第八十七話:蜀科(しょくか)の礎、厳格なる龍の慈悲
第八十七話:蜀科の礎、厳格なる龍の慈悲
執筆:町田 由美
西暦214年。成都に入城した劉備軍を待っていたのは、歓喜の声だけではなかった。
長年、劉璋殿の緩やかな、悪く言えば規律の緩んだ統治に慣れきった豪族たちは、新参者である我らを値踏みするような、冷ややかな視線を送っていた。
私は、入城してすぐ、祝宴の席に酔いしれることもなく、法正、李厳ら蜀の知恵者たちを招集した。成都の政庁、深夜の冷たい空気の中で、私は一抱えもある竹簡の束を机に広げた。
「……法正殿。蜀の民は今、困惑しています。劉璋殿の恩にすがる者、我らの威勢に怯える者。……この地を真に治めるには、情けではなく『法』が必要です」
法正は少し驚いたように私を見た。
「軍師、今はまず、豪族たちに恩賞を与え、人心を懐柔すべき時では? 厳格な法を強いては、彼らの反発を招きかねません」
私は羽扇を静かに置き、重みのある声で答えた。
「……恩によって繋ぎ止めた心は、より大きな恩を求めて腐敗します。……かつての劉璋殿がそうであったように。……我らが示すべきは、公平無私の法です。功ある者は必ず報い、罪ある者は身分を問わず罰する。……それこそが、戦乱に疲れた民が求めている『真の安寧』なのです」
私は自ら筆を執り、後に**「蜀科」**と呼ばれる厳格な法典の編纂を開始した。
寝食を忘れ、一字一句に血を通わせる。私の脳裏には、荊州を守る関羽殿へ送った戦略書、そして落鳳坡で散った龐統の遺志が常にあった。彼らが命を懸けて獲ったこの地を、二度と混乱させてはならない。
一方、軍事面においても、私は手を緩めなかった。
成都を包囲した際、見事な連携を見せた趙雲(子龍)と馬超(孟起)。
この二人に、私は蜀の周辺諸郡の平定と、辺境の守備を命じた。
「子龍殿。あなたは南方の地を巡り、民の暮らしを安定させなさい。武力ではなく、その誠実さで、蜀の土を将軍の徳で満たすのです」
「承知いたしました。軍師の敷かれる法が、隅々まで届くよう、この趙子龍、道を拓きましょう」
そして馬超殿。彼は、自らを敬う趙雲の姿に感化され、かつての荒々しい一匹狼から、劉備軍の「盾」としての自覚を強めていた。
「孟起殿。……あなたは北の国境を頼みます。……曹操の影が少しでも動けば、西涼の錦の旗を掲げて威嚇しなさい。……あなたの存在そのものが、蜀にとっての最大の抑止力です」
馬超は力強く頷いた。
「……孔明殿。この馬孟起、二度と居場所を失うつもりはない。……この蜀は、私の新たな故郷だ。一歩も引かぬ!」
私は成都の政庁から、張り巡らされた糸を操るように、内政と外征のバランスを整えていった。
ある時、豪族の一人が、私の厳格な法適用に抗議し、賄賂を持ってきたことがあった。
私はその賄賂を一切受け取らず、その男を法に基づいて処断した。
「……法は龍の鱗のようなもの。……一枚でも剥がせば、そこから国は朽ちる。……私は、将軍に捧げるこの国を、曇りなき鏡のように磨き上げたいのです」
西暦214年の冬が来る頃。
成都の街には秩序が戻り、農民たちは安心して田畑を耕し始めていた。
法正は私の傍らで、感服したように溜息をついた。
「……軍師。あなたの法は冷たいと思っていたが、その先には、誰よりも温かな『民への愛』があったのですね」
「……私はただ、約束を守りたいだけです。……荊州で待つ関羽殿、そしてこの地に散った士元殿との、約束を」
私は蜀の主となった劉備を支え、今、真に「天下三分」の盤面を、現実のものとして完成させようとしていた。
だが、その平穏を破る報せが、東の荊州から届こうとしていた。




