ほろ苦く、甘い
目を覚ますと自分の部屋のベッドの中だった。抜け目ない太陽がカーテンの隙間から入り込み、部屋の中を薄く染めている。
はっとベッドを飛びだした。
彼はどこ?
部屋という部屋を駆け回るたび彼が出て行ったか、さらに悪くすれば彼が灰になってしまったのかもしれないという不安に胸を蝕まれていく。
だが彼はそこにいた。
バスタブの中に。彼は狭いバスタブの中で大きな体を丸め眠っていた。
永遠はリビングに戻りながら、昨夜のことを思い返した。
彼が私の首筋に牙を埋めたとき、思わずびくっとすると彼は慰めるようにそっと抱きしめてくれた。だけど痛かったわけではなく、ただ今までに感じたことの無い感情に揺さぶられて、それが体に伝わったのだ。
彼に守られ、彼が血をすするやわらかい音を聞いているうちに温もりに包まれ眠ってしまった。
一度、まだ暗い時間に目を開くと金の瞳が見つめていた。
「もう一度お眠り」
彼の声にあやされ目を閉じながら、ずっと私を抱いたまま眠っている様子を見ていたのだろうかと思った。
永遠は温かいココアを淹れると、マグカップを手にカーテンを開け外を眺めた。もうすぐ十月だ。木々が色づき世界に彩りを添える。普通の人生を送っている人にとっては、これからも何度も繰り返される色の変化に目を留める暇も無いかもしれない。だが私にとってはこれが最後だ。
今まで一度も生きたいと思わなかった。ただ起きて、食べて、眠る。その繰り返しに身を置くしかないからそうしていただけのこと。
彼に出会うまでは。
永遠は首筋の、見た目には少し赤くなっているだけの彼の名残に手を触れ、ゆっくりとココアをすすった。
ココアはほろ苦く、甘かった。
ほんの少し、このままでいたいと思った。
クリスチャンは温かい香りに招かれてバスタブを後にした。
狭いバスタブで眠ったせいで全身が凝り固まっている。腕を上げ伸びをすると天井に手が届いた。
クリスチャンがリビングに入っていくと彼女がそこにいた。
「すまない。バスルームを占領してしまったな」
彼女はテーブルに料理を並べているところだったが、クリスチャンの声に小さな悲鳴を漏らした。
「ひゃっ」
びくっとした彼女の手からグラスが滑り落ちる。
クリスチャンは人並みはずれたスピードで彼女のもとに跳ぶと、グラスが床に着く前につかみテーブルに置いた。
彼女が胸に手を当て、喘ぐ。
クリスチャンは彼女が心配になり、肩をつかみ大きな声で言った。
「大丈夫か?」
「心臓が…」
彼女が言い終わる前にクリスチャンは彼女を抱き上げた。
「胸が苦しいのだな、医者のところへ連れて行ってやろう」
彼女は抵抗するように身をよじると、驚いたことに笑い出した。
「お医者様は必要ないわ。私は『心臓が飛び出すかと思った』って言おうとしたのよ」