第18話 切迫
走っている最中、あの女性の悲しげな顔を思い出した。復讐の為に追っていると告げた時のあの悲しげな顔を。それはあの女性がイリアの居場所を知っていたからなのではないか? 匿っていたからなのではないか? 考えれば考えるほど、先程思い浮かんだ推論は正しいように思われる。そして同時にイリアとあの女性の安否が心配になってきた。
こんなに急いでいるのに、なかなか辿り着く事が出来ない。そして走り続ける私の目に、無情にもあの大軍があの女性の家へと押し込んでいるのが見えた。
外には多くの騎馬兵が待機している。そしてその数秒後、中からあの女性が連れ出されるのが見えた。大軍から怒号とも呼べるような歓声が上がった。そして更に数秒後、中からまた数名の人が出てきた。そして彼等はまた砂埃を舞い上がらせ、元来た道を帰っていく。崖の方から走って来る私には誰一人として気付いていなかった。
それはきっとあの大軍があの家に押し寄せてから数十秒の出来事であっただろう。それでも私には果てしなく長い時間に感じられた。
大軍が去った後の砂煙が晴れると、まだ一頭だけ馬が残っているのが見えた。まだ誰かいるのだろうか。構わず走り続けた私の足は、家の中から出てきた人物の姿を見て止まった。もうその時点であの女性の家にかなり近づいていた為か、中から出てきたた人物も私に気付いたようだった。
「また君か……」
やはりその人も私を覚えていた。しかしその声は以前会ったときのものと比べると低く、表情は暗く沈んでいた。
「キール将軍……」
私はその人の名を呼んだ。
「君は何故こんな所にいるんだ? 君は――」
携えていた剣をすらりと鞘から抜き、キール将軍は立ち竦む私に近づいて来た。そしてその切っ先を私に向けた。
「何か、知っているのか?」
冷たい汗が背中を流れる。唾を飲むとごくりと喉がなった。手が震える。
「私……は……っ」
声が震えて上手く出す事が出来ない。しかし剣の切っ先は私の喉元から下に下げられた。そしてそのまま鞘へと収まった。
「……今は君に構っている暇はない」
そう言ってキール将軍は私から目をそらした。そして後ろを振り向かずに帝都の方へと馬を駆っていった。
私はへなへなとその場に座り込んだ。足に力が入らない。座り込んだまま、あの女性の家へと目を向けた。扉は力任せに破られ、見るも無残な様子になっていた。
まだがくがくと笑う膝を何とか立たせ、家へと向かう。扉は蝶番が一カ所だけで辛うじて付いているだけで、風が吹くとぎぃぎぃと軋んだ音を発していた。家の中へと進むと、物という物が散乱し、至る所が破壊されていた。
「酷い……」
あまりの惨状に他に言葉が見当たらない。床にはスープがこぼれていて部屋中に匂いが充満していた。
隣の部屋へと足を運ぶ。台所になっていたが、かつては食器であっただろう陶器の破片が至る所に落ちていた。
足元に気をつけ更に進むと、そこは寝室になっていた。毛布や服が散乱し、ベッドは破壊されている。元の部屋に戻ろうとした私はある物に目を奪われた。それは、あの女性が着るには大きすぎる衣類だった。私は慌ててその服を手に取った。
「これ……」
どう見ても男物の服だ。私の予想は限りなく正しいのかもしれない。あの女性はイリアを匿っていた。あの事件ではイリアは大怪我を負ったというから、もしかしたら介抱したのかもしれない。それなら捕まったあの女性はどうなる? そんなの決まりきってる。さっきの兵士達の怒号を聞けば分かる。
主を失った臣下達の怒り――イリアが捕まらなければ、その怒りの矛先はあの女性に向かうだろう。……あの女性は殺されてしまう。
「駄目だよ、そんなの」
私は掴んでいた服を放り出し外へと出た。そしてまた走り出した。帝都へと向けて。最果ての崖から殆ど走りっぱなしの足は、さっきからよくもつれて転びそうになる。その都度体勢を整えてまた全速力で走り出す。帝都までの道のりは、あと少しだ。
