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築三十五年。外壁の色はとうの昔に日焼けして、かつては白かったはずなのに今では「ちょっと黄ばんだ豆腐色」としか言いようがない二階建て住宅。
その二階の角部屋――元・子供部屋。
そこに、実家在住三十四歳無職、鈴木レイはいた。
「のだぁ……っ!」
畳の上。
レイは正座していた。
いや、正確には“正座っぽい何か”である。足が痺れているので時々尻を浮かせているし、背筋も曲がっている。さらに腹の上には食べかけのポテトチップスが乗っていた。
部屋にはゲーム機。
積み上がった通販段ボール。
半年前に「絶対に勉強するのだぁ!」と言って買った中国語教材。
なぜか一ページも開かれていない簿記テキスト。
そして壁には、美少女フィギュア。
カーテンは閉まっている。
昼の一時なのに薄暗かった。
「のだぁ……っ!神様ぁ……っ!吾輩、もう贅沢言わないのだぁ……っ!」
レイは天井を見上げた。
「可愛くてぇ!優しくてぇ!若くてぇ!料理ができてぇ!吾輩を甘やかしてくれてぇ!働けとか言わなくてぇ!顔が良くてぇ!お金持ちでぇ!吾輩の趣味を否定しなくてぇ!出来れば胸も大きくてぇ!あとぉ!実家に同居してくれるお嫁さんをくださいなのだぁあああ!!」
一階から母親の声が飛んできた。
「レイィィィ!!昼ごはん冷めるわよ!!」
「のだぁ!あとで食うのだぁ!」
「さっきもそう言って一時間経ったでしょうが!!」
「祈祷中なのだぁ!!」
「働きなさい!!」
「嫌なのだぁああああ!!」
静寂。
近所の犬の鳴き声だけが聞こえた。
レイは深くため息を吐いた。
「……世知辛いのだぁ」
三十四歳。
職歴、コンビニ三日。
スーパー品出し五日。
ウーバー配達二週間。
全部辞めた。
理由は単純である。
「朝起きるのが辛いのだぁ……」
ちなみに最近は「社会が悪い」という結論に落ち着いていた。
「だいたいおかしいのだぁ。なんで吾輩みたいな可愛いだけの生き物が働かなきゃいけないのだぁ……」
レイは頬を膨らませた。
顔だけは無駄に良かった。
やたら良かった。
身長も高い。
肌も綺麗。
髪もサラサラ。
しかも童顔寄り。
そのため、数年前までは親戚たちもまだ希望を捨てていなかった。
『レイくんって顔は良いからねぇ』
『そのうち良い会社に……』
『女の子には困らないでしょ』
――なお現在。
『あの子まだ家いるの?』
『お母さん大変ねぇ』
『結婚はもう無理じゃない?』
になっていた。
「失礼なのだぁ……」
レイは転がった。
畳の上をごろごろ転がった。
「吾輩だって本気出せばモテるのだぁ……っ!」
しかし、その“本気”が永遠に出ない。
なぜならレイは努力が嫌いだからである。
マッチングアプリも入れたことはある。
だが三日でやめた。
理由。
「プロフィール書くのめんどいのだぁ」
さらに写真を撮るのも嫌だった。
「なんで吾輩が女に媚びて写真撮らなきゃいけないのだぁ。向こうから来るべきなのだぁ」
結果。
当然誰とも付き合っていない。
そもそも外に出ない。
だが本人はまだ諦めていなかった。
「うむ……」
レイは急に真顔になった。
「ここは作戦変更なのだぁ」
のそりと立ち上がる。
そして本棚を漁り始めた。
出てきたのは、妙に黄ばんだスピリチュアル本。
『運命の相手を引き寄せる波動』
『龍神と繋がる金運』
『恋愛成就・奇跡の言霊』
