下
どこか、甘く見ていた。
伊藤ユウトは数日、この町にいるだけだから──だから、大丈夫だと。そう、高を括っていた。
あのとき。
ユウトがコンビニに行くのに、自分がついて行っていれば──
「ついて行っていれば──なんなの?」
重苦しい空気漂う山田家。こうなると、もう外に出ることも危ぶまれる。着々と籠城の準備をする母と妹を横目に、山田ユウキは自分の部屋にいた。部屋の中には2人。その1人、川上ミキは、ユウキに静かに訊ねた。
「ついて行っていたとして。そしたらきっと、山田くんも同じように……さらわれて、死んでたよ」
10年前は、親友だった。だが、10年後の今は──限りなく、他人だ。他人が死んだだけ。ニュースで人が死んだことが報じられても、なんとも思わない──なのに。
「……直前に会っちゃったからだよ。山田くんが気に病むことは、何もない」
わかっている。それは、わかっているんだ。自分が悪いことなんて1つもないことは──だけど。
そしたら、悪かったのは、外出したユウトなのか? この町に来てしまった──それが、悪かったのか?
幼い頃の友人に会えて、自分は嬉しかったのに……その喜びが、この結果を招いたのか?
……そう考えると、やりきれなくなった。誘拐犯が悪い、とは、なぜかその時、ユウキは考えなかった。
どこかでわかっていたのだろう。この町の住民は、みんなどこかで理解している。
誰もが被害者になりえると同時に──加害者にもなりえるのだと。
これは、一種の災害のようなものだと──天災ならぬ人災なのだと、わかっていた。
そしてこれは不明瞭だが、悪意を持ってこの現象を引き起こす存在のことも、感じとっていた。
だから、これは結局、『事件』なのである。終わることない『2つ』の事件は、そして全てを巻き込み──生き止まる。
ΨΨΨΨΨΨ
家の中は、死んだように静かだ。4人もの人間が揃っていながら。まるで、物音を立てると見つかって、殺されてしまうかのように。それはしかし、今の状況とどれだけの違いがあるものか。──言っても、詮のないことだが。
こういう時、ユウトは気にせず、笑うのだろうな──あの快活な笑顔を思い出しながら、ユウキは思った。
「ごちそうさま」
箸を置き、夕食のテーブルから立った。食器を流しに運んで、洗い、手を拭く。それから洗面所に向かって、歯を磨いた。ルーチンワーク。人が死んでも、それは変わらない。
自室にのろのろと足を運ぶ。そして、そのままベッドに倒れこんだ。
──あれから3日。今日は、学校に行かなかった。恐らく、明日も。外に出ることが怖い。
もしかしたら。……考える。
もしかしたら、このまま一生、外の空気を吸わずに年老いて、自分は死ぬのかもしれない。
……それでもいい。とにかく、外には出たくなかった。
それでもいいし、どうでもいい──
「食べてすぐに寝ると、太っちゃうよ……山田くん」
……少し微睡んでいたらしい。部屋のドアが開くのに気がつかなかった。
気怠さを覚えながら起き上がる。
ドアの傍に立つ人影に、ユウキは言った。
「何か……、何か用? 川上さん」
「お風呂、沸いたって。一緒に入る?」
「……いいから、先に入れって。僕は最後に入るから」
「じゃあ、わたし、クミちゃんと一緒にはーいろっ」
「それでいいから、勝手にしてよ、もう……」
川上ミキ。3日前この家に遊びに来て、それからずっと、滞在している。帰る気はないようだ。帰っても誰もいない……というのが理由らしいが、しかしユウキの見解は違う。
彼女もやはり、怖いのだ。外が。孤独が。ただ、『怖い』。──それだけだと思う。
「…………」
いつの間にか。ミキの姿は部屋の中になかった。
ごろりと横たわり、目を閉じる。
闇がユウキを包んだ。この闇は、怖くない。
………………
……………………
…………………………
……きて…………おき……
「起きてよ、山田くん」
「はにゃ?」
肩を揺さぶられる感覚があり、妙な声を上げてユウキは目覚めた。うっかり、熟睡してしまったようだ。目を擦り、声の主の方に顔を向ける。
「川上さん……ってなんでバスタオル?」
「? お風呂上がりだから」
川上ミキの格好は、素肌にバスタオル1枚という目によくないものだった。
