第六十八話:慟哭の祭文
第六十八話:慟哭の祭文
執筆:町田 由美
呉の陣営、巴丘。
祭壇の前に、私は白装束を纏い、独り立っていた。
背後には、甘寧、周泰、徐盛といった呉の猛将たちが、今にも私を斬り捨てんとして、青白い炎のような殺気を放っている。その空気は、吸い込めば肺が凍りつくほどに鋭利だった。
私は、ゆっくりと一巻の祭文を広げた。
「……嗚呼、公瑾殿。……天、いかにして若き才を奪い、地、いかにして至宝を隠すのか」
私の声は、震えていた。それは演技ではなかった。
私は今、周瑜という男を通じて、私自身の「半分」を葬ろうとしていたからだ。
「……思い返せば、赤壁の夜。貴殿は火を操り、私は風を呼んだ。……二つの魂が一つになり、曹操の百万を灰にしたあの時、私は確かに見た。……この乱世の闇を照らす、一筋の光を。……その光が、今、永遠に失われた」
私は祭壇に歩み寄り、深く、地を叩くように跪いた。
「公瑾殿! 貴殿がいなければ、誰が私の奏でる琴の音を聴き、誰が私の描く盤面の先を読み解くというのか。……私を殺したければ、今ここで斬ればよい。だが、貴殿を失った今、この諸葛亮にとっては、この世のすべてが灰色の砂漠に等しいのだ!」
私は声を上げて泣いた。
それは軍師としての尊厳をかなぐり捨てた、子供のような慟哭であった。
私の涙が祭文を濡らし、文字が滲んでいく。
その瞬間、呉の将軍たちの間に、異変が起きた。
殺気で強張っていた甘寧の拳が震え、周泰の瞳から一筋の涙が頬を伝った。彼らは見たのだ。自ら死地に乗り込み、主君(周瑜)のためにこれほどまでに魂を削って泣く男を。
(……公瑾殿。……聞こえますか。……あなたの部下たちが、今、武器を降ろした音が。……私の『嘘』は、あなたの『死』という真実を飲み込んで、新たな絆を紡ぎ始めました)
「……公瑾殿。……しばしの別れだ。……あなたの魂が天に昇るまで、私はこの場で香を焚き続けよう。……貴殿が夢見た江東の安寧は、この諸葛亮が、命に代えても守り抜く」
祭文を読み終えた時、そこにあったのは殺意に満ちた処刑場ではなく、一人の英雄の死を等しく悼む、巨大な悲しみの海であった。
呉の将兵たちは、いつしか私に向かって静かに頭を下げていた。
「……孔明殿。……これほどまでに我が都督を想ってくださるとは。……今までの無礼、お許し願いたい」
その言葉を聞きながら、私は地面に伏したまま、心の中で毒を吐いた。
(……勝った。……私は、公瑾殿の死を利用して、呉という巨大な軍事力を、再び劉備軍の盾に変えた。……許してください、公瑾殿。……これが、生き残った者の……『大人』の戦いなのです)
彼は立ち上がり、涙を拭った。その瞳は、泣き腫らしていながらも、すでに対岸の「荊州」と、さらにその奥にある「益州(蜀)」の山々を、鋭く射抜いていた。
周瑜の葬儀は、呉と劉備軍の同盟を再定義する、冷徹な外交の極致として幕を閉じた。
だが、その日の夕刻。
独り、船で荊州へ戻る孔明は、月を見上げながら、自分にしか聞こえない声で呟いた。
「……寂しいものですね。……知恵比べをする相手さえ、もう、この空の下にはいない」