帝都には、昨日までの静けさはなかった。 警備兵が出入り口に立ち、人々は皆揃って外に出ている。中年の女性達は小さな輪をいくつも作り何かを話をしている。子供達はというと、ある子供は輪を作る中年女性に手をひかれ、そしてある子は外に出れた事にはしゃぎ走り回り、そしてそれらの子よりもう少し大きな子達は広場の方を指差しながらなぜか笑っていた。私は額を流れる汗を手で拭った。
町中へと進むと城門前に大きな人だかりが出来ていた。その人だかりをかき分けて前に進み出ようとしたが、かき分けようとした瞬間、睨みつけられてしまった。
「駄目だ……」
私はジャンプして前の様子を覗き見ようとした。しかしそれ程背の高くない私にとって、それは至難の業だった。結局様子を見る事は出来なかった。その時誰かにスカートの裾をくんと引っ張られて、私は後ろを振り向いた。
「お姉ちゃん」
「レオンくん!」
レオンくんはにこにこ笑いながら、私の後ろに立っていた。
「さっきイリア・フェイトの仲間が連れてこられたんだ! みんな大騒ぎだよ」
「レオンくん、それって女の人?」
レオンくんは大きく頷いた。
「そうだよ! ざまぁみろだ! これでイリア・フェイトも出てくるよねっ」
やっぱりあの女性だ。イリアの仲間として捕らえられた。イリアを匿っていたから――。
「多分今、城内で裁判をしてる所だよ。もうしばらくしたら出てくるよ。それであの広場に向かうんだ!」
あの広場――この世界の私が処刑された場所にあの女性が連れて行かれる。何故あの女性が殺されなきゃいけないの。でもどうすれば止められる? あの女性を助ける術を私は持っていない。こうしている間にも裁判はどんどん進行しているだろう。いつ裁判を終えた女性が城内から出てきてもおかしくない。
「お姉ちゃん、どうしたの? ねぇ、僕等も先に広場に行こうよ。ここにいたって 何も見えないじゃん。今なら広場にまだ人集まってないから、前の方に行けるよ」
レオンくんは無邪気に言った。どうしてこの子はこんなにも無邪気なのだろう。今から人が一人殺されようとしているのに。
「早く殺されちゃえばいいのに、イリア・フェイトの仲間なんて」
「駄目だよ、レオンくん。そんな事言っては駄目だよ。殺されてしまうんだよ、あの女性は!」
「どうしてそんな事言うの、お姉ちゃん? だってあいつはイリア・フェイトの仲間だ!殺されちゃっても仕方ないじゃんっ!」
レオンくんは顔を真っ赤にしながら私に怒鳴りつけた。
「レオンくん……」
駄目だ。何を言っても駄目だ。この世界の人々にとって、【力】を持つ者は悪なんだ。ましてやイリアは多くの人々と皇帝を殺害した、排除するべき悪なんだ。
「もういいよ、お姉ちゃんなんて。信じた僕がバカだったんだ!」
レオンくんはそう言ってぷいと後ろを向き、そのまま駆け出していった。広場へと向かったのだろう。私はその場に立ち尽くし、ぼんやりとその後ろ姿を見ていた。
その時城門が開き、中から多くの兵士に連れられたあの女性が出てきた。真っ白な服を着せられ、両手を後ろ手に縛られていた。
「あの女性だ……」
城門から出てきた兵士達は人だかりを制止し、そして広場へと進んでいく。その歩みはひどく遅い。周りを取り囲んだ人々から罵声が飛び交う。心無い人の投げた石が女性の頭に当たった。当たった場所から血が流れ出しているのが見えた。あれはきっとこの世界の私の姿だ。私もきっとあんな風に、罵られ、石を投げられ、処刑されたのだろう。
女性を中心に進む人々は確実に広場へと近づいていく。早くしないと間に合わない。でも一体どうすればいいの。
「イリア……!」
声は届かないと分かっていてもよびかける。あの人を助けて……誰か!
時は刻一刻と過ぎてゆく。私は何もできないまま――。