「僕は最後でいいって言ったはずなんだけど……」
「お母さん、今日はいいって」
「……そっか」
ユウキはベッドの上で伸びをする。背骨がコキコキという音を鳴らした。
「今何時?」
「9時半だね」
「そう……川上さん」
「なんでしょう」
「……服を着ろ」
「えー。山田くんが脱いだら、いいよ」
「僕の脱衣と君の着衣にはなんの関係性もない。いいから着ろ。今すぐに」
「この部屋で?」
「そんなわけないだろ!」
怒鳴った。女子に切れるのは……あー、妹にはちょくちょく怒るから、別に初めてでもなかった。
ミキは、するとちょっと困った表情を浮かべて「そうは言っても……着替えがないんだよね。もともとこんなに泊まるつもりなんてなかったから」と言った。
しかしちょっとは持ってきていたらしい。この3日間で、これまでそういうことは言わなかった。
最初から泊まりに来ていたっぽかった。
……なんて突っ込みはいれない。優しさ──というより、ヘタレなのだった。
「……あー、そっか。じゃあ、母とかから借りれば」
「うん、借りようとしたんだけど……」
今度は、少し恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「胸がきつくて……」
………………ほーう?
意識せず、ユウキの視線は自然とバスタオル越しに自己主張する部位を追っていた。
すぐに目を逸らす。やはり、ヘタレだった。
「……えっと、そしたら、どうしようか」
逸らしながら訊ねる。ミキは答えた。
「うん。だから山田くんの服を貸してもらおうって思って」
「ああ、なるほど。でもバスタオルで来るのはやめてもらいたいなあ」
「だから脱いで、脱いで」
「そう繋がるのか。なんでだよ。適当に漁っていいから、僕が今着てる服は諦めてくれ」
「うん? エロ本とか探しちゃっておkってこと?」
「だからなんでだよ! っていうかないからね。ああいうのは18歳になるまでダメなんだから……」
「法令遵守ってこと?」
「そういうこと」
「ヘタレ」
「うっせ」
「……じゃあPCの履歴とか見ちゃっても大丈夫?」
「なんて恐ろしいことを言うんだ君は! 僕を社会的に抹殺する気か!?」
「え……いつも何を見てるの山田くん……」
引かれた。クラスメイトにドン引かれた。もう一生学校には行けないと思った。
「はあ……。僕は風呂入ってくるから、それまでに着替えておいてね。あと、PCは絶対に覗かないこと!」
「え? 振り?」
「ガチ!」
最後にしつこく念を押して、ユウキは風呂場へと歩いて行った。
もう行ったかなー、と様子を窺って、ミキは机の上のノートパソコンを起動させた。
……無論、言いつけなど、守るわけがないのだった。
‡
「いや、うん。あれはもう、駄目だと思うよ……山田くん」
「念のためパスワードかけといたのに……」
……米が切れかけていることに気づき、スーパーへその他諸々の買い出しに行くことになった。全員で固まって行く。歩きは危険なので、移動は車である。これは、その車内での会話だ。
「パスワードの番号、誕生日にしちゃったのは迂闊だったね」
昨晩。クラスメイトの女子、そして本人曰く『彼女』に、パソコンの中を覗かれた憐れな少年山田ユウキに、覗いた当人であるところの川上ミキはニッコリ笑いかけた。目の奥は欠片も笑っていない──そんな笑顔である。
「え。というかなんで君は僕の誕生日を知っているの?」
「同じクラスだからね……女子の情報収集能力を、舐めない方がいいよ」
「女子怖いな……」
「いや、怖いのは山田くんだから。あんな縛って無理矢理とか……、うん、やばいね」
「…………」
ユウキは何も言わない。言い逃れのしようがない。……しかし、その表情は、あまり追い詰められている人のそれではなかった。どこかまだ余裕がある。
それに気づかないほど、ミキは鈍感ではなかった。
「……まー、他にも色々あったけどね。ス〇トロとか、痴漢とか……あと」
あれらは万一にも見られないように奥底に沈めといたはずなのに──と、さっと青ざめるユウキに、心なし嗜虐的な笑みを口許に浮かべて。「──妹と、とか」
