晴らしかった。不思議な感じがしたよ」
何もかも許されるような感覚に陥るあの場所から広まる教えが【力】の排除なんて皮肉だな、そう言おうとして止めた。そんな感覚に陥るのは俺だけだ。許されたいと願っているからこそ、あんな感覚に陥るのだ。
「そうですか。確かにあそこは、何もかもを包みこむような不思議な感じがしますよね」
「あぁ」
あの不思議な感覚は誰もが感じる事なのだろうか。もしかしたらサラはそれを俺に教えたくて、俺をミュラシアまで連れ出したのかもしれない。サラは俺が自分の事を一生許さない事を知っているから――。
俺はそれからたびたびミュラシアへ足を運ぶようになっていた。聖堂にいる間はこの汚れた手が、少しだけ、ほんの少しだけ綺麗になっていくような気がした。聖堂へ出かける俺を見てサラは優しく微笑んでいた。
俺はある日サラに何を祈っているのか聞いた。
「皆手を取り合って生きていけるように、です」
俺はふぅんと頷くと、あと、とサラは続けた。
「ごめんなさい、と」
その表情はいつもの優しい笑顔ではなく、とても悲しげな顔に見えたので理由は聞けなかった。 気まずい沈黙が訪れた。しかしそれを打開したのはやはりサラだった。
「私……婚約者がいたんです。」
いきなりサラはそんな話を語り始めた。
「親に決められた相手でしたけど、毎日それなりにに楽しく過ごしていました。そして彼も私を愛してくれました。まだ妹も生きていたし、光も失っていない時でした」
遠くを見ながらサラは続ける。
「妹にも当時付き合っている人がいました。二人はとても愛し合っていました。みんな幸せに過ごしていたんです。そして……」
サラは大きなため息をついた。
「その幸せを、私が壊しました」
深くうなだれたその顔にはもはや笑顔は無く、閉じた瞳には涙が浮かんでいた。
「私は……裏切ったんです、婚約者を。……彼は気付いていませんでした。ずっと。だから私もいい気になってたんです。バレるはずなどないと」
顔を手で覆うサラ。
「でも、その日は突然やってきました。ちょうど、妹の彼がやってきている時でした。どんな経緯かは分かりませんが、彼に裏切りが知られてしまったんです。妹達の前で、彼は激怒しました。その瞬間――」
ふぅ、と呼吸を整えサラは言った。
「彼は【力】を使ったんです。それは人を傷つけられる【力】でした。私の【力】を彼に秘密にしたように、彼もそんな【力】を持っている事を隠していたのです。【力】は私に向かってきました。私はその時死ぬはずだったんです。彼を裏切ったのですから、それは当然の報いの筈でした」
そこまで言って少し間があいた。俺はただ黙っていた。
「彼の【力】が私に襲いかかろうとした瞬間、妹が――私を庇いました。一瞬の出来事だったんです。そしてその一瞬で妹は死にました。私が【力】を使う間も無く、一瞬で――」
サラは顔を覆っていた手を外した。
「妹の彼が私の婚約者に飛びつき、その顔を殴りつけました。何故殺したと責め立てたんです。 私はただただ立ち尽くしていました。足元に倒れた妹を抱きかかえる事も、殴られている婚約者を庇う事も出来ませんでした。……彼は、婚約者は次の日に死にました。自分の犯した罪に耐えられず、自らに【力】を使ったんです。悪いのは私だったのに――!」
サラの両目から涙がぽろぽろと流れ落ちた。
「……私はあの聖堂に通い続けます。彼に許してもらうまで……」
そうか、そういう理由があったのか。サラは俺に死んだ婚約者を重ねている。庇わなければいけなかった人の姿を。俺は……生きなければいけないのか――。
「サラ」
俯き涙を流し続けるサラは顔を上げた。
「俺は、生きるよ。もう、死のうとなんかしない。……生きて、罪を償う」
俺は涙に濡れたサラの顔を引き寄せた。
「だから……泣かないでくれ。サラには、笑ってる顔が似合う」
「イリアさん……、ありがとうございます」
腕の中でサラはふふっと笑った。
何事もなく毎日は過ぎていった。二人で聖堂に出かけ、二人で向かい合って食事をし、二人で語り合い、そして二人で墓参りに行った。そんな毎日だった。
けれどそれは突然終わりを告げた。