第82話 その言の葉は
それはあまりにも唐突で。
私はその腕の中で固まってしまった。きつく、息苦しいほどに抱きしめられ、思わず頬が熱くなる。
死んだ後にこんなことになるなんて誰が予想出来ただろう。しかも、相手のことを私は知らない。
けれど、不思議なことに不快には思わなかった。ただ頬がどんどん火照っていく。
私を抱きしめた彼の鼓動が聞こえた。お互い死んでいる身だというのに、どくんどくんと脈打つその音を、私ははっきりと聞くことが出来る。そして自分の鼓動も早まっていくのを感じた。私達は実はまだ生きているのではないかと、錯覚するほどに。
「……」
「……」
私も彼も沈黙する。私の場合、どうすればいいのか分からずにいたというのが正しいのだけれど。
しかし、よく見ればよく見るほど、彼はユナに似ているような気がした。髪や目の色だけでなく、どことなく雰囲気も。兄妹だと言ってもおかしくはないだろう。
「……あなたも、私の知り合いによく似ています。その子は女の子なんですけど」
いいかげん沈黙に耐え切れなくなり、口を開いた。後から男の人に対して女の子に似ているなんて失礼だったかな、なんて思ったけれどそのまま続ける。
「もうずっと会っていないから、あなたを見て……懐かしくなりました」
腕に包まれたまま、顔を上げた。彼もまた私に視線を向けていた。そして、微笑む。少しそのままの体勢が続き、やがて彼はその腕から私を解放した。
「……ごめん、驚かせて」
「いいえ、それにしても……偶然ですね。あなたの知り合いと私の知り合いがお互いに似ているなんて。それに私の名前もチェリカって言うんです」
詫びる彼に私は自分の名を告げると、そうだね、と彼は小さく笑った。
「あの、あなたの名前、聞いてもいいですか?」
もしかしたら名前を聞けば何か思い出すかもしれないと思い尋ねたが、彼は何も答ずに微笑んだ。そのまま屈んで下に落ちた花を拾い始める。
「……これは、お墓ですか?」
もう一度名を尋ねるのは躊躇われ、私は話題を変えた。巨大な十字架に歩み寄り、分かりきった問いだったけれど尋ねる。
花を全て拾い終えた彼は顔を上げると、そうなんだ、と小さく呟いた。
そして彼もまた十字架まで歩み寄ると、手に持つ花束をそっとその足元に置いた。
「俺は……罪人だから。生きている間は許されざる罪を犯した」
まさかこの優しそうな人の口からそんな言葉が出るとは思わず、私は耳を疑った。
「ざ……いにん? あなた、が……?」
「……そうだよ。俺は、罪人。沢山の人をこの手で――殺した」
そう答えた彼の表情からは、既に笑みは消えていた。
こんな所で嘘をつく必要なんてない、ということはきっと彼の言うことは真実なのだろう。けれどそれでは、あまりに突拍子もない。
「……もう君はここを去ったほうがいい。俺なんかのそばに、いちゃいけない」
褐色の瞳に射抜かれる。険しい表情と裏腹に、それはひどく物悲しげに見えた。
声をかけようにも、かける言葉が見当たらない。呼びかける為の名も分からない私に為す術はなかった。せっかく、この暗闇の中で見つけた希望の光だったのに――。
諦め、踵を返す。
十字架に背を向け足を踏み出そうとしたその時だった。
「君は……幸せに」
彼が発した言葉が闇に響いた。それと同時に心臓が脈打つ。彼の言葉が反響する。消えることなく、脳内に映像を伴い、繰り返す。
シアワセニ
ただその一言で、広がる映像に飲まれそうになる。
この映像は何?
これもまたこの世界の延長?
シアワセニ
違う。
シアワセニ
違う。
チェリカ、シアワセニ
これは――