「──お兄ちゃん?」
「──ユウキ?」
「い……いやいや。いやいやいやいやいやいやいやいや。いや。違うからね? クミにそんな感情は全く抱いてないからね? ただの趣味の一環っていうかなんていうか」
「まず見たことについて否定すべきだと思うんだけど……」
言い訳はしない男だった。
……その日は、この地域には珍しいことに、雪が降っていた。それも、大雪だった。車で進むのが困難になってきたので、下りて、はぐれないように手を繋いで歩いた。
「お兄ちゃん、触らないで」
「いや、本当ごめん。でもそういうわけにもいかないから、ちょっと我慢してくれ。店に着くまでの辛抱だから……」
実にいやそうな顔をして、本気でいやで堪らないという様子で、兄の手に触れそうになるとビクッと拒絶反応で体を震わせながら──クミはユウキの方に手を伸ばした。
女子小学生の妹に本気で怯えられている同級生に、自分がPCを覗いたのが原因とはいえ、しかし元凶は覗かれて困るようなもの──というかもう人として結構アウトな領域にあるものを見ていたユウキなのでしょうがないと思いつつ、一方で若干の憐憫の情を寄せながら、ミキは優しく、クミに提案した。
「……クミちゃん。お姉ちゃんと、手、繋ごっか」
「……うん」
一も二もなく頷いて、クミはユウキから離れ、ミキの方に体を寄せた。
──そのとき、一陣の風が吹き抜けた。視界が白に覆われる。
顔を手で庇う。そして風が収まるのを待った。
「……、……、う」
条件反射で閉じてしまった、目を薄く開ける。
そして声を出した。「大丈夫か? 3人とも、ちゃんといる?」
「えっ?……うん」
「いる……」
ほっと息をつく。なにも異常はない……。
そう思って、すぐに気づいた。
──返事が、1人分足りない……。
「──あ、あれ? クミはどこだ!?」
「クミちゃん……? え? いない……」
突然に傍らにいたはずのクミの姿が消えたことで、取り乱す。脳裡には、いやな想像ばかりが浮かぶ
──まさか……、
──まさかユウトと同じように……
「…………ッ!!」
考えても仕方ない。
「捜すぞ、川上!!」
「え……あ……、……、うんっ」
……駆け出す2人を見送りながら、母は佇んでいた。
自分も、すぐに娘を捜索したかったが……、いざという時のために、移動手段は確保しておくべきだった。自分は一旦車に戻り、それから捜そう──そう考えた。
足早に、路肩に停めた車に戻る。
──途中、その背中をじっと見つめる視線には、とうとう気づかずに。
‡‡
……雪のせいで、視界が悪い。自分の周囲から、半径にして5メートルも見えない。隣で自分の手を握るミキの姿が、なんだか妙に現実味がなかった。ともすればすぐにでも儚く消えてしまいそうで──
──そう。ちょうど、妹の、ように……。
「……っ! クソ! どこだ……、どこだクミ!! いたら返事しろ!!」
「クミちゃん……!」
余計なことを考えている場合ではない。そんなことをしている間に、手遅れになってしまうかもしれない。ユウトの。ユウトのときのように……
「~~~ぁああああッ!! いるんだろ!? 返事しろよ!!!!!」
風が吹いていた時間は、多分30秒もなかっただろう。誘拐された──か、どうかはまだわからないが、されたとして。妹は小5にしては小柄な方で、運ぶのにそう苦はなかったかもしれない。だが、小柄とは言ってもしかし30キロの物体──しかも人間だ。それなりの重量だし、当然抵抗するだろう。そう考えると少しは苦労したに違いない──犯人が車に乗っていて、妹をそれに乗せた可能性もあるにはあった。あの風の正体が、車の走行によって生じたものだと考えると、少し納得できてしまう。でもそれを考えると、もう手の打ちようがない。なのでそれは無視して──まだ、近くにいる。
そのはずだ。
そうであってくれ。
間に合うと信じて、周囲を捜し回る。雪がどんどん強くなっていく。体の熱が奪われて、ミキと繋いだ手の感触さえあやふやだ。
「山田くん……」
痛みに満ちた目でミキは何か言おうとした。しかしユウキがこちらを見ようとせず、どこか別の場所を注視しているのを察して、訝しみながらもそこを見る。
(ただの──側溝?)