「うむっ♡」
レイはドヤ顔した。
「科学的なのだぁ!」
一切科学ではない。
しかしレイは本気だった。
部屋の中央に変な模様を描き始める。
塩。
盛り塩。
コンビニで買った酒。
なぜかカルパス。
「これで完璧なのだぁ……!」
スマホで“恋愛運が上がる周波数”とかいう動画も流し始めた。
不気味な鈴の音が鳴る。
「のだぁ……っ!」
レイは再び正座した。
「来いなのだぁ……吾輩を養ってくれる優しい若妻ぁ……っ!」
その時。
ガチャ。
部屋のドアが開いた。
「レイ、ご飯――」
妹だった。
二十九歳。
既婚。
子供あり。
まともな社会人。
レイとは対照的である。
妹は部屋を見た。
塩。
酒。
カルパス。
謎の音楽。
兄。
「……何してんの?」
「祈祷なのだぁ」
「気持ち悪」
「失礼なのだぁ!?」
妹は本気で嫌そうな顔をした。
「ていうかアンタまだそんなこと言ってんの?三十四で?」
「男は三十からなのだぁ!」
「婚活市場で一番嫌がられるタイプの台詞じゃん」
「うるさいのだぁ!」
レイはバタバタ暴れた。
「吾輩は夢を諦めないのだぁ!可愛いお嫁さんとイチャイチャするのだぁ!」
「まず働け」
「嫌なのだぁ!」
「終わってるなぁ……」
妹は呆れた。
だが。
少しだけ兄の顔を見た。
やはり顔は良い。
本当に無駄に良い。
(……これで普通に働いてたらなぁ)
と思った。
実際、学生時代はモテていた。
ただしレイは壊滅的に怠惰だった。
女子に告白されても、
『会いに行くのめんどいのだぁ』
で自然消滅。
バイト先の女子に好かれても、
『シフト増えるの嫌なのだぁ』
で逃亡。
もはや才能だった。
「……まあ、顔だけなら本当に良いんだけどね」
「のだっ♡?」
レイの耳がぴくっと動いた。
「今褒めたのだぁ!?」
「褒めてない」
「褒めたのだぁ!」
レイは急に元気になった。
「うむっ♡やはり吾輩には可能性があるのだぁ♡」
「その謎の自己肯定感だけは凄いよね」
「つまり美少女がお嫁さんになる未来も――」
「ない」
「のだぁあああああ!!」
妹はため息を吐いた。
「ていうか母さん泣いてたよ。“せめて外出てほしい”って」
「外は疲れるのだぁ……」
「散歩くらいしなよ」
「紫外線が吾輩の美貌を攻撃するのだぁ」
「じゃあそのまま部屋で朽ちてろ」
「酷いのだぁ!」
妹は去っていった。
ドアが閉まる。
静寂。
「……」
レイはしばらく黙っていた。
そして。
ぽつり。
「……でもぉ」
畳に寝転がる。
「可愛いお嫁さん欲しいのは本当なのだぁ……」
天井を見る。
古いシミがあった。
「一緒にゲームしてぇ……お菓子食べてぇ……だらだらしてぇ……たまにハグしてぇ……」
声が少し小さくなる。
「……寂しいのだぁ」
その瞬間だけ。
ほんの少しだけ。
三十四歳引きこもり男の本音が見えた。
だが次の瞬間。
「うむっ♡」
レイは起き上がった。
「ならば祈祷を強化するしかないのだぁ!」
全く反省していなかった。
レイはスマホを開いた。
『最強 恋愛運 即効』
『金運 龍穴』
『美少女と出会う方法 スピリチュアル』
「のだっ♡文明の利器最高なのだっ♡」
一階から母親の怒声が飛んだ。
「レイィィィ!!いつまで降りてこないの!!」
「今忙しいのだぁ!!未来の嫁探してるのだぁ!!」
「まず仕事探しなさい!!」
「嫌なのだぁあああああ!!」
築三十五年の家に、今日も情けない絶叫が響いていた。