土に埋もれ、既に用を成していない古びた【側溝】。それを、気にしているようだった。
(いや……でもあれ)
ミキはその側溝の、道路に設けられた小排水路の、一部分。そこに異変を感じとった。
(なんかあそこだけ、妙に〝盛り上がって〟、いるような……)
手を引かれる。凍えるような寒さにも拘わらず、ユウキの掌はじっとりと汗ばんでいた。
ユウキの荒い呼吸音のみが聞こえる。そんな静寂の中、1メートル、2メートルと側溝へと、2人、足を進ませた。
そして──、側溝に詰めこまれた山田クミの体を、発見したのだった。
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…………どれくらい、そうしていただろうか。 そんなに、長い時間ではない。精々5分かそのくらいのものだろう。その間、ユウキの意識はどこかに行っていた。それはあたかも、雪にさらわれてしまったようだった。
途方もない虚脱感が襲い、ユウキはその場にどさりと、両膝をついていた。
まただ、と思う。また、自分のせいで、人が死んだ。自分は何もしていないのに──何もしていないから、死んだ。
そんなユウキに、ミキは努めて、口調が重くならないように、声が震えないように、なんてことのないように呟いた。
「ううん。これは、クミちゃんがこうなったのは、わたしのせいだよ。……わたしがあのときちゃんと手を取っていれば──、ね」
「……不毛だ」
「でしょ?」
よいしょ……と。ミキは立ち上がる。「警察に通報……かな。救急車も、一応呼んで。クミちゃんには触らないようにする」
「救急車は要らない」
「……うん」
ユウキはクミの顔をぼんやりと見つめた。妹は、泥にまみれ、大きく見開いた瞳は、空を見上げていた……もっとも、『そういう体勢である』というだけで、実際は、何を映しているわけでもない。
それが死ぬということ。
命を、喪うということだ。
「「──え?」」
ユウキとミキの呟きが重なった。今、クミの胸の辺りが微かに──動いた。
顔を見合わせる。互いの表情を見て、それが勘違いではないことを知った。
──その時の彼らは、冷静さを失っていた。
少し落ち着いて考えればわかることを、忘れていた。
まさかクミが自分で側溝に詰まったはずもない。単純に考えて、何者かが詰めた──そういうことになる。
それでは〝何者〟とは何者か?
勿論、それは誘拐犯である。そして被害者が自分の近くにいるということは。
──当然、犯人も近くにいる、ということだ……
ユウキよりも、クミとの距離が近かったミキは、そしてユウキより速くクミの体に近づいた。
側溝から引き揚げようと、クミの体を抱き起こした。
その時、〝ボトッ〟という音がユウキの耳朶に触れた。
それは、落ちる音だった。
ミキの腹部が破れて、内臓が地面に落下する音。
──クミの死体の後ろに隠れていた殺人者が、クミごと、ミキの腹を鋭利な刃物で切り裂いたのである。
クミの胸の辺りが動いたのは、クミが生きていたわけではなく、後ろにいた奴が動いただけだったのか──
それに気づいた時は、もう手遅れだった。
「──川上ィ!!!!!」
一歩で。ユウキはミキへの距離を潰し、そのままの勢いで彼女を抱きかかえ、疾走した。火事場の馬鹿力というやつだろうか。腕の中に、重さは感じられなかった。
酷く、軽い。
「ハア、……、ハア、ハア、……、……、ハア、……ッ、」
「やま……、だ、山田くん……」
「喋るな! ッ、傷に響くだろっ……」
「無理はしなくていいよ……」
「無理なんてしてない……ッ! 好きでやってることだ……、ッ、……、」
「何を言ってるの……」
「君のことが好きだって言ってるんだよ!!」
「えへへ……」ミキは嬉しそうに笑った。「答えになってないよ……」
車まで全力で走る。母にすぐに病院まで出してもらえば──間に合う!!
「ハア、……、ッ、絶対、間に合わせてやる……ッ!!」
走ること5分。見慣れた車体が目に飛びこんできた。
10秒、息を整えて、ドアを掴んで一気に開ける!
「──母さん! クミが死んだ。川上も死にそうだ。クミは間に合わなかった……! でも今からなら、川上は助かる!! 早く出してく……」
そこで。酸欠で麻痺していた視覚と嗅覚が正常に機能し始める。
視界いっぱいに広がるのは、赤。赤々とした赤だった。血のように赤い赤。そして、血、そのものの赤だった。
真っ赤に染め上げられた車内は、とても、腥い臭いがした。
「う……、ぐ……、ッ」
呻いて、へたりこんだ。
「山田くん……」
「……どうしたの?」
「ハンカチ、ちょうだい……」
「ああ……、これは、ハンカチじゃなくて、ハンドタオルだよ……」
「え……」一瞬ぽかん、として、それから川上ミキは。
「あは。間違えちゃった……」
綺麗な笑顔を浮かべた。
そして、それが最期だった。
‡†‡
立ち上がる気持ちは、もう起きなかった。
背後に、母を殺した殺人者が立つのが気配でわかったが、抵抗する気はなかった。
「一思いに、やってください」
ユウキは殺人犯に言った。
「今、失恋の傷心中なので……傷口を抉らないように、スパッと、お願いします」
失う。恋を、失う。
死がもたらすものは、『喪失』──ただ、それだけである。
全てを失った少年は、なにもかもを見失い、そして、死ぬ。命を喪う。
後ろの殺人者が凶器を振り上げるのを感じながらも、山田ユウキは、ただ、ぼんやりとしていた。
ぼんやりと、考えていた。
なるほど、こういうことか、と。
ユウキは、妙に納得していた。
自分はどこまでも被害者だと感じていたが、加害者になるのは、こんな感じなのか、と。
ブチッという音が、背中で聞こえた。
右腕が、何かに憑かれたようにありえない速度で動き、背後に回り、右手の握力と腕力で殺人者の顎を取り外したのだ。自分を襲撃した大人の顎を握っている右手は、赤い液体にまみれている。
〝ブチッ〟という擬音は、ユウキの肩からも聞こえていた。無茶な駆動のせいで、どうやら、腱が切れたらしい。右腕を動かそうとすると、激痛が走る。ちょっと動かせそうにない。
ユウキは奪った下顎を、左手に持ち換える。そして、顔の下半分を失った痛みに悶える男の頭に、歯のある向きを向けて、打ち下ろした。ガン、と手応えがあった。当たった衝撃で砕けた歯の欠片が、飛び散って、ユウキの腕や顔に、細かな切り傷をつけた。
ガン、ガン、ガン、……、……、……、
──頭だけでなく顎のあった傷痕などに、何度も打ちつけると、動かなくなった。死んでは、多分いない。気絶して……そのままにしておけば、恐らく死ぬだろう。
殺すつもりはない。いや、あるのかもしれない。もう、どうでもよかった。
疲れてしゃがみこむ。少し、眠ろうと思った。
しかし眠る間もなく、後ろからパン、という、乾いた音がした。腹を、焼けつくような痛みが襲った。ユウキは血を吐いた。内臓が、破裂したらしい。
続けざまにパン……、パン……、と、銃弾が背に撃ちこまれる。意識が遠退いていく……。
妹を、ミキを、殺した犯人だと、直感していた。
薄れゆく意識の中で、ユウキは、最期に顔を見ようと、力を振り絞って後ろを、振り返った。
──そいつは、なんともわかりやすい格好をしていた。日本で、拳銃を合法的に所持でき、そして場合によっては人に向けての発砲許可を得ることのできる存在。
つまり、警察である。
最後に、ユウキは1つだけ、思考した。
その念をこめて睨み、山田ユウキは死亡した。
──次は、お前だ。
『2つ』の事件は、終わらない。
PART2,“DEAD END”closed.
“JAW”endless.